第十章【オアラ洞穴③】潜入開始

01.林道

 シルフの丘――元の世界なら家族連れが気軽に訪れていそうな、遊歩道の整備された低山だ。今、その入り口に全員で集まっている。

 山頂付近はいつも強風が吹いてるため、風の精霊を祀るという意味で付いた地名らしいが、オアラ洞穴の入り口は遊歩道をれた脇道の先にあるので、頂上へ向かう必要はない。


「みんな、準備はいいか? 忘れ物はないな?」


 可憐かれんの呼びかけで、D班の六人が自らの装備を再確認する。

 ポーション係は俺とうららだ。


「では、先生、行って来ます」

「はい。みんな、気をつけてね!」


 可憐の挨拶に、先生からのエール。

 道端の岩に、歩牟あゆむと一緒に腰掛けていた勇哉も手を振りながら。


「紬ぃ! そのチーター、役に立つのかぁ?」

「チーターじゃねぇ! パンサーだ!」


 茶化してきた勇哉に下向きのサムズアップを掲げつつ前に向き直ると、すでに可憐を先頭に、D班全員がゆっくりと脇道を進み始めていた。

 未整備で道幅も狭いが、意外と多くの人が行き来してるのか、路面はしっかりと踏み固められていて雑草も少ない。

 道の両脇には、クヌギやアオダモ、サンショウと言った夏の草木が生い茂る緑林が広がっている。

 

 最後尾の俺の目の前では、金髪に近い茶髪のツインテールが、歩みに合わせて左右に揺れていた。

 華瑠亜とは、今朝から一言も口を利いていない。


 洞穴まで、約十五分か。気拙いなあ……。


(紬くん、なんとかしたら?)


 リリスか……。

 少しだけ首を回し、肩の上のリリスを流し見る。


(悪魔は、こういう負の感情ギスギス、好物なんじゃないの?)

(悪魔は悪魔でも、私はサキュバスなんだから! 普通の悪魔らしくはないわよ)

(サキュバスらしくもないけどな)

(と、とにかく、私も胃が痛いんだから、勝手にギスらないでよね!)


 そのわりにはよく食うよな……。

 つか、こいつに言われるまでもなく、このままじゃ課題にも集中できないだろう。

 洞穴に着くまでには、せめて口くらい利いてもらえるようにしないと。


「おい、華瑠亜?」


 恐る恐る声を掛けてみるが……返事がない。

 蝉の鳴き声に掻き消されたのだろうか。


「華瑠亜――!」


 さっきより少し大きな声で呼んでみるが、やはり無反応。

 間違いない。無視スルーモード継続中だ。


 それにしても――。

 立夏から口移しの話を聞いたとして、そもそも何で華瑠亜が怒る?

 あの時は必死だったし、よこしまな感情を抱く余裕なんてなかった。仮にあったとしたって、華瑠亜がここまで不機嫌になる道理もない。


 ああ、もう、めんどくさい!

 せっかく関係も改善しかけてたのに、またあの戦闘準備室の状態に戻るの?


 ――マジ勘弁!


「おいっ! 華瑠亜ってば!」


 今度はさらに大きな声で名前を呼びながら、同時に華瑠亜の肩を掴む。俺の声に驚いた他の四人と一緒に華瑠亜も振り返り――。


「何よ! さっきからうるさいわね!」と、その表情にぴったりのとがり声。

「ちゃんと聞こえてんじゃん! 返事くらいしろよ!」

「そんなのあたしの勝手でしょ!」


 俺たちの様子を見て、可憐が、


「私たちは先に行こう」と、他の皆に声を掛ける。


 ここは俺たち二人で解決させた方が良いと判断したのだろう。指揮能力もあって空気も読める,完璧なリーダーだ。

 もっとも、四人のうち紅来ひとりだけは、心の底から残念そうな顔をしていたが。


「一体何なんだよ、今朝からずっと。俺が何かしたか?」


 皆が林道の先へ姿を消したのを確認して、再び華瑠亜を問いただす。


「自分の胸に手を当ててよぉ――く考えてみなさいよ!」

「もしかして、立夏からテイムキャンプの話、聞いたのか?」


 華瑠亜の肩がびくっと跳ねる。

 間違いない、立夏から口移しの件を聞いたんだ。


「そ、そうよ。テイムキャンプで頑張っているかと思えば、何よ、破廉恥な!」

「何をどんな風に聞いたか分からないけどな、あれはただの応急処置だし、そんな半廉恥な事を考えてる余裕なんて――」

「知ってるわよ! 聞いたわよっ!!」

「じゃあ何で怒ってるんだよ!?」

「知らないわよ!」


 んな、理不尽な……。


「話は全部聞いたけど、それでもイライラするんだから仕方がないじゃない!」

「何でそんなに? 俺の行動、間違ってた?」

「間違ってるとか間違ってないとか、そう言う問題じゃないの!」

「じゃ、どういう問題なんだよ?」


 華瑠亜が、何度も何かを言いかけて唇を開いては、また閉じる。

 自分でも考えがまとまっていないけれど、それでも何かにイラついている……そんな感じだ。


「あんたの行動は立夏を助けるためだったんだろうけど……でも、あんただって満更でもなかったんでしょ!?」

「なんだよそれ? 俺が喜んで立夏とキスしたとでも!?」

「き、き、き……きすぅ!?」


 華瑠亜が固まる。


「や、やっぱりキスなんじゃない!」

「言葉の綾だろ。あれは単なる救命措置だ。そんな色っぽいもんじゃねぇよ」

「でも、やっぱり嬉しかったから、思わずキスなんて言葉が出たんじゃないの?」

こだわるなぁ……。嬉しいなんて気持ち、全くなかったってば」

「じゃあ嫌々だったの?」

「嬉しいだとか嫌だとか……そんな状況じゃなかったんだって! 命の危機だったんだぞ!?」

「つ、紬くん? 立夏ちゃんとキスしたの!?」


 リリスも、肩の上で驚きの声を上げる。

 そういや、リリスにとってもこの件は初耳だったっけ。

 でも今は、こいつまで相手にしている余裕はない。


「あれはそんなんじゃないってば!」と、思わず大きな声を出してからハッとする。

「ご、ゴメン……」

「わ、私はいいんだけどさ……どうするのよこれ? 収集つかないよ!?」


 とにかく、華瑠亜が何に怒っているのか、ここまで話していてもまだはっきりしない。それが分からなければ収集のつけようもない。


「もう一度聞くけど……華瑠亜は何に怒ってるんだ?」

「分からないけど、とにかくイライラするのよ。女の子と……その……唇を重ねるのって、やっぱり特別じゃない? 」

「そうかもしれないけど……そうじゃない! あれはそんな話じゃない」

「まったく? 何にも? 下心はなかった?」

「ないね。そんなこと考えてる余裕なんてなかった」

「信じられないわね!」


 はあぁ……と、俺の口から大きな溜息が漏れる。

 俺に、何かよこしまな心があってあんな行為に及んだと……こいつはそう考えて怒っているのだろうか?


「じゃあ、どうすりゃ信じてくれるんだよ?」

「立夏に対して下心がなかったことを証明すればいいのよ」

「そんなの、悪魔の証明じゃん」

「悪魔はいるじゃん、そこに!」とリリスを指差しながら、

「やっぱり下心もあったってこと!?」

「そういう意味の言葉じゃないだろ!」


 紬くん、落ち着いて!と、リリスにいさめられてなんとか気持ちを落ち着ける。


「じゃあ、どうするんだよ? このまま、合宿中も、学校が始まっても、ずっと口もきかずに過ごすつもりか? 」

「そ、そんなの……私だって望んでないけど……」

「じゃあどうする? 何をしたら納得してくれんの?」


 束の間、沈黙が流れ、そして華瑠亜がぼそりと呟いた。


「……てよ」


 刹那、ワシャワシャワシャワシャ……と、蝉の鳴き声が一頻ひとしきり大きくなり、華瑠亜の声を掻き消す。


「ごめん、何? よく聞こえなかった」


 もう一度、今度は俺の耳にも届く大きな声で、華瑠亜が告げた。


「キスしてよ!」

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