03.くちづけ

(メアリーも、アイシテマス)


――ファッ!?


「ど、どうしたんですか?」

「い、いや……」


 今の言い方、単なる使役契約のためだけのセリフだったんだろうか?

 メアリーも珍しく顔が真っ赤だし、見た目はこんなでも中身は二十歳だ。

 女子は精神年齢も高いし、二十年も生きてりゃ異性に興味も出てくるだろう。


「もしかして今のって、愛のこくは――」

「愛の告白じゃありませんっ!」

「ゴホッ!」


 メアリーのボディーブローが的確に俺の鳩尾みぞおちを打ち抜く。


「ゴホッ、ゴホッ……い、いきなり何すんだバカ! ゴホッ……」

「パパが恥ずかしいこと言うからです」

「恥ずかしいって……ケッコンケッコン連呼してたやつがそれを言うか?」

「それとこれとは別です。ケッコンとアイシテルは、何か関係あるんですか?」

「ないわけないだろ!」

「と、とにかく、こんな儀式の言葉、いちいち真に受けないでください」

「お、俺は別に、そういうアレじゃなくて……もし真剣な言葉だとしたらちゃんと聞いてあげなきゃな、って思って確認しただけで……おまえの顔も真っ赤だし……」

「そ、そりゃあアイシテルなんて言ったのは初めてですからね。男の子を好きになったことなんて一度もないですし……」

「そ、そうなの? 二十年も生きてて?」

「二十歳なんて、ノームにとってはまだまだ子供ですよ」

「そ、そっか……そうだったな」

「誰が子供ですかっ!」

「今おまえが言ったんだろ!」


 ったく……緊張して損したぜ。

 全然いつも通りのメアリーじゃねぇか。

 相手は単なる子供だ。変に意識しないで、サラッとやればいいんだサラッと!


「では、いきますよ」


 メアリーが、半分だけ開いた瞼の奥から、潤んだ瞳で俺を見つめる。

 ランタンの灯りだけが揺らめく薄闇の中でも輝くような艶やかなブロンド。

 透き通るように白くてキメ細かい卵肌。

 吸い込まれそうな碧い瞳と、いかにも傷つきやすそうな薄い桜色の唇がゆっくりと近づいてくる。


――こ、こいつ、急に大人の女の表情に……!!


 改めて、はっきりと認識する。

 見た目は小学生でも、俺の鼓動を早めるくらいには十分なレベルの美少女であることは、認めざるを得ない。


「い、いきますからね!?」

「お、おう。来いっ!」


 俺も両手を広げると、


「そんな『やってやるぜ!』みたいな表情の人と接吻くちづけなんてできるわけないじゃないですか! とりあえず、目ぇ瞑って下さいよ!」

「お、おまえだって、開けてるじゃん……」

「こっちが瞑ったら狙いが定まらないじゃないですか! それとも、パパの方からガバッっときてくれるんですかガバッと? 無理ですよね? ヘタレですもんね?」

「くっ……」


 さすがに、見た目JS相手に俺の方からガバッといくのはダメな気がする。


「し、仕方ねぇな……」


 俺が目を瞑ると、今度は聴覚が、衣擦れの音とメアリーの息遣いから少女の接近を感じ取る。

 さらに――。


 俺の唇に、そっと、メアリーの柔らかい唇が重なって、思わず息を止める。

 そのまま、三秒……五秒……十秒……。


――あ、あれ? ちょっと、長すぎない?


 苦しくなってきて、一旦唇を離そうと上半身を後ろに引いた、その時。

 俺の首に細い腕がくるりと巻き付き、メアリーの唇がさらに強く押し付けられる。


「――!?」


 ついに我慢できなくなり『ぷはぁ――っ!』と開いた俺の口の中へ、するりと何かが侵入してきた。


――こ、こいつ、舌を!?


 メアリーが顔を斜めに傾け、慌てて閉じようとした俺の唇をこじ開けるように舌先をねじ込んでくる。

 口内を蹂躙するその不思議な生き物は、俺の舌を探り当てると、さらに絡みつくようにヌメヌメとした動きに変わる。


――な、なんじゃこりゃぁぁぁぁぁっ!?


 一瞬、メアリーを引き離そうと両腕に力を込めたが、しかし、契約の儀式であることを思い出して思いとどまる。

 詳しい段取りが分からないので、基本的にはメアリーにお任せのつもりで臨んでいたし、力もどんどん抜けるような気がして、なぜか身体が上手く動かない。


――なんだ、このテク!?


 メアリーの舌を避けるように、俺も舌だけを必死に動かすが、それが逆に、メアリーの舌技に応えるような動きになってしまう。


 こ、これじゃダメだ! そう、岩だ……俺は、岩になるんだ!



 どれくらいの間、そうしていただろうか?

 数秒か、数十秒か――?


 早鐘のように鳴り響く鼓動のせいで、永遠にも感じられた玉響たまゆらが過ぎ去ると、メアリーがゆっくりと唇を離す。

 互いの唇から伸びる透明の筋が、途中で切れて下に落ちる。


「なんだか……キスってフルーツっぽい味がするんですね……」

「それ、さっき食った石榴ざくろフルーツだ……」


 メアリーを見ると、潤んだ半眼で、まだトロンとした表情のままだ。

 目が合うと、思い出したようにもう一度顔を近づけてくる。


「ちょ……ちょまっ! ……ま、まだやるの!?」


 と、その時――。


「あっ! きたっ! きました! どんどん流れ込んできます!」

「え?」

「マナですよ、マナ!」

「マナ?」

「…………」


 メアリーが眉をひそめ、冷ややかに俺を見返してくる。


「えっと、パパ? なんのための儀式だったか覚えてますか? 本当に脳みそが壊れちゃってるんじゃないですか?」

「え? ……ああ、えっと、使役契約ね! そうそう、マナね、マナ!」

「大丈夫ですか? しっかりして下さいよ?」

「わ……分かってる。ごめんごめん、なんか、いろいろ強烈過ぎて……」


 ハア~、と大きな溜息を付きながら、乱れたローブの皺を伸ばすメアリー。

 とりあえず儀式は成功したようで、青白かったメアリーの顔に赤みが戻っていく。


「やれやれ……どうなることかと思ったけど、とりあえずこれで大丈夫なんだな?」

「…………」

「ど、どうした?」

「なんか、あからさまにヤレヤレモードになられると、ちょっとムカつきますね」

「なんだよそれ……」

「最後にもう一回、あの言葉、言ってくださいよ」

「あの言葉?」

接吻くちづけの前に言ってくれた言葉です」

「え~っと、もう、儀式は終わったんじゃ?」


 メアリーが、もう一度呆れたようにため息をついて、


「パパはあれですか? 釣った魚に餌は与えないタイプの人ですか?」

「いや、そう言うタイプじゃないけど……そんな餌、ずっと必要なわけ!?」

「あるとないとでは、メアリーのモチベーションは違いますね」


――めんどくさっ!


「ま、まあ、じゃあそれは、また今度、モチベが落ちた頃に……」

「仕方がないですね……。でも、約束ですからね! メアリーが言って、って言ったら、言ってくださいね!」


 そう言うと、すっかり元気になったメアリーが、可憐かれんたちの待っている方へ弾むように歩いて行く。

 俺もランタンを掴むと、急いでメアリーの後を追った。

 岩陰に可憐とリリスを見つけると、


「ごめん、待たせたな。もう大丈夫みたいだし、行こうか?」

「あ……ああ……そうだな。じゃあ……行こうか」と、可憐。


――ん? なんか歯切れが悪いな?


 ランタンを手渡しながら、照らし出された可憐の顔を盗み見ると、両頬を赤らめ、視線も明らかに泳いでいる。

 さらに、可憐の肩に座っていたリリスも、俺と目が合うと黙って目を逸らした。


――こ、こいつら……さては覗いていやがったな!?

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