06.ラッキーなんとか

 ゆっくりと初美を床に下ろすと、戻したはずのタオルが再び肌蹴て片乳が露になっている。


「紬くん……何度も何度も初美ちゃんのおっぱい見ちゃって、イヤラシイ!」

「ちげ―し! 見てね―し! タオルを巻いてるだけなんだから、気をつけて運んだって大概こうなるわ!」


 もう一度、肌蹴たタオルを元に戻す。


「真面目なフリしてこっそり乳首を見ちゃうとか……昔からそういうとこあるよね、紬くん」

「まだお前と出会って一ヶ月ちょっとだろ」


 端から見ればラノベや深夜アニメにありがちなラッキーなんとかイベントだが、すぐに優奈先生を連れて華瑠亜も戻ってくるはずだ。

 今の絵面えづらを二人に目撃される展開を考えれば、ラッキーどころか大ピンチじゃね?


 とにもかくにも、まずは応急処置!


 本当はすぐにでも、濡れたタオルを乾いた物と交換したいところだったが、さすがにそれを俺がやったら社会的に殺される。

 とりあえず、小さめのタオルを水で絞って初美の額の上に載せた。


 気が付けば、初美の黒髪が、慌てて元に戻したタオルの下に潜り込んでいる。……甚だ不自然だ。

 急いで髪を引き抜いてタオルの上に出しつつ、乾いたタオルで首や腕など、露出している部分を拭いていると……。


 バタバタと足音がして、華瑠亜に連れられた優奈先生と、さらにうららも一緒に脱衣所に入ってきた。


「初美! 大丈夫!?……ってあんた、なにしてんのよ!?」


 初美の上半身を拭き終わり、続けて足を拭いていた俺に向かって華瑠亜が怒声を浴びせる。

 

「え?……って、これは、違っ……」

「いま、初美のタオル捲って中を見ようとしてたでしょ!? 変態、変態、変態!」


 すぐにリリスが――。


「大丈夫だよ華瑠亜ちゃん。紬くんが見たのはおっぱいだけだから。しかも左側だけ!」

「見てねーし! おまえも半端なフォローすんなっ!」


 最後に入ってきた先生が、


「黒崎さん! どうしたの!?」


 心配そうに声を掛けるも、まだ初美の意識は戻ってない。


「のぼせて失神したみたいです。今、体を拭いて頭を冷やしてるところです」

「ど、ど、どうしたらいいかな、綾瀬君!?」


 生徒に指示を仰ぐとか、どうなってんだよこの先生!


 ……と普通なら突っ込んでるところだが、教師らしさを期待して先生を呼んだわけじゃない。

 トゥクヴァルスで一緒に過した経験から、これくらいのことは想定内だ。


「とりあえず、先生は回復魔法ヒールをお願いします」

「う、うん、分かったよ」


 先生が初美の上でステッキを構え、回復魔法ヒールの詠唱を始める。


「華瑠亜と麗は、濡れたタオルを取って体を拭いてやってくれ」


 頷く二人。

 のぼせた時は、頭や足は冷やしても、湯冷めをしないように体の保温は必要だ。


「拭き終わったら乾いたタオルをかけておいて。体を冷やさないように。俺のタオルも置いておくから、必要だったら使って」


 そう言い置いて、急いで脱衣所を後にする。

 あとは女子だけの方が介抱もし易いだろうし、これ以上バカリリスのせいで話がこじれても面倒だ。


 肩に乗せたリリスが俺の耳元で、


「ちょっとぉ……弁解しとかなくて大丈夫なの? おっぱいを見た件、ばれちゃったじゃん」と心配そうに呟く。

「誰のせいだよ!」


 まあいい……何か聞かれたら正直に話すだけだ。


 勝手場の隣のリビングでは、立夏りっか紅来くくる可憐かれんの三人が食卓の支度をしていた。

 表からは、定期的にパカン、パカンと乾いた音が聞こえてくる。

 勇哉と歩牟は薪割りでもしているようだ。


「初美は、大丈夫か?」


 部屋に入った俺に気付いて、可憐が声をかけてきた。


「ああ。のぼせて失神しただけだ。すぐに意識も戻ると思う」

「って言うか、つむぎ……その傷……」


 紅来がダイアーウルフの歯形を見て息を呑む。

 そっか。忘れていたけど俺、Tシャツも脱いだから海パン用のハーフパンツ一枚だったんだ。


 夏とは言え、長い間、濡れたままでいてはさすがに体温も奪われる。

 体が思い出したようにブルッと震えた。


「少しぬるめのミルクでも用意して脱衣所に持ってってやって。意識が戻ったら、水分補給が必要になると思うから」

「分かった」


 可憐が小鍋にミルクを入れて炭火で温め始める。

 立夏が、窓際に乾しておいた自分のタオルを取って渡してくれた。


「よかったら、これ……」

「あ、ありがと」


 お礼を言って受け取ると、肩の上のリリスと一緒に立夏のタオルで髪と顔を拭く。

 この、ほんのりと鼻腔をくすぐるジャスミンの香り……立夏の匂いだろうか? 昔、どこかで嗅いだことがあるような気がするな。


「それにしても、のぼせた時の対処とか、よく知ってるね?」


 感心したように尋ねてきたのは紅来だ。

 風呂上りで、いつもの編み下ろしの髪をほどいているせいか、少し大人っぽい。


「ああ、まあ、ちょっとね……」


 この世界では長湯の習慣はないようだが、元の世界で何度か、お疲れモードの親父おやじが湯船で寝てしまったことがあった。

 応急処置についてネットで調べたりした記憶があったので、今日はその経験が役に立った。


 ま、それはともかく、これ以上この格好でいたら俺も風邪をひきそうだ。


「部屋で、着替えてくるよ」


 廊下に出ると、脱衣所から誰かが出てくるのが見えた。

 ――華瑠亜だ。

 寝巻き代わりなのか、Tシャツとショートパンツというラフなスタイルに変わっている。


「あ、紬……これ、着替え」

「おう、ありがと」


 脱衣所に置きっ放しにしていた着替えを持ってきてくれたらしい。

 ラッキーなんとかの件で何か言われるかと思ったが、どうやら落ち着きを取り戻してくれたようだ。


「で……初美は、どう?」

「うん。さっき、意識が戻ったとこ」

「そっか。ミルク温めてもらってるから、落ち着いたら飲ませてやって。のぼせたのなら脱水症状になってるだろうから」


 じゃあまた、と、背を向けて階段を上りかけると、再び「紬っ!」と呼び止められた。


「ん?」

「さっきは……何ていうか、なかなか頼もしかったよ、雑魚ザコのあんたにしては」


 照れ臭そうに視線を逸らす華瑠亜。

 憎まれ口を付け足さずに褒めることはできないんだろうか?


「うちの親父も風呂で倒れたことあってさ。その時の経験が生きたよ」

「そっか……」


 そんな事を言うためにわざわざ呼び止めたんだろうか?

 階段の上を指差しながら、


「じゃあ、俺、ちょっと着替えてくるから」と、再び背を向ける。

「うん……。ああ! その……えっと……」

「何だよ!」


 もう一度振り返って華瑠亜を見下ろす。

 ――なんだ? 珍しく歯切れが悪いな、こいつ。


「紬のこと……ちょっと、見直したかも!」


 何とも言えない奇妙な表情で、絞り出すように華瑠亜が言った。

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