03.縄梯子

「多分、迷い込んだ食人鬼グールがこの空洞内で独自の進化を遂げたんだ」


 紅来くくるが、優奈ゆうな先生に代わって早口で説明する。


「進化? って、そんな簡単にできるもんなの?」

「魔物は一般鳥獣に比べて適応や進化のスピードが段違いだからね。常識でしょ?」

「へいへい。常識常識――」


 その時。


「見えたぞ!」


 緊張に、わずかな安堵が入り混じった可憐かれんの声。

 ようやく崩落現場の前に到着だ。


 改めて松明たいまつで照らしたそこには、大小の岩礫がんれきや落盤が不安定に折り重なり、小山のように積み上がっていた。


 ――俺も最初、この上の何処かで気を失っていたのか。


「ここを登ったところに縄梯子が一つ掛けてある。勇哉ゆうや歩牟あゆむは、先に行って上で待機しててくれ」


 テキパキと指示を出す可憐。


「はあ? 最初は女子からだろ? 俺たちは最後だ」


 おとこらしさをアピールする勇哉に、可憐が首を振る。


「上にザイルを置いてきただろ? あれで立夏りっかを引っ張り上げるんだ。腕力のあるメンバーじゃなきゃできない」


 足首が固定された立夏の足では、痛みがなくとも縄梯子を上るのは時間がかかるだろう。もちろん、患部にとっても無理をさせることは好ましくない。


「わ、分かった!」


 理由に納得すると、勇哉と歩牟が急いで土砂の山を上っていく。

 立夏が、俺の耳元で、


「……降りる」

「いや、その足じゃこの土砂を上るのは厳しいよ。上まではおぶっていく」

「あたしも手伝う」


 華瑠亜かるあが引き続き、立夏を後ろから支えてサポート。

 可憐が足元を照らす中、手を繋いだ紅来と優奈先生、そして最後に、立夏を背負った俺と華瑠亜の順番で慎重に土砂の山を上る。


 安定しているようでも、足を乗せてみるとスケートボードのようにぐらりと揺れる落盤も多い。転んで高い場所から転落でもすればそれこそ大惨事だ。

 急ぎながらも慎重に歩を進める。


 その時。


「近づいて来てる! 多分、あいつ!」


 緊張で強張ったリリスの声。


「来たか……。あと、どれくらい?」

「分かんないけど……まだ五分ごぶん目くらいだと思うよ」


 五分目? まだ半分くらいまでしか来てないってことか?


「どれくらい余裕がある?」

「なんせ五分目だからね。まだまだガツガツ食べると思うよ」


 ――はあ? 


「誰があいつの胃袋の余裕を聞いてんだよ! 時間だよ時間! あいつがここに来るまでの!」

「そ、そんなの分かんないわよ私だって! 二分か三分か、あるいは五分か……もしかしたら十分以上かかるかもしれないし」

「……つまり、まったく把握できてないってことだな」


 はっきりしてるのは、とにかく可能な限り急げ、ってことだ。


 一、二分ほどで、岩礫の頂上付近――縄梯子の下に到達した。

 見上げると、松明を咥えた勇哉が、縄梯子から上層の地盤に這い移るところだった。勇哉の姿が完全に隠れると、続いてに紅来が上り始める。

 ほぼ同時に、赤と緑のまだらのザイルが目の前に垂れ下がってきた。


「立夏を固定してくれ!」


 上から歩牟の声が響く。

 U字に垂らされた部分で二つの輪を作って立夏の両肩を通し、最後にカラビナで固定。優奈先生が魔道杖を立夏に渡し、のんびりとした口調で声をかけた。


「はぁ~い! 上げていいわよぉ~」


 ギュルギュルギュル、という擦過さっか音が響き、出番の終わったマリオネットのように、立夏の体が一気に引き上げられる。

 その間にも、紅来に続いて華瑠亜が縄梯子を上り始めていた。


 立夏が上に着くと、ほどかれたザイルが再び下に垂らされ。


「もう一人、いけるぞ!」と、歩牟の声。


 可憐が、ザイルを掴みながら俺の方を振り向いて。


つむぎ、先生を固定するから手伝って」

「お、おう!」

「……え?」と、優奈先生が、胸の前で慌てて両手を振りながら、

「先生は引率なんだから、みんなが登ってから最後に――」

「いいからっ! 先生はすぐにザイルで!」

「うっ……」


 可憐の迫力にたじろいで、黙ってザイルに繋がれる優奈先生。

 脇が締め上げられた分、対照的に強調されるEカップの存在感に俺もたじろぐ。

 しょんぼりと上がっていく先生を眺めながら、なんだか可哀想になり……。


「なあ可憐、もうちょっと、言い方を柔らかくしても良かったんじゃないか?」

「そんな、悠長にしていられる場面じゃない」

「そりゃそうだけど……」

「紬は、縄梯子を下りる時の先生を見てないから分からないんだよ」


 ああ――……。

 まあ、それを言われると、なんとなく想像はつくが。


「リリス、あいつは今、どの辺りまで来てるんだ?」

「分からない。だいぶ近づいてたとは思うんだけど……突然音が消えたから」

「消えた? どこか別の場所に移動したのか?」

「分からないけど、音が消えた場所はかなり近かったと思うよ」


 もしかすると、ケイブドッグの群れを追って行ったとか?

 食人鬼とは行っても、この空洞に特化して順応したなら、犬食主義イヌタリアン.になっていたとしてもおかしくはない。


 華瑠亜が軽やかに縄梯子を上り切ったのと同時に、再びザイルが垂らされた。

 下に置いてあった松明を拾い上げ、可憐がザイルに掴まる。


「私はこっちで上げてもらうから、紬は縄梯子を使え」

「ザイル、固定しようか?」

「いや、掴まるだけで大丈夫だ。それより、紬も急げ」

「ああ、分かった」


 俺が縄梯子を上り始めるのを見て、可憐も上を仰いで叫ぶ。


「上げてくれ!」


 ザイルがピーンと伸びた瞬間、可憐の体が一瞬宙に吊られるが、すぐにザイルを掴んでいた右手がズルリと滑って外れた。


 ほら、言わんこっちゃない。

 いくら脳みそプロテインの可憐とはいえ、長時間に渡る地底のミッションで見えない疲れも溜まってるんだ。


 俺も一旦、登りかけた縄梯子から手を離して飛び降りる。


「やっぱり固定を……」


 そう言いながら可憐の方へ向き直った俺のすぐ目の前――鼻先十センチほどの距離に、突然ニョキっと現れたのは……。


 ――可憐の顔!?


 でも……あれ? なんでこんな近い位置に可憐の顔が?

 いや、そんなことより……距離よりももっと不自然なことがある。


 可憐の顔が、逆さま・・・なのだ。

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