02.麗の部屋

「その……黒崎がどうかしたの?」


 呆れ顔だった華瑠亜かるあが、いよいよ本気で心配するように眉をひそめ、


「あんた……本当に大丈夫? 三日も意識を失って、記憶でも飛んだ?」

「ま、まあ、そんな感じかも?」


 そんなことはないはずだが、とりあえずそうしておいた方が話は聞き易そうだ。


「あんた、初美はつみのことが気になるからって、グループでどこかに遊びにいく感じで誘ってくれ、って……あたしに相談してきたじゃない」


 はああ? こっちの世界の俺、そんなことしてたのか!?


「な、なんで俺、おまえにそんなことを……」

「それをあたしに訊く!?」

「ご、ごめん、ほんと、マジで記憶が……」

「初美って付き合い悪いけど、うららとだけは仲良いじゃない? あたしが麗と仲良くなったから、グループなら遊びに誘えるとでも思ったんじゃないの?」


 不機嫌を隠しもせず投げやりに答える華瑠亜。

 もしかして優奈ゆうな先生が言ってた〝俺と華瑠亜が突然ギクシャクしだした原因〟というのも、そのことと関係があるのだろうか?


「そもそも、あんたと初美って家が近くじゃなかった? あたしや麗を通すより直接話した方が早いんじゃないの?」


 家が近い?


「近い……って、どれくらい?」

「あたしが知るかバカッ!」


 華瑠亜が呆れかえった表情で怒鳴る。


 黒崎初美……言われて見れば、麗と話してるのは何度か見た。

 こっちで通学したのがまだ、実質二週間もないのであまり印象にはないが、確かに綺麗な顔立ちではある。


 でも、俺が好きになるようなタイプだろうか?

 性格が合う、とか?

 そうは言ってもなぁ……付き合いが悪くて唯一の友達は麗?

 そんな女子の、どんな性格を好きになると言うのか。


 そう言えばさっき、麗と仲の良かった女子がいたと思ったのは――。

 こっちの世界で見た黒崎と麗の様子が、記憶の中で混同されてしまったのかも知れない。


「あんた、本当に覚えてないの?」

「う、うん。一時的に記憶失ってるだけかも知れないけど……今の所はまったく思い出せない……」

「そ、そうなんだ。……じゃ、じゃあさ!」

「うん?」

「初美のことは、今はどうなのよ? やっぱり、好きなわけ?」

「いやまったく」


 そもそも、黒崎のこと自体まったく知らない。


「そ、そう。 ならいいんだけど……」

「華瑠亜は、俺にそれを頼まれて何かしたの?」


 我ながらおかしな質問だが、もう記憶喪失で押し通すしかない。


「何もしないわよ。あたしだって初美とはほとんど喋ったことないし、わざわざ麗にそれを頼むのも回りくど過ぎるでしょ。あんな相談、無視よ無視!」


 それに……と、華瑠亜が言い淀んで言葉を呑み込む。


「それに?」

「それに…… 何でもないわよ、ばぁか!」


 馬鹿馬鹿言い過ぎだろ、こいつ。

 まあでも、華瑠亜も特にアクションを起こしていないのなら黒崎にも伝わってはいないだろうし、これ以上変に話が広がることもないだろう。


               ◇


 麗の家に着いたのは午後の一時を回ったところだった。

 正午には駅に着いたのだが、来る途中の軽食店バールで昼食を取ったため少し遅くなってしまった。


 駅から麗の家までは、街道沿いの雑木ざつぼくを眺めながら徒歩二十分ほどの道のり。

 元の世界で千葉県のどの辺りになるのかはよく分からないが、平野部から少し山の中へ入った地域であることは、地形や風景から見て取れる。


 麗の家も、この世界では一般的な木組みの家コロンバージュで、大きさも俺の家とほとんど同じだった。


「そう言えば、頼まれていた買い物って、何だったんだ?」

「本よ、本。今日発売の最新刊なんだけどさあ……」

「うん」

「〝ダンディーラブ お前と俺の恋物語〟って知ってる?」

「……いや」

「あたしも知らずに頼まれたんだけど、BLよ、BL! もう、買うのすっごい恥ずかしかったわよ!」


 BL……こっちにもあるんだ、そういう言葉。

 知らずに頼まれたとしても、そのタイトルならなんとなく想像つきそうなものだが。


「潔癖症の修道士が、別の修道士のカウンセリングを受けてるうちに、なんやかんやする話で……」


 意外と詳しいじゃん。


 二人で話しながら玄関までの石階段を上っていく。

 ドアノッカーを鳴らすと、すぐにうらら本人が出迎えてくれた。


「いらっしゃい」


 笑顔だが、俺の方を見て少し顔が強張ったように見えた。

 もしかして、招かれざる客だった?


「俺、来ちゃまずかったか?」

「あ、ううん、平気平気。事前に連絡ももらってたし」

「じゃあ、お邪魔するわね」


 華瑠亜は何度か来た事があるのだろう。勝手知ったる友人の家とばかりに、先にスタスタと二階へ上がって行く。


「うん。今、他に誰もいないし、気は使わなくていいから」


 ウエストポーチから顔を出したリリスが、


「おなかすいたな……」


 こいつは、食うか寝るしかやることないのかよ!


「さっき昼飯食べただろ!」

「デザートがなかったんだよ、デザートが!」

「中に、お菓子も用意してあるわ。どうぞ入って」


 麗に促されるまま、靴を脱いで二階へ上がる。

 女子の家を訪ねるのは可憐の家に次いで二軒目だが、部屋に入るのは今日が初だ。


 元の世界では高校一年の頃に、他校の弓道部の先輩と付き合う機会はあったが、一度も彼女の部屋へ招かれることなく関係は終わった。

 なので、幼いころの話を除けば、同年代の女の子の部屋に入ること自体が初経験なので、その意味でも少し緊張する。


「麗ぁ~。ダンラブの前の巻、読んでいい? 最新刊だけ読んだら全然話が分からなくて……」


 麗の部屋から、先に入った華瑠亜の声がする。

 あいつ、人に頼まれた新刊、先に読んだのかよ!


「うん、いいよ~。並んでるの、勝手に読んで~」


 俺の背中越しに麗が答える。

 俺も、少しどきどきしながら彼女の部屋に足を踏み入れた。

 真っ先に目に留まったのは、ベッド上で壁に寄り掛かりながら、美脚を投げ出して本を読む華瑠亜。


 しかしそのベッドは――。


 およそこの世界には似つかわしくない、二〇リにでも並んでいそうなモダンな黒のパイプベッド。

 さらに、テレビ、ブルーレイプレーヤー、DVDソフト、パソコン、船橋第二高校の制服……。


 そう、目の前にあったのは、まさに元の世界にあったであろう麗の部屋そのままの光景。さすがのリリスも、部屋を眺めながらポカンと口を開けている。


 慌てて振り返ると、そこには俺を観察するようにこちらを見据える麗の視線。


「やっぱり……見えるんだ?」


 静かに、彼女が言葉を発した。

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