02-5.横山紅来 編

「あれ……紬ぃ?」


 バザール会場に着いて間もなく、後ろから俺の名を呼ぶ声に振り向くと。


「く……紅来くくるか……」

「なんでオドオドしてるのよ?」

「別に、オドオドなんてしてねぇよ……」


 してはいないが、元の世界にいる頃から、パーソナルスペースのやたらと狭い彼女には戸惑うことが多かった。

 グループで話すことが多く二人きりの場面はほとんど記憶にないが、不躾ぶしつけにべたべたと触られて当惑したことも一度や二度ではない。

 今日もさっそく、


「もう、身体は大丈夫なんだ?」


 と、俺の二の腕を擦ってくる手つきにまったく遠慮が感じられない。


「だ、大丈夫だよ!」

「ん? なぁに赤くなんてんの?」

「おまえが急に触ってくるから……」

「あれぇ? もしかして私のこと、意識しちゃってる感じ?」

「んなわけねぇだろ、ばか!」

「え~!? 紬はおしとやかな子が好みだと思ってたんだけどなぁ?」

「……え? 今、自分のことお淑やかっつった?」


 それには答えず、ふふふ、と意味ありげに口角を上げる紅来。

 一瞬、獲物を狙うサーバルキャットのような双眸にドキリとさせられる。


「ところで紬、トゥクヴァルスで何か進展はあった?」

「進展? テイムのこと?」

「違うし! 男女混合ムフフキャンプだったっしょ? それでまさか、何もなかったなんて言わないよね?」

「何もねぇよ! 勇哉や信二だって一緒だったし……いろいろ大変でそれどころじゃなかったっつの。おまえも聞いてんだろ!?」

「あ~、はいはい、そういうのはいいから……」


 と、今度は肩を組んでヒソヒソと俺の耳元で囁く紅来。


(ちょっとは何かあったっしょ? ほんとのこと言え)

(ほ、ほんとの事しか言ってねぇよ! テイムキャンプだぞ?)


 思わずヒソヒソ声で返すと、紅来は呆れたようにため息をついて俺から離れる。


「ったく、何しに行ったんだか……」

「だからテイムだっつの!」

「じゃあ、何をテイムしたんだよ?」

「そ、それは……」

「ほらっ!」

「何が〝ほら〟だよ。そもそも何かあったとしても、なんでそんなこと紅来に話さなきゃ――」

「だって、市民の恋愛って、私にとってはエンタメじゃん?」

「知らねぇよ! おまえはお姫様か何かか?」


 やれやれ、と肩をすくめる紅来。


「まあいいや。……じゃあ、どこいく?」

「待て待て。さっき偶然会っただけなのに〝じゃあ〟っておかしくね? おまえ、一人できたの?」

可憐かれんと約束してたんだけどさ。なかなか会えないし暇してたんだよね」


 あれ? 元の世界では紅来と可憐はご近所さんだと思ったけど……。

 いや、こっちでもよく一緒に登校してきてたし、そこは同じはずだ。


「二人で一緒に来なかったの?」

「可憐は走ってくるって言うから、現地集合にしたんだよ」


 え? 二人の家って二駅先だよな?

 走って、って、どこぞのスポ根少女かよ!


「それならちゃんと、待ち合わせ場所で待ってろよ……」

「場所とかないから。……ま、可憐とはいつでも遊べるし、それより偶然の出会いに乗った方が面白いでしょ?」

「俺は予定通り行動したいタイプなんだよ。今日は一人で露店巡りを――」

「はいダメ~! 今の返し、零点! そんなつまんないことばっか言ってると、私たち、ここで終わっちゃうぞ?」

「まだ始まってもいねぇよ!」

「まだ……ね♪」

「あ、いや、それは言葉の綾で……」


 その時。

 シャツが引っ張られる感覚に気付いて視線を落とすと、ポーチから手を伸ばして裾をつかんでいるリリスと目が合った。


「紬くん、お腹減った!」

「もう!? まだ十一時にもなって――」という俺の言葉を、

「そう言えば私もお腹空いたなぁ!」と、紅来が遮る。

「向こうに軽食店バールが仮設されてたから、一緒に行こっか!?」

「行く行くぅ!」


 意気投合する二人。

 そんな風にフラフラしてるから可憐と会えないんじゃないのか?


「いいのか? 可憐を放っておいて……」

「あれ~? もしかして可憐に会いたかった感じ?」

「そんなんじゃねぇよ。ただ、約束事とかいい加減にするの、気になるんだよ」

「ま、いいでしょ。可憐も謹慎中だから、来られたら来るって感じだったし」

「謹慎?」

「なんか、入山記録の不備がどうとかって、問題になったんじゃないの? それで、計画立案者の可憐が処分受けてる、って聞いたよ」

「マジかよ……」

「会えたら会おう! みたいなノリだから、私たち」

「適当だなぁ……」


 そんなんで待ち合わせって言えるのか?

 まあでも、スマートフォンがあるのが当たり前の世の中と違って、何もない時代の待ち合わせなんて案外そんな感じだったのかもしれない。

(注:そんなことはありません)


「ということで、紬でいいや、今日は♪」

「おい! 俺の意思は?」

「大丈夫。紬がなんと言おうと、私はなんとも思わない」

「なんだそれ!? マイペースにも程があるぞ!」

「嫌なの?」

「そうは言ってないけど……」

「ならいちいち文句言うなよ、ツンデレめぇ」

「イタタタタッ!」


 人差し指を俺の二の腕に突き刺すように、グリグリと押し付けてくる紅来。


「わ、分かったから! 行くから!」と、紅来の指を振り払う。

「く、紅来の、そういうとこだぞ!」

「何が? あ~そうそう! 可憐にあげようと思ってたんだけど……」


 と、紅来がコサッシュの中から何かを取り出す。


「会えないから紬にあげるよ、これ」


 渡されたのは、鈍色にびいろに光る、直径六、七センチほどのメダルだった。

 表には若い女性の横顔をかたどったレリーフが彫られている。どことなく紅来に似ている気が……。


 裏には【汝の近傍者の至福のみが汝を悪夢から解放する】と彫られていた。


――悪夢? 解放? なんのことだ?


「これは?」

「一昨日、王都に行ったときの土産だよ。なんかの祝祭の記念メダル」

「なんかの祝祭、って……つか、なんで俺に?」

「だからぁ、可憐が来ないからって言ってんじゃん」

「べつに今じゃなくても後であげればいいじゃん。近所なんだろ?」

「いいじゃんべつに! なんとなく紬に持っててもらいたくなったんだよ」

「可憐の分は、いいの?」

「自分用のをあげるから平気」

「それじゃあおまえの分が無くなるんじゃ……」

「いちいちうるさいなぁ! 大して欲しくもなかったのに、親にむりやり持たされたの! 無駄にデカいし邪魔だったんだよ」

「わ、分かったよ。じゃあ、ありがたく……」


――つか、邪魔だった物を押し付けられただけ?


「は~や~く~っ! 軽食店バールに行こうよぉ」と、再びリリスの催促。

「おっ! そうだね! じゃあ付いて来い、紬!」

「お、おいっ!」


 紅来が、俺の右腕に自分の左腕を絡めてくる。


「だから距離感! 変だってば!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る