02-1.鷺宮優奈 編
バザール会場に着いたのは十時半頃だった。
「紬くん、なんか落ちてる!」
多くの露店が立ち並ぶバザール会場に足を踏み入れてすぐ、ウエストポーチから顔を出してリリスが地面を指差す。
足元を見ると……落し物だろうか? 白いハンカチが目に留まる。
拾ってみると、ほとんど汚れていないしまだ落としたばかりのようだ。裏返すと、ピンク色の刺繍糸で持ち主の名前らしい文字が縫い付けられていた。
Yuna・S――
「違う違う。そっちだよ!」と、再びリリスの声。
「ん?」
もう一度地面に視線を転じると、紙に包まれたフライドポテトのようなものが落ちている。
「それ拾って」
「やだよ!」
〝Yuna・S〟で真っ先に思い出すのは〝Yuna・Sagimiya〟――優奈先生だ。
もちろん〝ユウナ〟なんて名前も、Sが付く苗字も珍しくはない。が、何気なしに辺りを見回してみると……。
――ほんとにいたっ!
腰まで伸びたゆるふわウェーブの
「先生!」歩み寄りながら声をかける。
「あら、綾瀬くん!?」
振り向いたのはやはり、相変わらずポワ~ンとした表情の優奈先生。
やはりハンカチの持ち主は先生だったのか?
「こんにちは。このハンカチ、先生のじゃないですか?」
「え? ええっ!? ちょっと待ってて……」
俺の差し出したハンカチを見て、いそいそとトートバッグの中を調べ始める。
「た、大変! 先生、ハンカチ落としちゃったみたい!!」
「いや、ですから、これですよね?」
ハッとした様子で俺からハンカチを受け取り、胸を撫で下ろす先生。
「これこれ~。綾瀬くんが拾ってくれたのね!」
「だから最初からそう言って……。イニシャルを見て、もしや、と思って」
「そっかそっか。さっき転んだ時に落としちゃったのかな。ちゃんと〝優奈先生〟って刺繍入れておいてよかったぁ」
え? あのSって〝先生〟のSだったの?
妹からのプレゼントで大切なハンカチだったから助かったよぉ、と満面の笑み。
「ここのバザール、この辺では一番の規模でしょ? 休日だし、たまにはと思って来てみたんだけど、広すぎてよく分からなくて……」
「ですよね」
「綾瀬くんがいてちょうどよかった!」
「――ん?」
「露店や商店以外にも、いろいろ商業施設が充実してるのね!」
ほら! ああいうのとか! と、先生が指差した方へ目を向けると、白い
近づいて幔幕を捲り、中を覗いてみると――。
中央に湯気の立った大きな浴槽があり、周囲の椅子に十人ほどが座って足を浸けながら談笑していた。
数人のスタッフが、定期的に浴槽の湯を入れ替えているようだ。
いわゆる〝足湯〟のような施設らしい。
「先生も浸かっていこうかなぁ……」
「どうぞ。……それじゃあ、俺はこれで」
「ええっ!? 綾瀬くんは寄っていかないの?」
「別に、冷え性にもデトックスにも困ってませんし……」と、横に掲げられいてる効能表を読みながら答える。
「それに見たところ、ほとんど女性客ばかりじゃないですか……」
「ハンカチのお礼に料金は先生が持つよ。なんだったら足湯
「なんですって―!?」
饅頭に脊髄反射したのは、リリスだ。
「紬くんも、どうせ暇じゃん。今日は饅頭……じゃなくて、先生のお供をしたら?」
「そうだよ綾瀬くん。このあと見て回るのは先生も一緒だし……。一人で回るのもバザール、二人で回るのもバザールだよ」
「そんな当たり前のことを名言っぽく言われても……」
そんな俺たちの会話を聞いてか聞かずか、受付のお婆さんが傍らに来て声をかけてきた。
「今、お客さんの一番近くにいる者の幸福が、悪夢から抜け出す唯一の鍵ですぞ」
なんだこの婆さんは?
よく分からないけど、不気味な営業トークだな……。
とりあえず、先生の言うことを聞けってことか?
「分かりました。付き合いますよ……」
「ほんと? やった! じゃあ先生、先に行ってるね」
「どうぞ」
そそくさとスカートをたくし上げて浴槽の方へ向かう先生を横目に、俺もデニムの裾を捲くり始める。こんなことならハーフパンツにしとけばよかった。
と、その時、浴槽の方から聞こえてくるけたたましい水音。
反射的に首を回すと、どうしてそうなったのかよく分からないが、浴槽の中で優奈先生が尻餅をついて呆然としている。
――幸福どころか、超不幸じゃん!
「ど、どうしたんですか先生!?」
「転んじゃって……」
「そりゃ、見れば分かりますけど……なんでこんなところで……」
当然ながら全身ずぶ濡れだ。髪まで濡れてるということは頭から突っ込んだのだろうか?
このままバザールで買い揃えるにしても、服から下着から全部だよな?
濡れ鼠のまま歩き回るのも……。
「良かったら、うちも近いですし、妹の服でも貸しましょうか?」
「う、うん……そうしてもらえると、助かるかも……」
泣きそうな先生の顔を見ながら、リリスも泣きそうな声で呟く。
「使えない先生……。お饅頭、損したよ」
「損はしてない。得し損ねただけだからな?」
先生を助け起こし、貸しタオルを借りて髪を拭いてあげてから、二人で俺の家に向かって歩き出した。
着くまでの間、ずっと後ろから響いていた、ペタンペタンという先生の足音がなんとも寂しげだった。
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