第七章 麗と初美
01【長谷川麗の場合】その壱
四月某日(※紬が転送される、約二ヶ月前)。
――早く! 早く! 早く! 早く!
ただいまぁ!と、玄関ドアを開けるやいなや、焦げ茶色のローファーを土間へ脱ぎ捨て、そのまま目の前の階段をパタパタと駆け上る少女。
かなり急いで来たのだろうか。上下にふわふわと揺れるミディアムボブの乱れ髪から、わずかに光るものが飛ぶ。
――あ~もう、三十分も過ぎてるじゃん!
二階の自室に駆け込むなり、学校の制服を脱ぐ間も惜しんで人差し指を伸ばした先には……ノートパソコンの電源ボタン。
〝うららの部屋〟と書かれたドアプレートが、勢い良く開閉されたドアの向こうでカタカタと揺れている。
――こんなに走ったの、小学校のマラソン大会以来だよ。
「まあ、今じゃもうアニマラくらいしかしてないけどね~」
独り言ちながら、パソコンが立ち上がるまでの間に制服と、さらに汗で湿ったブラジャーまでベッドの上に脱ぎ捨てる。
代りに着たのは、いつも部屋着にしているスウェットの上下。
ようやく、ほうっと一息つくと、「さてと!」と机の前の回転椅子に腰を下ろす。
デスクトップの左側に並ぶアイコン群から『ラスト クレイモア オンライン』と書かれた大剣マークを選んでダブルクリック。
中央に十字架のような形をした
ラスト・クレイモア・オンライン――
今日の午後四時から八時間の予定で、経験値とアイテムドロップ率が三倍という、年に数回しかないスペシャルイベントが開催されているのだ。
そして彼女は今日、このために演劇部の練習も休んできていた。
どうせ、イケメン上級生でBL展開を妄想するだけが楽しみの部活だ。
次の発表会では村娘Cという大役を仰せつかってはいたが、一日くらい休んだところで活動に大した支障もない。
「あれ~? なんか今日、いつもよりローディングが遅くない?」
イライラとPCの画面を眺める麗。
プレイ時間が物を言うのがこの手のゲームの特徴だ。
麗のような普通の学生が、
それでも、出来る限りイベントを利用して効率よくレベルアップをしていけば、いろいろなパーティーに参加して難関クエストを攻略することも出来る。
麗がメインキャラの
攻撃力・耐久力共に最低クラスで、メインで育成する人は多くはない。
しかし、各種サポートスキルが充実しており、さらに魔力消費も少なく持久力がある。認識阻害系のスキルも優秀でパーティー需要は高い。
普段なら、適当な野良パーティーに入って狩りをするのは難しくないのだが……。
多くのプレーヤーが狩場に殺到するイベント期間中となると話は別だ。
人気の狩場はもちろん、普段は人気のないマップにまでプレーヤーが押し寄せ、パーティーに入れるまでにしばらく待たなければならない、といった状況になる。
引く手数多の支援職とはいえ、早くログインするに越したことはないのだ。
ようやくロード画面が終了してメニュー画面が現れると、待ってましたとばかりに
彼女がメインで活動してしてるジャパネスタサーバーにポインターを合わせる。
街並みは中世ヨーロッパ風で、よくあるファンタジーRPGの趣だが、日本地図をモチーフにしたワールドマップが採用されているのが特徴だ。
クリックすると、画面はいつもログアウトしている街の噴水広場に…………切り替わるはずなのだが、
――あれ? 固まった?
一向にブラックアウトした画面から先に進まない。
「勘弁してよ、も~! 人数多すぎて
やきもきしながらマウスのセンターホイールをカリカリと動かしていると、モニターにぼんやりと浮き出てくる、見慣れないグラフィック画面。
黒いノートのような物が
――何これ?
不正なプレイが発覚すると、ペナルティのログイン制限を受けている間、
――これがそれ?
しかし、不正な遊び方をしたような記憶は、もちろん麗にはない。
何らかの不具合かと思って運営のホームページを確認しようとしたが、
ゲーム画面が最小化できず、ステータスバーも表示されていないので、ブラウザもメーラーも起動できない。
タスクマネージャーの起動も試してみたが、駄目だった。
――こうなったら最終手段……電源落とすしかない?
そう思って電源ボタンに手を伸ばしかけるが……。
こんな画面が表示される状況がパソコンの不具合に起因するものだとも思えず、考え直して手を戻す。
再び、マウスを動かし始める麗。
しかし、幻術士のキャラクターも、その下に敷かれている黒いノートにも、ポインターが指マークに変わる部分はなかった。
――もう! なんなのよこれっ!
イライラと時計を見ながらマウスを滅茶苦茶に動かしていたその時、一瞬、画面の右下付近でポインターの矢印マークに変化があった気がした。
麗がもう一度、ゆっくりとその辺りをなぞってみると……。
――あった!
画面の右下隅、約一センチ四方のゾーンで、マウスのポインターが指マークに変わる。特に何の変哲もない、周りと同じ黒い画面だ。
――こんなの、普通は見つけられないでしょ! 何かの不具合かな?
他にできることもなかったため、そのまま無造作にクリックすると……。
突如、パイプオルガンのような
――ボリューム、でかっ!
音量を下げようと慌ててキーボードに手を伸ばしたが、しかし、その不思議な効果音もすぐに止む。
間をおかず、画面の黒いノートがゆっくりと開きながら幻術士を覆い隠し、モニター全体に見開きの状態で広がった。
思わず身を乗り出し、画面内のノートに記された説明文に目線を走らせる麗。
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