05.決めゼリフ
「そっか……だから、Tシャツなんて……」
まあ、胸部から二の腕にまで広がる大きな傷だ。合宿のような場でなくても、何かの拍子に見止められることは十分にあり得る。
今さらだけど、こんなものを隠し通そうとしていたこと自体、そもそも無理があったのかもしれない。
「べ、別に、〝だから〟ってわけじゃないぞ」
「治ったって聞いてたから、傷跡も消えたのかと……」
「あの時は内臓や骨の修復に手一杯で、皮膚の傷まで手が回らなかったみたいでさ」
「そう、なんだ……」
湯気ではっきりとは見えなかったが、沈んだ声のトーンが、
「そ、そうよね。やっぱり、見られたくないよね」
「いや、この傷のことはもう、何とも思ってないぞ」
半分、本当だ。
全く気にならない……と言えば嘘になるが、普段は服で隠れる部分だし、これはこれで歴戦の勇者みたいで悪くない。
中学二年くらいまでなら、こんな傷を持ったヒーローに憧れたことがある男子も少なくないだろう。
「じゃあ、なんでずっと、Tシャツ脱がなかったのよ」
「それは、ほら、いくらおまえでもさ、これを見ちゃったらさすがに気にするだろ? 一応、俺なりに気を使ったっていうか……」
「何よ〝さすがに〟って……。普通に気にするわよ!」
うん。
いつものように憎まれ口も出ているし、それほど心配することもないか?
「ま、まあ、あんまり気にすんな。あんなことになったのも、元はと言えば戦力になれてなかった俺のせいだし」
「そ、そうね……それが分かってるなら、いいんだけどっ!」
「そうそう。自業自得みたいなもんだよ、これも。はははは……」
ほんと、傷のことくらいさっさと伝えておけば良かったか。
相手の性格にもよるだろうが、華瑠亜に対しては下手に気を使うよりも、オープンに接していた方が良い関係を築けそうだ。
「……がと」
ん?
何か華瑠亜が呟いたようだが、よく聞こえなかった。
キョトンとしてる俺を見て、もう一度華瑠亜が口を開く。
「ありがと!……って言ったの!」
照れ臭そうにプイっと横を向く華瑠亜。
「な、なんだよ、らしくねえな。お礼は前にも言ってもらったし、もう、気にしなくていいって――」
「べ、別に、傷のことだけじゃないわよバカ!」
「え?」
「助けてくれたこともそうだけど、その後もいろいろ気を使ってくれたこととか……と、とにかく、そういうの全部ひっくるめてよバカ!」
「お礼を言うのか
華瑠亜がそんなことでお礼なんて、今夜は雪でも降るんじゃないか?
いやそれより、こんなコテコテのツンデレキャラが実在したことに驚きを禁じえない。
と、そのとき。
「あっ……!」
華瑠亜が手を滑らせて持っていた桶を床に落とし、派手な音と共にお湯をぶち撒ける。流れてきたお湯が足に触れた瞬間――、
「つ、冷たっ!」
俺はその冷たさに、思わず床から足を離した。
水じゃんこれっ!
「な、なんで水なんて持ってるんだよ!」
「あ、あれ~?」と、ほっぺを人差し指で掻きながら視線を逸らす華瑠亜。
「もしかしておまえ、これをぶっかけるつもりだったんじゃないだろうな!?」
「そ、そ、そんな子供っぽいこと、す、するわけないじゃん!」
思いっきりどもっている。
「それ以外に、おまえが水を持って後ろに立っていた理由が思いつかないんだけど」
「夏なんだし、それくらいイイじゃない。……ほんの冗談よ。じょ・お・だ・ん!」
やっぱりあの水、俺にかけるつもりだったんだこいつ!
そう言えば元の世界でも……。一緒にプール掃除の手伝いをさせられた時、華瑠亜にホースで水をぶっ掛けられたことを思い出す。
世界線が変わっても行動パターンは変わんないな、おい。
「前言撤回だ。この傷のこと、一生言い続けるぞ」
「あ! 男が一度口にしたことを、もう
とそこまで言って、不意に華瑠亜の言葉が止まる。
「い、一生……?」
「へ?」
「あんた今、一生言い続ける、って……まさかあたしを、よ、嫁にしようとでも!?」
「いやいやいや! 別に深い意味はないって!」
「大丈夫だよ華瑠亜ちゃん。……紬くん、あの傷、結構気に入ってるみたいだよ」
湯船の縁に頬杖をつきながら、俺たちのやりとりを眺めていたリリスが口を挟む。
「は? そこまで肯定的に受け入れてもいないぞ」
「そぉ? 私に胸の傷を見せながら『おまえはもう、死んでいる』とか、キメ顔で言ってたじゃん」
「死んでる? 何よそれ?」
華瑠亜が眉根を寄せる。
〝北斗の麺〟を知らない人にとっては、確かに物騒なセリフだろう。
「メン……シロウ」
突然、初美の心地良いアニメ声が浴室内に響く。
――そう、一子相伝の〝北斗ラーメン〟を継承した男が悪の組織に立ち向かう大人気世紀末アニメ、北斗の麺。
『おまえはもう、死んでいる』とは、胸に七つの傷を持つ主人公、 メンシロウの有名な決めゼリフなのだ!
さすが初美、かなり昔のアニメなのによく知ってるな。
「……って、あれ? 初美は?」
湯船に浸かっていたはずの初美の姿が見えない。
俺の声を聞いて華瑠亜もキョロキョロと辺りを見回す。
そのとき。
突如、リリスの緊迫した声が浴室に
「初美ちゃんがっ! 沈んでるよっ!」
はあ――ぁ!?
急いで湯船へ駆け寄ると、視界に飛び込んできたのは、湯面に広がった黒髪の下で鼻からプクプクと気泡を出している初美の姿。
のぼせて失神でもしたのか!?
「華瑠亜! 優奈先生呼んできて!」
「う、うん、分かった!」
先生――っ!と叫びながら遠ざかっていく華瑠亜の足音を聞きながら、湯船に飛び込んだ俺は初美の両脇に手を差し入れる。
〝メンシロウ〟と呟いてからまだいくらも時間は経ってないし、お湯はほとんど飲んでいないだろう。
急いで初美の体を引き上げた瞬間、彼女のタオルが
正確に言えば、少年漫画に出てくる女湯シーンのように、長い黒髪が上手い具合に大事な部分を隠してはいたのだが……。
なんだこりゃあぁぁぁっ!
大事な部分が見えていようがいまいが、不測の事態が俺に与えた衝撃は計り知れない。
動揺する俺を見上げながら、リリスが叫ぶ。
「Youはshock!!」
「やかましいっ!」
反射的に肌蹴たタオルを元に戻すと、初美を抱きかかえて脱衣所へと駆け込んだ。
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