10.不条理

「そなたたちに引き止められれば、セレピティコの決心が揺らぐやも知れぬ。これはあくまでもノームの問題なのだ。人間の言葉で判断を曇らせるわけにはいかぬ!」


 今度は、後ろで話を聞いていた可憐が前に出てブランチェスカに詰め寄る。


食人鬼グールは私達がほふりました。これ以上、なぜ生贄を必要とするのですか?」

「もう他に、グールがいないと、そなたは断言できるのか?」

「それは……。しかし、仮にいたとしても、あの横穴の抜け道を通ってくる事は不可能でしょう?」

「……そういう問題ではないのだよ」


――そう言う問題じゃなければ、どんな問題だって言うんだ!?


「一度下された神託は絶対なのだ。仮に、セレピティコの命を助け、神託に従わぬままグールの脅威から逃れることができたとしたら……どうだ?」

「どうだと言われましても……僥倖と言うべきではありませんか?」

「違うな。神託に従わずとも災禍を免れた前例は、すなわち神託が外れたことを意味するのだ」

「神託の絶対性が……疑われかねない、と?」


 可憐の呟くような答えを聞きながら、ようやく俺にもノームたちの考えが分かってきた。


――なるほど……そういう理屈だったのか。


「神託は決して誤ることのない、唯一無二の絶対的なしるべ。それがあったからこそ、我々は争うことなくこれまで平和を享受してきたのだ」

「じゃあなにか? グールのことなんて関係なく、神託を神託たらしめるために、メアリーは自ら犠牲になることを選んだと……そう言うことか?」


 俺の問いを、ブランチェスカは冷徹な眼差しで受け止めながら、


「疫病が広がれば病人をしいたげる。飢饉になれば食料を奪い合う。外敵に襲われれば我先にと逃げ出し、矢面に立つことを押し付け合う。持つ者はおごり、持たざる者は妬む……人間もノームも、それは一緒じゃろう?」

「そんなやつばっかりじゃねえよ!」

「どうだろうな? そうだとしても、そういう者がいることも事実だ。争いを起こさぬためには、個人の利害を超えた超然的な神の導が必要なのだ」

「そのためなら、幼い少女の犠牲もいとわないってことか?」

「不条理に見えるかも知れん。しかし、各々おのおのが各々の権利を主張し合い、折り合いが付かねば後は争うしかないであろう」


 確かに、人類の歴史は戦争の歴史でもあると言っても過言ではないかもしれない。

 しかし――。


「争えよ」

「……なんじゃと?」

「納得いかないなら争えばいいじゃねぇか! 互いに主張をぶつけ合い、皆が幸せになれるように現実と折り合いを付けていくのが社会ってもんじゃないのか!?」

「野蛮じゃな」

「なにも、拳で殴りあえって言ってるわけじゃない。とことん話し合って最適解を導き出すために、言葉があるんじゃないのかよ? それが知恵ってもんだろ!?」

「幸せとは相対的なものだ。完全な平等など有り得ない。それぞれが幸せを感じるには、現状に足ることを知る必要があるのだ。神の意思こそが、我々を平等たらしめ、皆で幸福を享受するための唯一の導なのだ」

「みんなだと? メアリーはどうなる? あいつはみんなの中に入れてもらえないのかよ?」

「神の意思の前では贄となることもまた平等。大いなる輪廻の視点から見れば、我々の命の長短など些末な問題に過ぎない」

「ならテメエが生贄になれよ! よってたかって女の子に苦痛を押し付けて、残った者たちだけで『神様のおかげだ』と喜ぶのか? ただの思考停止じゃねぇかっ!」


――俺は、認めねぇぞ! 絶対にだ!


 再び、俺の横で可憐が口を開く。


「生贄を捧げたからと言って、災禍から逃れられるとは限らないのでは?」

「因果など心の持ちようだ。疫病が流行り、生贄を捧げたにも関わらず百人が死んだとしよう。そこで生贄などなんの意味も無いと見切りをつけるか……」

「……あるいは、生贄のおかげで百人で済んだと思うか?」


 先回りして答えた可憐を、ブランチェスカがジロリと一瞥して続ける。


「そうだ。神の卓見の前に、個人の主観など無意味であろう? 神託は理想の未来を実現する導ではない。選び得る最善の道を示すもの。そしてそれは、皆が神託の絶対性を認めているからこそ実現できるのだ」


 ブランチェスカの説明に、しかし、可憐がさらに食い下がる。


「ならば……生贄などという野蛮なものでなくても、他の供物でもよいのでは?」

「大きな災禍を退ける対価が、軽々しい犠牲であっては神まで軽んじられよう」


 ようやく分かった。

 災禍を退けるための神託なんかじゃなかったんだ。

 いや、もしかしたら最初はそうだったかもしれない。


――でも今は?


 神託こそが唯一無二の選択肢であると、どうすればみんなで信じていけるのか……完全に手段と目的が逆転してやがる!

 こんな茶番で作り上げた虚像に神の意思もヘッタクレもあるかっ!


「自分たちで考える事を放棄して、女の子の犠牲なしじゃ権威も保てないような神託にすがって生きるなんて……まるで、進歩を諦めた抜け殻の集まりじゃねぇか!」


 俺の言葉を聞きながら、ブランチェスカは目を閉じ、ゆっくりと首を振る。


「いくら話しても……平行線じゃな」

「はあ? 肝心要かんじんかなめのメアリーがいない場所で勝手に悟ってんじゃねえ!」

「だから、これはセレピティコの意思でもあると言ったであろう?」

「メアリーの意思なんて、いつ確認したんだよ?」

「催眠香はノームには効かぬ。そなたたちが眠っている間にセレピティコにはきちんとことわりを説き、彼女にも納得の上でにえの儀式へとおもむいてもらったのじゃ」


 平行線――。


 確かに、このじじいとこれ以上話していても時間を浪費するばかりで事態は絶対に好転しない。確かに、平行線だ。


 メアリーが納得しただと?

 そんな話、はいそうですかと納得できるはずがねえだろ!

 ブランチェスカが零した〝贄の儀式〟という言葉に、言いようのない不安が募る。


――くっそ! もう、自分で探すしかない!


「リリス! 一緒に来い!」

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