04.すべてお見通し

「紬くん、あのチビッ子のこと、まだ引きずってるの?」

「そんなんじゃない。本来なら死刑になるはずの親の仇が、自分の知らないところで勝手に死んだなんて聞かされたら、心の整理に時間がかかるかな、って……」

「そんなに心配なら、今からだって迎えにいけば良いじゃん?」

「だからそういう話じゃないっつってんだろ! そもそも今は〝交神の儀〟とやらの途中なんだろ?」


 それにしても……と、バッカスと対峙していた可憐のことを思い出す。


 元の世界の多くの人がそうであるように、これまでの人生で刃物を持った相手と対峙したような経験はない。

 この世界ならいつかそういう場面にも遭遇するだろうと思って覚悟はしていたが、いざその場に立ち会ってみて、その覚悟があまりにもぼんやりしたものだったことに気が付く。


 この先、いつか俺にも、自分や大切な人の命を守るために他人の命を絶たなければならなくなった時、可憐のように覚悟を持って立ち向かうことができるだろうか?


「なあ、可憐……」

「ん?」

「一つ、訊いてもいいか?」

「なんだ、改まって」

「バッカスと対峙したとき……本当に殺そうとまでは思ってなかった?」

「いや……。最優先にしていたのはラルカの安全だからな。そのために、もし必要であったなら、やつを斬ることに躊躇はなかった」


――だよな……。あの時の可憐の殺気は噓じゃない。


「じゃあさ、今まで、人間でも亜人でも、その……手にかけたことは、あるのか?」

「いや、ない」


――初めてであの殺気かよ。


「じゃ、じゃあさ、最後はバッカスが勝手に死んだとは言え、追い詰めたのは可憐だろ? なんていうかこう……拒絶反応的な、抵抗感のようなものはない?」

「何の話をしているのか分からないが……悪は断罪しなければ世の安定は保てないのが道理だ。おまえは、害虫駆除の度にいちいち抵抗感を覚えるのか?」


――害虫駆除……そ、その程度の感覚?


 それが、昨日今日この世界に来た俺と、十七年間、ここの流儀や習俗を叩き込まれた者の差なのか?

 この世界で生きる限り、自分の身はもちろん、大切な人の命を守るためにもそうなるべきなのだと、理屈では理解できる。

 それが、許された世界なのだと。


 しかし一方で、躊躇なくそうできるようになった自分がまったく想像できない。


 この世界でも、元の世界と姿形や性格も変わらない仲間たちと出会えたことで、どれほど孤独感を紛らわす事ができたか分からない。

 しかし、同時に鬼胎きたいも膨らむ。

 この世界で生まれ育ったみんなと俺との間に、簡単には埋められない決定的な違いもあるのではないか、と……。


「ラルカも、食べる?」


 リリスが、俺の隣でずっと俯いたままのラルカの方へパンとチーズを差し出す。

 ……が、首を振ると、おもむろにスゥッ、と立ち上がるノームの少女。


「ラルカ? どうした?」


 しかし、俺の問いには答えず、ラルカが体の向きを変えてトタトタと歩き出す。


「お、おい、ラルカ、どこへ……」


 ラルカが、昇降穴を塞いでいる落盤の前まで歩み寄り、そっと右手を添える。

 すぐに、薄っすらと、右手を包むように現れる白く光るもや。その靄が、見る間に落盤に流れ込み、全体を繭のように包み込んでいく。


――あれは、ノームの集落へ向かう途中でメアリーもやってた魔動力!?


 やがて、重力を大きく減らされた落盤がラルカの腕の動きに合わせて徐々に動き始めた。

 メアリーが動かした落盤ほど大きくないとは言え、数メートルの一枚岩を子供一人の手で動かしている様子は、何度見ても目を疑いたくなる光景だ。

 気がつけば、落盤の奥に人一人がなんとか通れそうなほどの隙間が開いていた。


「ら、ラルカもその術、使えたのか!」


 いや、でも、待てよ? それなら何で、ウーナは集落へ戻ったんだ?

 ラルカもこの術を使えることを知らなかったのか?


 考えを整理しようと首を捻っていると、ラルカがフェイスベールを外し、こちらを振り向きながらフードを後ろにずらす。

 その下から現れたのは、薄暗がりでも輝いて見える艶やかなブロンドのショートボブとあおい瞳。そして――。


「ラルカではありませんよ」


 聞き覚えのある声で、ノームの少女が告げる。

 さっきは、涙混じりだったことに加え、フェイスベールでくぐもっていたのでよく聞き取れなかったが、今ならはっきりと分かる。

 一時間前まで聞いていたあいつ・・・の声……。


「め、メアリー!?」


 俺の口から弾き出された素っ頓狂な声が、窟内に木霊する。


「まったく! 黙って見ていればこんな岩くらいで立ち往生とか! よくそんな無様な体たらくでメアリーのお世話は要らないなどと言えたものですね」

「い、いや、って言うか、なんでラルカがメアリーに変わって……」


 リリスが、ふわふわとメアリーに近づき、その周囲を二、三回くるくる回ったあと、もう一度メアリーの目の前でピタリと止まる。


「本物だっ!」

「当たり前ですよ! よくもまあその体で、人のことをチビッ子チビッ子と連呼してくれましたね、リリッペ、いえ……クソッペ!」


 ついに、リリスの〝リ〟の字もなくなった。


「ちょ、ちょっと待て! 本当に、メアリーなのか? 出発前は、確かに別の子だったはず……」

「枝分かれの道の一つに隠れていて、出発してすぐに入れ替わったのです。ちょっと考えれば、それくらい分かるでしょう?」

「で、でも……何で、わざわざそんなこと……」

「相変わらず鈍いですね。パパのお世話をするために決まってるじゃないですか」

「お、おまえのお世話は必要ないって、はっきり言ったはず……」

「無駄ですよ」

「――え?」

「そんな嘘をついたって無駄だと言ってるんです」


 メアリーがトグル・ボタンを外してローブを肌蹴はだけると、野球ボールほどの大きさの水晶が、ネット状に編まれた袋に入れられ首から下げられているのが見えた。


――あれは確か……神水晶!?


「メアリーには、すべてお見通しなのです!」


 得意げに薄い胸を反らすメアリーを、俺も可憐も、ただポカンと見つめるのみだった。

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