03.悪・即・斬

「救いようのない悪党に、容赦は不要だろう?〝悪・即・斬〟だ」


 クレイモアを中段に構えた可憐が、バッカスを見据えながらジリリと前に出る。


「最後の警告だ。その子を離して大人しく捕まれば、命までは取らない」

「な、なに強がってやがる! この状況で俺に手出しできるはず――」

「できないと、思うか?」


 静かな、しかし、確信に満ちた可憐の寒声かんせいが窟内に響く。バッカスも必死に平静を保ってはいるが、纏う空気からヤツが気圧されているのは分かった。

 しかし、窮鼠となったバッカスも退くことはしない。


「何を言っても無駄だ! どうせ戻ったところで極刑はまぬがれねぇんだ。ここで命が助かったからって連中に引き渡されるなら結果は同じだろうが!」

「……そうか」


 短く答えて、可憐がクレイモアの切っ先を下げる。

 下段の構え。


 一瞬――。

 バッカスに捕まっているラルカの体勢を確認するように目だけを動かし。


 直後、ザッと地を蹴る音と共に、可憐が動く。

 バッカスが説得に応じるなどとはつゆほども思っていなかったのだろう。

 女剣士の初動に微塵も迷いはない。


 バッカスの死角に潜り込むような低空の突進。

 悪党の命を絡め取るために遣わされた死神の影の如く、可憐の黒髪が地を這うようになびく。


 ヤツからは、あたかも可憐が消えたように見えたことだろう。

 可憐とバッカスとの距離が、一気に詰まる。


 スピードはもちろん、メイド騎士モードのリリスに及ぶべくもない。

 それでも常人からしてみれば、可憐の格外の瞬発力もリリスの神速も、抱く脅威に大差はないはずだ。


 バッカスの瞳が、不可視の刺客を求めてせわしなく揺れる。

 羽交い絞めにしたラルカの右肩口から、足元を覗き込むようにわずかにあごを突き出すバッカス。


 刹那。


 その鼻先を何か・・が掠める。

 同時に、バッカスの眼前で渦を巻く三筋の鮮血。


 一瞬で、なたを掴んでいたバッカスの人差し指、そして中指が、第二間接のすぐ下から綺麗に消え去っていた。

 さらに、辛うじて繋がっている薬指も、皮一枚。


 針の穴を通す精確さで、鉈の柄を握るバッカスの右手を下段から刺突したのは。

 言うまでもない、可憐が斬り上げたクレイモアの切先だ。


「グオアァ――――ッ! イデェェェ――――ッ!」


 バッカスも、辛うじて得物を落とさずに粘る。

 が、思わずラルカを捕まえていた左手を離して右手の薬指を押さえた。

 まるで、これ以上の指の喪失を必死で拒絶するかのように。


 可憐は、素早くラルカの手を掴んで引き離すと、情けなく嗚咽を漏らすバッカスの左脇腹に深々と膝蹴ひざげりを突き立てた。


「ガハァ――ッ……ァァァ……」


 両手で脇腹を抱え、膝を折るバッカス。

 その双眸からは完全に、戦意は喪失していた。


いでぇ、痛ぇ……い、いのぢだげは……だ、だ、だずげでぐれぇ……」

「もう遅い。さっきが、最後の警告だと言っただろう」

「だ、だのむ……悪がっだ……許じで……許じで……」


 バッカスの命乞いを、氷のように冷え切った表情で見下ろす可憐。

 しかし、その横顔に見えるのは憐憫れんびんの感情などではない。侮蔑の情動だ。


「ここで斬りはしない。ウーナの話を聞いて、恐らく集落からも追っ手が放たれるだろう。おまえのことはノームたちに引き渡す」

「だっ……ダメだ……それじゃあどっちにしろ……俺……死刑に……」

「私の知ったことじゃない。死んだら、あの世でメアリーの両親にも土下座しろ」


 そう言って、可憐がクレイモアを鞘に収めようとしたその時だった。


「……いっ、いっ……いやだぁぁぁぁ!」


 突然立ち上がると、わき目も振らずに近くの裂け目の一つに駆け込むバッカス。


「おいっ! 待てっ! そんな所に逃げ込んでも逃げ切れな――」

「道が険しくて調査が不十分なだけだ! きっと、ここからだってどこかには抜けられるはずなんだ! な、なんとしても……俺は、生き延びて……」


 と、次の瞬間。


「うわあああああぁぁぁぁぁ――――っ!」


 裂け目の奥から響いてきたのは、断末魔のようなバッカスの絶叫。


――な、なんだ!? どうした!?


「ちょっと、見てくる!」


 俺の肩から飛び立ったリリスが、バッカスの消えた裂け目に入っていく。

 ……が、一分ほどで戻ってくると、


「すごく深い縦穴があって……途中の岩にはあいつのローブの切れ端が……」

「じゃ、じゃあ、バッカスのやつ、穴に落ちて……」

「うん、多分。……途中までは見てきたけど、紬くんの魔力圏外に出て私まで落ちそうだったから、戻ってきたよ」

「そっか……お疲れさま」


 暗闇の中、バッカスは穴に落ちて絶命したとみて、間違いないだろう。


「エッ……エッ……」


 気が付けば、俺の胸の中でラルカが肩を震わせて泣いていた。


「怖かったよな……。でも、もう大丈夫だぞ」


 しかし、俺の問いかけにラルカは首を振ると、


「メアリー……パパとっ……ママがっ……」


 涙声で呟く。

 そっか。きっと、バッカスの暴露が相当ショックだったに違いない。

 気の毒に思う反面、こんな風にメアリーのために泣いてくれる子がいるのなら、あいつが集落に馴染める日もそう遠くはないだろう、と、少しだけ安堵する。


「怪我は、ないか?」


 ラルカがぐしぐしと涙を拭きながらコクリと頷く。フードを被ったままなので表情は伺い知れないが、だいぶ気持ちも落ち着いたようだ。


「とりあえず、みんなが来るまで休んでよう」


 ランタンを拾って近くの岩に腰を下ろすと、ラルカと可憐もそれにならう。


「バッカスのやつ、殺しちゃって大丈夫だったの?」


 リリスが悪魔らしからぬ心配を口にすると、


「脱獄した死刑囚が、ウーナを斬りつけた上にラルカを人質に取っていたのだ。得物も持っていたし、正当防衛は問題なく成立するだろう」


 しかも、最後はあいつが勝手に穴に落ちただけだ。いくらこの世界の常識が違うと言っても、問題になることはまずないだろう。

 それよりも気になるのは……。


「ウーナ、本当に殺されてないよな?」


 俺の問いに、可憐は小さく頷いて、


「それは大丈夫だろう。バッカスも落盤を退けるための人手が来ることは想定して話していたし、ウーナが逃げおおせているのは間違いない」

「メアリーは、両親の仇の最期を見届けられずに、心の整理ができるかな?」

「どうだろう……。とりあえず応援のノームが着いたら、バッカスの最期については私たちからも詳しく報告してメアリーに伝えてもらうしかないな」

「だな……」


 俺が肩を落とすと、あらあらぁ~? と、パンとチーズで頬袋を膨らませたリリスが茶々を入れてくる。


「紬くん、あのチビッ子のこと、まだ引きずってるの?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る