08.仄暗い水の底へ

 ――川を越えられるまでに、なんとか自力で抜け出さないと!


「可憐! 大丈夫か!?」

「あ……ああ……」


 暗闇で表情をうかがい知ることは出来ないが、あの可憐のものとは思えない弱った声に、心臓がズキンと痛む。

 可憐の腰に食い込んでいたグールの右手を思い出す。


 大きなダメージを負っていた左手で掴まれている俺ですら、これだけ苦しいんだ。

 あれだけ強く握られては、可憐の苦しさは相当なものだろう。


「リリス? いるのか?」

「う、うん。でも、ぎもぢわるい……オエッ……」


 ――悪魔でも乗り物酔いなんてするのかよ!?


「でっかくなれるか!?」

「無理だよ! でっかくなるだけでも、一秒で百五十程度の魔力は消費するからね? 数秒で紬くん死んじゃうよ?」


 ――だよなぁ。


 数秒って、正確にはどれくらいなんだろう?

 リリスの剣技で、この手だけでもなんとか外せないだろうか?


 気が付けば、ほんのりと明るく光る物体が視界に入ってきた。


 ――切り株のトーチか!


「可憐! 聞こえるか? 可憐!」

「…………」


 気を失ったのか?

 くっそ……時間がない!

 川を越えられたら、助かる見込みはほぼ無くなるだろう。


 ――仕方ない、一か八かだ!


「リリス! でっかくなってこいつの指を切り落とせ! 足を狙って転ばせるだけでもいい!」

「だから無理だって! 今の紬くんの魔力じゃ折れ杖おれつえーすら呼び出せるかどうか怪しいのよ!?」


 六尺棍……そっか、忘れてた。

 普段は膨大な魔力のおかげで気にも留めていなかったが、あれを出すだけでもそれなりのコールコストが必要だったんだ……。


 グールが、走りながら転がっていたケイブドッグの屍骸・・・・・・・・・を蹴り上げる。川は目前だ。


 ――万事休すか!?


 その時。


 グールの目の前で、けたたましい爆裂音と共に、眩い炎の柱がブワッと立ち上る。

 激しい熱風でバランスを崩し、前のめりに倒れるグール。

 爆炎が、俺と可憐の体をも包み込もうと襲い掛かってくるが、転倒直前にグールが前方へ放り出してくれたため、二人ともギリギリで炎を避けることができた。


 ――これは……メガファイア!?


 いや、弱っているとは言えグールの走る速度はかなりのものだったし、ましてや足を怪我している立夏が追いつけるはずがない。

 なら、これは……。


 ――そうか! カウンターマジック・・・・・・・・・


 そう言えば、紅来の仕掛けたトラップがもう一つ残っていたっけ!?

 さっき、ケイブドッグの死骸を蹴り上げた時に、それが発動したんだ!


 上半身だけを起こし、振り返ってグールを確認する。

 背中で小さな炎がプスプスと燃え広がっているが、動く気配はない。


 死んだのか?

 いや、そんなことより!


「かれ――ん! 聞こえるかぁ? どこだぁ?」


 立ち上がり、周囲を見回してみるが可憐の姿がない。


 グールが転倒する時、俺と一緒に宙に放り出されたのは視界の隅で捉えていた。そんなに遠くへ飛ばされたはずはないんだが……。


 薄暗がりに目を凝らし、耳を済ませる。

 小さくなってゆく延焼音に替わり、はっきり聞こえてきたのは流水音。


 ――まっ、まさか!?


 急いで川辺へ駆け寄ると、黒い物体が流されていくのが目に留まる。


 ――あ、あれは……可憐!


 グールに放り投げられ、そのまま川へ落ちたのだ。


「かれ――ん! 聞こえるか? かれ――ん!」


 しかし、俺の声に反応することなくゆっくりと川へ沈んでいく可憐。

 流れも速い。

 青ざめた可憐の顔が水面みなもから消え、川底を転がるようにさらに下流へと押し流れて行く。


 トーチの明かりが届くのもそろそろ限界だ。

 これ以上もたもたしていたら見失ってしまう!


 川へ向かって地面を蹴りがなら、


「リリス! 川に飛び込むぞ!」

「もう飛んでるじゃん!」


 わずかな浮遊感。

 すぐに、ザバァ――ンという入水音が耳朶じだを打ち、冷たい地下水が俺の身体を包み込む。一気に奪われてゆく体温。


 急いで川底の可憐を抱き上げて、一旦水面に顔を出す。


「プハァ――ッ! か、可憐! しっかりしろ! 可憐!」


 早く岸に上がろうと見渡すが、すでに川の両岸はトーチ付近のような低い川原ではなく、切り立った岩壁に変わっていた。

 いや、両岸だけじゃない。


 ――天井もか!?


 地下空洞のエリアを越え、川は反対側の壁に空いた穴へと流れ込んでいく。

 徐々に天井が迫り、顔を出せる隙間も少なくなって……。


「可憐……ゴボッ! 可憐……ゴボッ! かれ……ゴボボボッ……」


 最後に大きく空気を吸い込んだ直後、ついに、俺と可憐の顔が完全に水没した。

 可憐を抱きかかえたまま、真っ暗な水中洞窟を流されてゆく。

 二人の服の下で、ほんのりと輝くライフテールの光。


 ――また、みんなと逸れちまうのか……。


『ほんとおまえは、逸れるのが好きだな』

『ほんとあんたは、逸れるのが好きね!』


 同じセリフを吐く勇哉と華瑠亜の顔が交互に蘇ってきて、思わず口元が歪む。

 

 ――ほんとだよな。せっかく合流できたのに、また俺だけ……。


 いや、俺だけじゃない!

 可憐を抱き寄せ、唇を重ね、わずかに残った空気を二人で共有する。


 しかし……それも長くは持たない。

 徐々に苦しくなり、ついに耐え切れなくなって可憐から口を離す。

 肺が酸素を求めて口をパクパクと動かすが、体内へ流れ込んでくるのは冷水のみ。


 薄れゆく意識の中、可憐の胸の光が次第に弱くなっていくのが見える。

 恐らく、俺のライフテールも同様だろう。


 ――好きで逸れてるわけじゃないんだよ、ほんと……。


 冷たくなった体と共に、俺の意識はゆっくりと、仄暗い水の底へと沈んでいった。

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