11.雨宿り

「すぐにみそうだし、もう少し待ってみる?」


 また、初美が小さく頷く。

 続けて鞄からファミリアケースを出すと、左手の指輪で軽く叩いた。

 飛び出してきた黒い球体が、黒いミニワンピの人型に変わり――。


「クロエだにゃん!」


 知ってるにゃん。

 こいつはいちいち名乗りを上げる仕様なんだろうか?


 もっとも、衝撃の事実が明らかになった直後だけに、俺ももう少し話を聞いてみたいと言うのもある。

 初美も同じ気持ちかどうかは分からないけど、わざわざクロエを出すということは会話をする意思はあるのだろう。

 予定外の雨宿りも、丁度良い機会かもしれない。

 

しずくが初美を知っていたってことは、何度か家に来たことがあるの?」

「小学校の低学年位までは、お互いの家に頻繁に行き来してたにゃん」

「そうなのか……じゃあ、ほんとに幼馴染ってやつじゃん」

「そうだにゃん。お風呂だって一緒に入ったことあるにゃん!」


 初美が顔を赤くしてクロエの背中をひっぱたく。

 ああ……使い魔に、そういうツッコミもアリなんだ。


「じゃあ、こっちの俺は何で恋の相談を華瑠亜なんかにしたんだろ? グループで遊びにいくくらい、直接初美を誘ってもよさそうなもんだけど……」

「一緒に遊んでいたのは小さい頃だけだし、この世界でも同じだったとしたら綾瀬くんも恥ずかしかったんじゃにゃいの?」

「俺がそんなことを恥ずかしがるかなあ?」


 ……とも思ったが、下手に昔を知っている分、初めて話す相手よりも照れ臭かったというのはあるかも知れないな。


「初美んだって綾瀬くんより少し早く転送されただけだし、この世界の初美んについては想像するしかないけどにゃん」


 雨宿りを始めて五分も過ぎると、雨足もだいぶ弱まってきた。

 これなら、もう少しで歩き出せそうだな。

 空を見上げながらそんなことを考えていると――。


「綾瀬くんは……」


 不意に話し出したクロエに少し驚いて初美の方を見る。

 相変わらず初美は俯いたままだが、クロエがいれば自分から声をかけたりもするのか。


「え~っと、紬でいいよ。俺も下の名前で呼んでるし……幼馴染なんだし」


 初美が驚いたように少し目を大きくしたあと、頬を赤らめる。

 照れたように咳払いをしたあと「紬くん」……と、再び話し始めるクロエ。


 初美の咳払いは必要だったのか?


「何?」

「こっちの世界に来て良かったと思ってるにゃん?」

「ん~、来たばかりの頃はさすがに、どうすんだよこれ? とは思ったけど……」


 チート、ハーレム、そして俺TSUEEE……。

 最初はことごとく期待を裏切られ、絶望に打ちひしがれて……とまで言ったら大袈裟かも知れないが、相当気分が滅入ったのは事実だ。


「今は、どうにゃん?」


 ――今?


「今は……こっちの世界も悪くはないな、とは思えるようになってきたよ」

「元の世界より?」

「いや、比べることなんてできないけどさ……少なくとも最初みたいに『帰りたくて仕方がない』って気持ちは、ほとんどなくなったな」


 見ず知らずの土地に一人きり、なんていう異世界ではなく、改変されたとはいえ、元の世界の人間関係が引き継がれた並行世界だったことは不幸中の幸いだった。

 これまで過ごしてきて、それなりに大事なものも出来た。この世界に長くいればいるほど、それはこれからも増えていくんだろう。

 

 当面の目標――それは、ここでの生活に早く慣れること。


 初めてリリスに会って、はや一ヶ月が経とうとしている。

 いつかまた元の世界へ帰れるかも……なんていう根拠のない期待は一度忘れて、覚悟を決めるべき段階なのかもしれない。

 このままいけば、この世界に骨をうずめる可能性も十分あるだろう。


 夕立が止む頃には、残りわずかの夕日と入れ替わるように、夜のとばりがすぐそこまで迫っていた。


「行こっか」


 声をかけながら道に出ると、初美もハッした表情で軒下から追いかけてきた。

 と、次の瞬間、少し足を滑らせてよろけた初美の体を咄嗟とっさに支える。


「ああ、ほら! 石畳したも濡れてるし慌てなくていいから」


 思わず右手を差し出してから、自分の行動にハッとする。


 なに手を繋ごうとしてんだよ、俺!?


 一瞬、初美もびっくりしたように固まったが、恐る恐る左手を差し出して俺の手を握り返してきた。

 こうなったらもう、今さら引っ込めるわけにもいかない。

 初美の肩に乗ったクロエがこちらを向いて――。


「久しぶりに二人ににゃれたんだし、もうちょっとどこかで話したいにゃん」


 初美が、顔を真っ赤にしてクロエの頭をパシンとひっぱたく。

 女の子に直接言われたならドキドキするような言葉だけど、猫語のクロエを通じて聞くと、なんだか茶化されているような気になるな……。


「そのぶっちゃけ精霊、もうちょっとなんとかならないの?」


 俯いたまま、汗マークを飛ばす初美。

 極端に口数が少ないのも大変だろうが、本心を隠せないというのもまた、コミュニケーションにおいては重大な弊害になりそうだ。

 駅から近いこともあり、付近に食事のできそうな店は何軒かある。


「その辺で、何か食べていく?」


 もう少し話したい……そんなクロエの言葉をスルーしてこのまま送るのも無粋な気がして、一応訊いてみると――。

 どうせ断られるだろう、という予想に反して「行くにゃん!!」と、乗り気の返事。


 行くんだ!?


「じゃあ、幼馴染おさななじみ復活記念、ってことで、どこか寄って行くか」


 近くの居酒屋に入り、空いている席で向かい合って座る。

 テーブルの上に一つだけ置いてあったメニューを二人で覗きこんで料理を注文すると、給仕係が最後に「お酒はどうします?」と訊ねてきた。


 この世界では十四歳で成人し、お酒も解禁となる。

 自宅では食事の時に何度かワインも飲んでいたが、外でも当然のように飲めるという事実に、急に大人になった気分になる。


「どうする?」と初美に向き直ると、彼女の肩の上で、ぶんぶんと必死に首を左右に振っているクロエが目に入った。


「初美んがお酒を飲むと、大変なことになるにゃん! 隠しイベントが発生するから、やめた方がいいにゃん!」


 初美の返事……というよりも、やけにクロエの実感がこもっている気がする。

 俺がこの世界に来るまでの二ヶ月間で、すでにお酒で失敗した経験でもあるのだろうか。

 結局、飲み物はそれぞれバターミルクとアーモンドミルクを注文する。


 そのあとはクロエをケースに戻したこともあり、俺が一方的に話すだけになってしまった。

 この世界に来てからの俺の苦労話を、初美もずっと黙って聞いているだけ。


 今まで愚痴る相手もいなかった俺の方は結構すっきりできたけど、初美はどうだろう?

 まあ、ニコニコと楽しそうに笑っていたし、今日はそれで良しとしよう。

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