09.ブランチェスカ
「お、おまえ……さっきの……」
賊は、俺たちをこの
Tシャツとショートパンツを身に着けた可憐も、こちらへ近づきながら、
「なんだか、部屋が煙たいな?」
「神経系に作用するお香か何かみたいだな。だいぶ薄まったけど、さっき吸い込んだ時はかなり頭がガンガンしたから。……そんなことより、おいっ!」
ジャンバロの
うっ、と苦しそうな呻き声を上げるが、構ってはいられない。
「メアリー……いや、セレップをどこへ連れていった!」
質問に答える代わりに唇の端を吊り上げるジャンバロの様子に、言いようのない不安感を覚える。
掴んでいた手で乱暴に突き放すと、今度は立ち上がって賊の横腹を思いっきり蹴り上げた。
「うがあっ!」
俺はいたって平和的な男だ。物心ついてから人を蹴った記憶もない。
そんな俺が、今は躊躇なくジャンバロを蹴りつけている。
事態は一刻を争う……そう、本能が警鐘を鳴らしているからだ。
早くメアリーの無事を確認したいという渇望、その焦燥感の前に、俺の平和主義などいとも簡単に消し飛んでいた。
可憐も、俺の隣でジャンバロを
「メアリーの行方を喋るまで、一本ずつ指の骨を折っていく」
そう言ってジャンバロの体を横へ向けると、後ろ手に縛られている指の一本を、無造作に
「うぅ、お、おいっ! や、ヤメロ!」
顔を真っ青にしながら……かどうかは薄暗くてよく分からないが、明らかに恐怖の滲んだ声色で可憐に懇願するジャンバロ。
――可憐のやつ、マジでへし折る気か? 蟹の脚を食べるのとは訳が違うんだぞ!?
そう思ってハラハラしながら見ていたのだが、
「や、ヤメロ! しゅ、守護家の連中が連れていった! ……お、俺は、大長老の指示で、催眠香を焚いていただけだっ!」
あっさり口を割るジャンバロ。しかも、聞いてもいないことまで。
特に、訓練された戦闘員というわけでもないのだろう。
可憐の拷問に目を閉じそうになっていた俺自身のことは棚に上げて、情けなねえやつだなぁ、と、ジャンバロのことをせせら笑う。
それにしても……。
ジュールバテロウやレアンデュアンティアと言った守護家の連中が要警戒であるとは思っていたが、大長老たちまで嚙んでいるのか!
バッカスが、メアリーに向けていた劣情の視線を思い出して胸ヤケを覚える。
「メアリーに、何かいかがわしいことでもさせる気か!?」
「い、いかがわしい? 何を想像してるのか知らんが、そんな話じゃない。セレップは生贄として選ばれたんだ。その使命を全うさせると言っていた」
――生贄?
その時、入り口の方でギィ――ッ、と扉の開く音がした。
振り返ると、薄闇の向こうからこちらを覗き込む人影が一つ。
あれは……。
――ブランチェスカ!?
中央
ちょうどいい。俺も、こいつらに話を聞きたいと思っていたところだ!
「おいっ! どういうことだ!? 約束が違うぞ!」
しかし、俺の問いには答えず、ゆっくりとブランチェスが足を踏み入れる。
クンクンと鼻を鳴らして部屋の臭いを嗅ぎ、続けてジャンバロに、
「なんだ、この濃度は? こんなに薄いのでは、目を覚まされるのも無理はないのぉ、ジャンバロよ」
「は、はい……申し訳ありません。あまり焚き過ぎると、脳に影響がでることもあると聞いておりましたので……」
「誰がそんなことを考慮しろと言った? 殺さなければ良いと申したはずだが?」
「はっ! 申し訳ありません……」
結局、このジジイもとんだ食わせ者だってことか。
「おいっ! 話しているのは俺だ! 質問に答えろ!」
ブランチェスカが、ジロリとこちらへ鋭い視線を向け直す。
その瞳には、
だが今は、この老妖精の、心の有り様をのんびり推し量っている時間はない。
「ガウェインの話では、メアリーの意思さえ変わらなければ地上に連れて行ってもいいって……そう言う約束じゃなかったのかよ!」
「約束は
「連れ去っておいて何言ってんだ! 意思が確認できないように引き離すなんて
「だから、連れ去ってなどおらぬと言っておるのだ」
「なにぃ? ……まさか、メアリーが自ら進んでこのテントを出て行ったなんて言うんじゃないだろうな?」
「そうだ……と言ったら?」
「有りえない!」
夕飯のあと、あんなに無邪気に地上のことを質問していたのに?
俺たちとの暮らしに、あんなに楽しそうに思いを馳せていたのに?
メアリーと出会って……ようやく心からの笑顔を見せてくれていたのに!?
「メアリーに会わせろ!」
「出来ぬ」
「な、なぜだ!?」
「そなたたちに引き止められれば、セレピティコの決心が揺らぐやも知れぬ。これはあくまでもノームの問題なのだ。人間の言葉で判断を曇らせるわけにはいかぬ!」
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