02-4.石動可憐 編

 バザール会場へは真っ直ぐに向かえば二十分ほどなのだが、ふと遠回りをしてみたくなった。


 葉洩はもれ陽にキラキラと彩られた、長閑な林道。

 の間にちらちらと見える木組みの家コロンバージュを眺めながら、未舗装の道をゆっくり歩いていると、前方からランニング中の人影が一人、近づいてくるのが見えた。


 こっちの世界でもランナーやジョガーは珍しくはない。

 ただ、半袖パーカーのフードをスッポリと被った姿は、いくら午前中とは言え七月の日差しの下ではいかにも暑苦しそうに見える。


 フードの影に隠れて面輪おもわは判然としないが、近づくにつれ、背格好とショートパンツから伸びるしなやかな白い脚から同年代くらいの女子だと分かる。

 ぼんやり眺めていると、少し手前で立ち止まった彼女から「紬か?」と声を掛けられた。


――え? この声って……。


「可憐ちゃん!」


 俺より先に、ウエストポーチのリリスが声を上げた。

 こんにちは、と答えながら後ろへずらしたフードの下から、長い黒髪を後ろで一つにまとめた、我がクラス随一のクールビューティーが顔を覗かせる。


「可憐だったのか。……なにしてんだ? こんな所で?」

「このへんは、普段からよくランニングコースに使ってるんだ」


 ここから石動家の最寄り駅までは二駅区間、距離にすれば四、五キロだが、往復なら十キロ近くある。

 このスポ根少女、普段からそんなに走ってんのか……。


「そうなんだ。テイムキャンプでの傷はもう、大丈夫なの?」

「うん、ほとんど掠り傷だったからな。それよりおまえの方こそ大丈夫なのか?」

「俺も、見た目ほどたいした傷ではなかったから」

「いや、昏睡状態が続いてると聞いたから心配してたんだが」

「こ、昏睡? なにそれ?」


 トゥクヴァルスから帰還して、翌日から普段通りの生活を送ってたはずだ。昨日だって一昨日だって……。


――って、あれ? この三日間、俺、何してたんだっけ?


「私も人から聞いただけなんだが、間違いなら間違いでよかった」

「う、うん……。それより、フードなんて被って暑くないの? ダイエット中?」

「そんなんじゃない。今、自宅謹慎中だから顔を堂々と晒して走るのもどうかと思ってな」

「謹慎!?」


 俺の反応に、逆に可憐も、少し眉を上げて驚いた表情を見せる。


「聞いてないのか?」

「うん、まったく。……なんで謹慎?」

「トゥクヴァルスで入山記録の記入を忘れた処分だよ」


 記入を怠ったのは勇哉ゆうやだが、処分を受けるのはキャンプ計画の立案者であり責任者でもあった可憐ということらしい。


「ただ、ずっと家にいたら身体が鈍るし、毎日走ってないと体調を崩すからな」

「回遊魚みたいな身体だな……」

「もっとも、今日は紅来くくるとバザールで待ち合わせしてるから、ついでに走ってきただけなんだが」

「ついで、って……ショッピングとトレーニングを兼ねるのは、どうかと思うぞ」

「大丈夫。汗が引くまでそこの珈琲店コーヒーハウスで休憩する予定だったから」


 コーヒーハウス!? ……と、歓声を上げたのはリリスだ。


「もしかして食事も?」

「軽食なら……。ケーキなんかも頼めたと思うが」

「行く! 私も行く! 一緒に行くよ、紬くん!」


 両手で俺のTシャツの裾を掴むリリス。

 なんて必死な形相なんだ……。




 テラス席で向かい合って座り、俺と可憐は珈琲を、リリスにはシフォンケーキを注文する。

 可憐がパーカーを脱いで横に置き、水色のTシャツ一枚になる。少し汗ばんでいるようだが、向日葵のような快活さの中に甘酸っぱさが溶け込んだような、女の子の仄かな香りがそよ風に運ばれて俺の鼻腔をくすぐる。

 思わず見惚みとれていると、可憐が目を細め、


「なんだ?」

「ご、ごめん、ちょっとぼんやりしてて……これ、なんだろう?」


 テーブルの隅にあった約十センチ四方の籠に、小さな紙がいくつも折りたたまれて入っている。その横には百ルエンと書かれた貯金箱のような入れ物も。


「知らないのか? 占術士オーガーの占いだよ」

「ふむふむ」


 元の世界の、レトロな喫茶店なんかでたまに見かけたルーレット式おみくじみたいなものらしい。

 箱に百エレクトロン貨を入れて紙を一枚広げてみる。


『今、目の前にいる者を幸福にすることが、悪夢から抜け出す唯一の鍵となろう』


 わけの分からなさもルーレットおみくじ並みだ。


「目の前、って可憐のことかな? 何か、俺にして欲しいことある?」

「う~ん……今すぐにってわけじゃないが……」

「うん」

「いつか背中を預けられるような仲間に成長してくれたら、嬉しいかな」

「何ノリだよ……」


――少年誌の主人公みたいなやつだな。


 ふとテーブルの上に視線を落とすと、リリスが砂糖入れに手を突っ込み、コソコソと粗目ざらめ糖を口に運んでいた。


「コラッ!」


 びくっと首をすくめて、恐る恐る俺の方を振り仰ぐリリス。


「もう! びっくりしたなぁ……紬くんに見つかったかと思った」

「いや、それで合ってるけど」

「珍しい物があるから、何なのか確認してただけ!」

「だからって何でも口に入れんな!」


 三十分ほどお茶して、可憐は先にバザールへ向かう。俺は、ただの散歩中だったことにして可憐を見送り、もう一杯珈琲を頼んだ。

 なかなか、雰囲気のいいコーヒーハウスを教えてもらったな。


「紬くんも一緒に行けばよかったのに」

「紅来と待ち合わせって言ってただろ? 可憐と一緒に行ったりしたら、またうるさそうだから」


――あいつ、いろいろグイグイ来るからちょっと苦手なんだよな。


「ふぅん……。あれ? それ、可憐ちゃんのパーカーじゃない?」


 可憐が座っていた隣の席を見ると、確かに可憐が脱いだパーカーが置かれている。普段はこんなもの着て走らないだろうから、うっかり忘れていったんだろう。


――今日はのんびりと一人でバザール見学したかったんだけど……。


「しょうがねぇな。バザールで可憐たちを探すか」


 俺はパーカーを持って店を出ると、再び葉漏れ日の道を歩き出した。

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