第十八章【地底の幼精⑥】奸賊の最期
01.胸騒ぎ
大長老区域から岩壁の裂け目へ入り、幾度かの枝分かれを経て歩くこと十数分。突如、幅の広い洞窟路に出る。
「これが……昇降穴?」
「かなり広い
「横道と言うよりも、これが本洞窟ですね」
「なるほど。それにしても、ひどい臭いだぜ……」
「この奥はコウモリの巣に直結しているんです。巣の下に溜まったコウモリの糞尿からの臭気がここまで漂ってきているのです」
「そう言えば、あのチビすけもそんなこと言ってたわね」
肩の上で、リリスも顔を
チビすけとは、メアリーのことを揶揄して言っているのだろう。
「ほんと、悪臭で涙が出てきそう……」
「ポーチに入ってりゃいいのに」
「飛べるようになったからもうポーチは使わないと思って、パンとチーズで満杯にしちゃったのよ」
言われてみれば、やけにポーチが膨らんでいる。
――こいつ、いつのまにそんな作業をしてたんだ?
「あれ? 出口は反対じゃ?」
ウーナが左に曲がったのを見て声をかけると、
「本洞窟の出口はそうなんですが、地表付近がかなり高い崖になっていて、こちらから直接は上れないんです」
「じゃあ、どうやって……」
「しばらく下ると別の横道がありますので、そこから地上へ向かいます」
どうやらこの洞窟は、俺たちがノームの集落を目指していた時に歩いていた地下空洞とほぼ平行に走っているようだ。
集落に辿り着く前にもアンモニア臭を強く感じた場所があったが、あの辺りがコウモリの巣だったとすると……。
――巣までは三、四十分ってところか?
「その横道までは、どれくらい歩くんだ?」
「十分ほどですね」
よかった……。
洞窟の天井からは、数はそれほど多くはないが、コウモリの羽音やキーキーという鳴き声も聞こえてくる。
これだけですら不気味なのに、おぞましいコウモリの巣なんかへはなるべく近づきたくない。
出来る限り口呼吸のみで切り抜けようと試みるが、口腔内から咽頭を伝って込み上げてくる強烈な臭気は、完全に防ぎ切れない。
反射的に食道をせり上がってくる吐き気。
肩の上のリリスもこの臭いには辟易した様子で、
「オエ~。紬くん、ちょっと、パンとチーズ取って……」
「え? ここで食うの?」
「やっぱり、ちょっとポーチの隙間を開けた方がいいかな、と思って」
「それなら無理に食べなくても、ちょっと捨てるとか、ウーナたちに渡すとか……」
「なにもったいないこと言ってんのよ! いいから、早く取って」
「もう飛べるんだし、自分で取れよ」
「こんな場所で飛びたくないよ!」
ここで食えるくらいなら、飛ぶくらい何ともないと思うけど……。
「頼むからそこで
ウーナの言葉通り、しばらく歩くと、出てきた側とは反対側の壁面に少し大きな裂け目が見えてきた。
「ここです」
裂け目の前に着くとチラとだけ振り返り、そのまま逡巡もなく裂け目に身を滑り込ませるウーナ。
可憐と俺、そして最後尾のラルカもそれに続く。
さらにしばらく進むと、かなり通路が広くなってきた。
並んで歩けるほどではないが、人一人が立って歩くには十分な広さだ。
「多少、
「うんうん。これくらいなら、食も進むわね」
「進むって……そこまでポジティブな環境でもないと思うけど……」
その時――。
オエッ、と言いながら後ろを振り返るリリス。
「なんだ? どうした? 吐くなよ!?」
「吐かないわよ! 口の中で悪臭と食べ物が混じってちょっと気持ち悪いだけ!」
「言わんこっちゃない!」
「そうじゃなくて……なんか、後ろで足音がしたような気が……」
「足音? 魔物か?」
「分からないけど……コウモリの鳴き声が邪魔で……聞き間違いかな?」
「この辺りに魔物は出るのか?」
俺の質問に、ウーナが前を向いたまま首を振る。
「いえ、聞いたことはないですね。
グールが二体だけだったという確証はないが、ここは他のノームも地上との行き来に使っている通路だ。
もしここにも魔物が出るなら、もっと以前から騒ぎになっているはずだ。
また少し進むと、大きな部屋のような空間に出る。まるで天然の
壁には幾つかの裂け目があるので、またそのうちのどこかに潜って進むのかと思ったのだが……。
ウーナは、裂け目の前ではなく大きな岩に近づいて足を止める。
「どうした?」
「こ……これは……」
ウーナの前の岩をよく見ると、近くの岩壁の形状と見比べて、どうやらそこから崩れて倒れてきたものだと分かる。
周囲から浮いている岩色を見る限り、この状態になったのはつい最近だろう。
「もしかして、落盤?」
可憐の問いに、ウーナが大岩の周囲を確認しながら頷く。
「そのようですね。五日前に交易の者たちがここから外へ向かっていますので、こうなったのはその後……ここ数日で群発していた地震が原因でしょう」
「昇降穴は、この奥なのか?」
「はい。岩の後ろも確認してみましたが……ほとんど隙間がないので、これ以上は進めませんね」
そう言ってウーナが、あごに手を当てて少し考え込むような様子を見せるが、すぐに話を続ける。
「とりあえず、人手が必要ですね。集落に戻って結界術を使える者を連れてまいりますので、ここでしばらくお待ちいただけますか?」
結界術――。
以前、メアリーが巨大な落盤を動かして見せた、あれをやるのか。
――って、まさか!
「メアリーを呼ぶのか!」
「メアリー?」
「ああ、いや、えっと……セレピティコ?」
「いえ。シャーマン様は今、交神の儀の最中だと聞いています。他にも結界術を使える者はおりますので、ご安心ください」
「そ、そっか……」
一体、俺は何を期待しているんだ?
仮にメアリーだったとしても、せっかく覚悟を決めて出てきたのに、こんな所で会ったらまた別れが辛くなるだけじゃないか。
「ラルカは、ここでみなさんと一緒に待ってて」
ウーナに声をかけられたラルカが、ランタンを持ったまま黙って頷く。
では……と言って、たった今来たばかりの窟路を戻っていくウーナ。
すぐに、ウーナの姿もランタンの明かりも、闇の向こうへと溶けていった。
「何だか、胸騒ぎがするよ」
一緒にウーナを見送っていたリリスが、肩の上でボソリと呟く。
「胸ヤケだろ?」
「む・な・さ・わ・ぎっ! さっきの足音、やっぱり気になるな、って……」
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