03.拠点

 近づくと、岩壁にもたれかかり、両足を前に投げ出すような体勢で腰を下ろしている立夏の姿が浮かび上がってきた。

 俺のすぐ後ろから、


「紬が気がついたよぉ」


 紅来が声を掛けると、うつむいていた立夏がゆっくりと顔を上げる。

 炎の灯かりが揺れる眠たげな双眼。小さく引き結ばれた唇。

 紅来と同じようにところどころ土で汚れているが、いつも通りの無表情な立夏にほっと胸を撫で下ろす。

 

「立夏、怪我は? 大丈夫なのか?」

「うん……。足首、捻ったみたい」


 ミニスカートから伸びる華奢な両足。しかしその先、ミドルブーツを脱いだ左足首は、明らかに右足のそれよりも太い。


 ――酷く腫れているな。捻挫か……。


 元の世界で学校行事の遠足に出かけたとき、山道で足を挫いて応急処置を受けたことがある。

 あの時は確か、患部の固定とアイシングをしてもらったはずだけど……。


「氷属性の魔法とか、使えたりする?」

「ううん。私は火属性だけ」

「二系統の属性なんて上級職の魔導師ウィザードでもなければ無理だよ」


 横から紅来が説明を差し挟む。


「痛み止めは飲んだのか?」

「うん」

「そっか。でも、歩くのは極力控えた方がいい。痛みがなくても捻挫は捻挫だ。無理をすると後遺症が残る場合もあるから」


 立夏が、黙って頷く。

 かえって無理をさせてしまう可能性もあるし、痛みを感じないというのもよりけりだな。


「予備の松明は、何本残ってる?」

「未使用のは二本」


 一本で二時間と考えて、四時間分か。

 当然無駄遣いはできないし、松明以外の物で暖を取る必要があるな。


「燃やせる物がないか、少し辺りを探索してくる」

「一緒に行こうか?」


 紅来の言葉に俺は首を振りながら。


「いや、紅来はここで待っててくれ」


 盗賊シーフ探索系技能サーチスキルは便利だろうが、これ以上こんな寂しい場所に立夏を一人にしておくのは後ろ髪が引かれる。


「近くを探索してくるだけだ。すぐに戻ってくる」

「分かった。気をつけてね」


 ――さてと。


 とりあえず、みんな命に別状がなかったことは不幸中の幸いだ。何メートル落ちたか分からないが、大した怪我がなかったのも奇跡に近い。


 差し当たって問題なのは、水や食料もそうだが、この気温だな。

 オアラ洞穴の窟内気温は一年を通して約十二℃。この地下空洞も同様なのかは分からないが、かなり肌寒いのは間違いない。

 なんとか火の確保だけはしておきたいんだが……。


「かなり広そうだね……」


 左肩に座ったリリスが呟く。


「そうなのか? なぜ分かる?」

「悪魔は夜目が利くから、だいぶ遠くまで見えるんだよ」


 なるほど。

 松明を掲げてみたが、墨を流したような暗闇が横たわるばかりで広さの見当がつかない。ここへ落ちる前に辿っていた、狭い鍾乳洞とは明らかに異質の空間だ。


 壁沿いに五分ほど進んだところで、リリスが両耳に手を当てながら、


「何か聞こえる」

「またコウモリじゃないだろうな?」

「違う違う!……水の音……川?」


 さらに進むと、俺にもパシャパシャと水の流れるような音が聞こえてきた。そこからすぐに、音の出所に突き当たる。


 ――地下水脈か!


 岩の裂け目から水が流れ出し、目の前を横切るように流れる川。地盤に浸み込んだ地下水ではなく、本流ごと地下に潜り込んでいるような印象だ。


 川幅は平均で三メートル程度だろうか。流れもそこそこ速い。侵食が進んでいるのか水深もかなりありそうだ。

 地下水脈……と言うよりは地下河川と表現した方がいいかもしれない。


 一旦松明を置き、手で水をすくって一口飲んでみる。

 飲み口が柔らかい、癖の無い軟水。


 立ち上がって松明をかざし、改めて周囲を見渡してみる。川に流されてきたのか、大小の木片があちこちに溜まっているのが見えた。

 触れてみると、少し湿気はあるものの何とか燃やすことはできそうだ。地下のわりには湿度もそれほど高くはないし、探せば乾いた木片も見つかるかもしれない。


「この辺りに拠点を移そう」

「立夏ちゃん、動けるかな」

「さっきの場所から……十分かそこいらだろ? それくらいならおぶって歩けるさ」

「紬くんは大丈夫なの? 体の痛みとか」

「うん、問題ない」


 手足をグリグリと動かしてみるが、魔法薬のおかげか、もう痛みはほとんど感じなくなっていた。


「そう言えば、落ちた直後、他の皆の声とか聞こえなかった?」


 来たルートを引き返しながらリリスに尋ねる。


「私も少しの間、意識が飛んでいたから……。息苦しくて目が覚めたら、紬くんと紅来ちゃんの間に挟まれて潰れてたんだよ」

「悪かったな。おまえまで巻き込んじまって……」


 俺の言葉に「ん?」と、不思議そうな顔で首を傾げるリリス。


「俺だけでも逃げておけば、おまえだって一緒に助かったはずだろ?」

「ああ~、そのことね……」


 あの瞬間、リリスの存在がどれだけ頭に残っていたのか、はっきりと思い出せない。

 ただ、あの場面で紅来を見捨てて逃げるなんていう選択肢は、今改めて思い返しても考えられない。


「でも、紬くん、揺れ始めた時にポーチを前に回して守ってくれたじゃない?」

「そう……だったっけ?」


 とにかく、地震が始まってからはいろいろと無意識に行動していたらしく、自分でも細かくは思い出せない。


「うん。あれがなかったら私も、瓦礫の下でペチャンコになってたかもしれない」

「それも、ゾッとしない話だな」

「それにさ……」

「ん?」

「あそこで紬くんが紅来ちゃんを見捨てて逃げるような男だったら、正直ガッカリだよ。そうなってたら、紬くんを誘惑する計画も抜本的に見直させてもらってたわ」


 そう言えば、そんな計画があったんだっけ、こいつには。


 その時、左の頬に何か柔らかい物が当たる感触とともに、チュッ、という特徴的な音。


 ――えっ!?


 思わず横を見ると、


「お、お礼よ、お礼!」


 リリスが肩の上で、照れたようにペロッと舌を出している。


 ――キスされた!?


「なんだ、急に……!?」

「あ、あれだよあれ! 紅来ちゃんの真似? サキュバスの血が騒いだってゆーか……」

「そう言えばそんな設定もあったな」


 ただの食いしん坊将軍かと思ってた。


「あ! でも勘違いしないでね? 私がサキュバスだからって、寝てる間にエロいこととかしちゃだめだよ?」

「しねーし!」

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