10.幼馴染

「じゃあ、駅まで送るよ」


 俺が腰を上げると、うらら初美はつみの二人も荷物をまとめ始める。


 リリスは知らないうちに寝ちゃってるし、置いていくか。

 いつにも増して緩みきった寝顔……打ち明けイベントをクリアした解放感はことのほか格別だったのかもな。

 

 三人で表に出ると、生暖かい風がじめりとほほに貼りついてきた。

 西の空では、夕陽に蓋をするように徐々に広がる灰色の雲。

 駅までは、早歩きなら十分程度の距離だが――。


「傘、持ってく?」

「ううん、大丈夫。船電車ウィレイアに乗っちゃえば、あとは濡れたって家に帰るだけだしね。……初美は?」


 麗に訊かれて初美も首を振る。


「じゃあ、雨になる前に、急ごう」


               ◇


 雨模様の中、歩調も自然と急ぎ足になる。

 道すがら、前を歩く麗と初美の後姿を眺めながら――。


「麗のアンケート結果に基づいてこの世界が改変されたってことはさ、疑問点は麗に確認すれば大体分かるのか?」

「ん~、ある程度は答えられるかもしれないけど……それは、アンケートって言うよりL・C・Oをやってたから、って感じかな。分からないことのほうが多いよ」


 やっぱりか……。

 世界の構成要素――ほぼ無限にあるようなその一つ一つを数百の質問だけで網羅するなんて土台無理な話だ。


 それ以外の部分はどうなっているのか?

 そこは、この世界で暮らしながら紐解いていくしかないだろう。


 駅に着くと、きびすを返した麗がにこやかに手を振ってきた。


「送ってくれてありがとう。じゃあ、またねっ!」

「うん、またな」


 俺も手を挙げると、目の前で初美も手を振り始める……麗に向かって。


 ……って、あれ? おかしくない?

 なんで初美まで麗を見送る体勢になってるんだ?


 駅へ向かいかけた麗が再び足を止め、横顔を見せるように振り返ると「そうそう、忘れてたあ~」と、芝居がかった口調で話しかけてきた。

「初美の家、紬くんちの近所だったね! ちゃんと最後まで送っていきなよぉ」


 ……はあ?


「昼は、駅で二人で待ってたじゃん!?」

「昨日、私が紬くんと駅で待ち合わせてるって連絡したら、初美も一緒に、ってことになったのよ」

「なんで教えてくれなかったんだよ!?」

「だって、今日の話を聞くまで紬くんに初美の記憶がないなんて知らなかったし」

「だとしても、分かった時点で教えてくれても……」


 俺の渋面を見ても、まったく悪びれる様子もなく舌をペロッと出して見せる麗。

 再び背中を向けて階段を駆け上がりながら――。


「またねぇ、紬くん。初美のことは頼んだぞっ!」と、後ろ手で手を振りながら構内へ姿を消した。


 麗のやつ、あの様子じゃ、わざと話さずに楽しんでいたに違いない。

 家が近いかもとは聞いていたが、これまで外で見かけるようなこともなかったし、まさか最寄り駅まで同じご近所さんだったとは……。


 麗の姿が見えなくなると、今度は初美がくるりとこちらへ向き直る。

 俺と目が合うと、頬を赤くしながら慌ててうつむく初美。


 一瞬、二人の間に流れる微妙な沈黙……。


「じゃ、じゃあ、行こっか? 家まで送るよ」


 しかし、初美が首を振って空を指差す。

 見上げると、遠くに見えていた夕立雲がいつの間にかすぐ傍まで迫ってきていた。


 もう、いつ降り出してもおかしくない。

 雨模様だから送らなくてもいい、とでも言いたいのか?


「大丈夫、家が近いなら、降ったって走って帰るよ。 もしかしてしずくが初美のことを知ってたのって、昔からよく遊んだりしてたからとか?」

「あ……ん……あぅ……」


 俯いたまま、首を縦や横に落ち着きなく動かす初美。


 一度にいろいろ訊き過ぎたか?

 初美に話す時は、短く答えられるような質問を一個ずつだな。

 一問一答形式で。


「家は、どっちの方向?」


 初美が指差した先を見ると、今来た道からは少しずれている。恐らく、自宅同士は隣の町内くらいの位置関係なんだろう。


「じゃあ、行こっか」


 声をかけると初美も頷く……が、一向に歩き出そうとしない。

 どうやら、俺が歩き出すのを待っているようだが――。


「俺、初美の家知らないし、先に歩いてもらわないと送れないないんだけど……」

「あう……」


 慌てた様子で駆け寄り、俺の隣に並ぶ初美。


「もしかして俺たちって、いわゆる幼馴染おさななじみみたいな関係?」


 初美が『どうなんだろう?』と言うように、少し首を傾げて考える。

 続けて二、三度小さく頷いたのは……『まあそうかな?』って意味か。

 初美が俺に慣れるまで、表情と首の動きから答えを推測する必要がありそうだ。


 考えてみれば、初美の記憶だって元の世界での話だ。

 この世界でも幼馴染なんだろう……と言うのは、二つの世界の相関性や、いもうとの態度などから推測しただけに過ぎない。

 ボロが出ないよう、帰ったら黒崎家とはどんな付き合い方をしていたのか、家族にもさりげなく訊いておいた方がよさそうだ。


 と、そのとき。


 ついに、ポツ、ポツと生ぬるい雨粒がほほに当たり始める。

 慌てて、初美と近くの民家の軒下へ避難した。

 直後、一気に雨足が強まったかと思うと、すぐにバケツをひっくり返したようなどしゃ降りに変わり、石畳いしだたみを激しく打ち鳴らし始める。


 遅めの夕立ゆうだち

 この世界、下水はあっても雨水貯留設備などがあるわけじゃない。元の世界と比べ、決して水けが良いとは言えない石畳の道に、みるみる雨水が溜まっていく。

 一気に、周囲に立ちめる雨の匂い。


「まいったな……。わりと激しいね」


 温暖化問題とは縁遠いこの世界では、ゲリラ豪雨のような降り方は滅多にない……と思って高をくくっていたのだが、滅多にないとはいえ皆無ではない。

 この世界に来て約一ヶ月、ここまで猛烈な雨は初めてだ。


「こっちでこんな激しい夕立、珍しいよな……」


 雨の音のせいで聞こえなかったのか、俺の呟きに答えもせず、小川のようになった通りをボオ――ッと眺めている初美。

 俺も、ここで無理に会話をしようなどとは思わない。


 ――そう、普段の俺なら。


 でも今は、同じ転送組・・・で、しかも幼馴染という彼女にどこか連帯感のようなものを感じて、もう少し話してみたい衝動に駆られていた。


「ここから初美んちまで、歩いて何分くらい?」


 初美が右手を差し出してパーの形に広げる。


「五分くらい?」


 うなずく初美。

 走ったとしても、初美の上げ底のローファーに、水が溜まった石畳という条件を考慮すれば、それほど大きな短縮は望めないだろう。

 逆に、転んで怪我をして、かえって遅くなる可能性も普段よりはずっと高い。


 西の空も明るくなってきたし、恐らくそれほど長くは降らないだろう。


「すぐにみそうだし、もう少し待ってみる?」

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