05.リリス編 その肆
ドンッ! と、胸を突き飛ばされたような衝撃。
――な、なんだ!?
大した力ではなかったが、もともと不安定な体勢で屈んでいたこともあり、俺はバランスを崩してベッドの下へ派手に転がり落ちてしまって。
勢い余って、キャスターチェアの脚に思いっきり後頭部を打ちつけ、ゴンッ! という鈍い音とともに星が飛ぶ。
「アァ――ッ! いたたたたぁ――……なにすんだよ、馬鹿リリス!」
「ご、ごめん……思わず……。でも、まあ、ほら……どうせ夢だし……」
ベッドの上で上半身を起こし、それでもリリスにしては珍しく、申し訳なさそうに顔を伏せて俺から視線を逸らす。
「夢でも痛いんだよ! ……っつぅか、どうしたんだよ急に?」
「な……なんていうか、まだ心の準備ができてなかったっていうか……」
「いやもう、それこそ夢なんだし、この際どうでもいいだろ!」
「どうでもなんてよくないよ! 紬くんは、私とのファーストキスなんてどうでもいいって言うの?」
――俺はファーストキスじゃないんだけど……。
「とにかく……その、なんだ? サキュバスの本懐みたいなもんを遂げなきゃ、おまえは幸福になれないんだろ?」
「た、多分……そういうことだと思う」
「俺が死んだりしたらお前だって困るんじゃないの?」
「まあ、そうかもしれないけど……」
「じゃあやるしかないだろ!」
「そ、そんな……紬くんは自分のエゴで私の純情を踏みにじろうっていうの!?」
「おいコラ! 俺がいつエゴを押し通そうとした!? そもそもこんな状態になってるのはお前のストレスのせいなんだろ?」
「うぅ――……」
どうしていいか分からない、といった様子で、手元に視線を落としながらもじもじするリリス。
これはもう、キスは無理かな。
立ち上がり、リリスの頭をポンポンと撫でながら、その碧く柔らかい前髪をかき上げる。
あらわになったリリスの、幼げで、卵のように白く透き通った
「――――ッ!!」
反射的に肩を跳ね上げ、ベッドの上で飛び
壁に背を付けると、クロスさせた両手で額を隠しながら目を見開く。
「な、な、な、な、な、な、な……なにするのよっ!」
「だって、意識させたら無理そうだし、不意打ちするしかないかな、と。これくらいならファーストにもならないし……いいだろ?」
「も、もしかして紬くんって、かなりの遊び人!?」
「おでこチューくらいで大袈裟だろ! どうせ夢だし……」
しかし、夢から覚める気配は…………ない。
「やっぱり……おでこくらいじゃ、無理か……」
「つ、紬くんにとっては夢から覚める手段でしかないかもだけど、たとえおでこだって、私にとっては大切な……」
「おまえさ、何か勘違いしてるみたいだけど、別に義務感でやってるわけじゃないからな? 嫌いなやつ相手にはやらないし、こんなこと」
「えっ……ええっ?」
額を抑えていた両手で、今度は口元を抑えながらリリスが叫ぶ。
「そ、それって、紬くんが私のことを好きってこと? 私、告られてる!?」
「極端なんだよおまえは!」
同じ好きにも、〝嫌いじゃない〟から〝大好き〟までいろいろある。
リリスに対してはそれなりに好意的、って程度だろうが、ただ問題は……。
「俺の気持ちなんかより、大切なのはお前の気持ちだろ? 好きでもないやつとキスなんかしたって、幸福感なんて得られないだろうし……」
「わ……私は、好きに決まってるじゃない!」
「え?」
「す、好きじゃなきゃ、いくらサキュバスだからって、一緒の部屋で過ごしたりしないよ」
「そ、そういうもの?」
「どうせ目が覚めれば忘れるんだろうから言っておくけど……」
下におろした手でスカートの裾を押さえながら、背筋を伸ばして俺を見据えるリリス。
「好きだよ、紬くん」
な……なんだなんだ?
もしかしてこのリリスは、俺の脳が勝手に作り出した虚像?
いくらなんでも、こんなにストレートな告白を?
どこまでが現実でどこからが夢なんだ? ってまあ、全部夢なんだが……。
このリリスの告白は、この夢の世界だけのものなんだろうか。
それとも、現実のリリスからも同じよう想われているんだろうか?
「……食べ物もたくさんくれるし」
「え?」
「なんだかんだ言って、食べさせてくれるじゃん。私がお腹空いたら」
「う、うん。そうだな」
――だって、うるせーんだもん。
「だから好き」
そ・こ・か・よっ!
駄目だこいつ。
やっぱあれだ……初志貫徹だ。リリスには食いもんしかない。
「おまえが今、一番食べたい物って、何?」
「う~ん……お肉だね。特に赤味。黒毛和牛の!」
「そ、それ以外では?」
「
「わ、和牛ステーキ以外だと?」
「ん~、ステーキソースかな。山梨県産のシャトー・メルシャンを使った、和牛ステーキにピッタリの――」
――頭の中に和牛ステーキが詰まっとる。
「って言うか、紬くん……なんで食べ物のことなんて訊くのよ。夢から覚めるには、私を幸せにしなきゃならないんだよ?」
「和牛ステーキ食べたらどうなる?」
「幸せ」
「じゃあ、和牛ステーキでいいだろもう!」
これからステーキ、食いに行くぞ! と言うと、リリスが満面の笑みで頷いた。
◇
ああ……頭が重い。
経験はないが、全身麻酔の後に目覚める時はこんな感じじゃないだろうか。
ゆっくり瞼を上に押し上げる。
確か、トゥクヴァルスでキルパンサーに襲われて、そこへリリスたんが……。
って、そう! リリスはどこだ!?
慌てて体を起こし、部屋の中を見渡す。リリスはすぐに見つかった。
いつものクッションで、いつものチビメイドの状態で横になっている。
頬を指でツンツン
「ん、ううん……。あ、紬くん……もう、和牛ステーキ、きたの?」
「はあ?」
「……ん? あ、ああ、なんだ夢かあ!」
よほど良い場面で中断されたのか、リリスが悔しそうな表情でクッションにパンチを入れる。
「そういえば俺も、長い夢を見ていたような気がするけど、内容が全く思い出せないな……」
「私も、和牛ステーキのことだけは覚えてるんだけど……他は全然……」
「食べられたの? ステーキ」
「えっと、ステーキハウスで、紬くんに『ステーキ来たよ』って教えてもらって、わ――いっ! って、幸福感に満たされて……そう! そこで紬くんに起こされたんだよっ! どうしてくれるのよ!」
「夢なんて、そんなもんだろ、だいたい」
「いや、今日のは絶対に人災だよ。紬くんのせいだよ!」
三日ぶりに起きたと思ったらこれだよ! と、再びクッションにパンチを入れるリリス。
このリアクション、なんだか既視感があるな……。
「って言うか俺、三日も眠ってたの!?」
「そうだよ! ずっと寝てるから、気軽にご飯を催促できる人もいないし……ちょーストレス溜まったよ!」
夢でステーキを食べ損ねたことが相当悔しかったようだ。
まぁ、近いうちに連れてってやるか、ステーキハウス。
どういうわけか、無性にリリスを幸せにしてあげなきゃ、って気分だな、今。
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