13.立夏の吐息

 り、立夏りっか? 寝惚けてんのか!?


 Tシャツは……さすがに着ていた。

 就寝前の会話のせいで淫らな妄想をたくましくしていたが、寝巻きがえもちゃんと持ってきていたらしい。


 ……が、ベッドの上に片ひざを載せ、さらによじ登ってきた立夏の姿に、鼓動が一気に跳ね上がる。

 慌てて壁側に向き直るが、脳裏には、たったいま目の当たりにした扇情的な映像がくっきりと焼き付いてしまっていた。


 下半身……下着だけだったぞ!?


 男性用なのか大きめのTシャツなので、小柄な立夏ならミニのワンピースのようなシルエットになるのだろう。

 しかし、ベッドで横になれば、たちまち下着ショーツにTシャツだけという悩殺ファッションの完成だ。


 どうしてこうなってる?

 俺が間違えているわけじゃないよな!?


 背中越しに、立夏が寝息を立て始める。

 自分で聞き取れるくらいに高鳴る鼓動。


 ――さらに。


 寝返りを打った立夏が、今度は後ろから俺の首に腕を回してきた。


 ひゃうっ!


 いわゆる抱き枕のような状態だ。

 ここまで密着されれば、控えめな立夏の胸の膨らみも……いや、中心にある葡萄ぶどうの粒のような感触まで、敏感になった背中がしっかりと感じ取る。


 俺の足の上に重ねられた立夏の小気味よい内腿うちももも、さらにぐいぐいと絡みついてきて……。

 首、胸、太腿、美しい三点ホールドの完成。


 俺だって元々は、ごく普通の男子高校生だ。

 心臓も下半身も、相当まずい状態になっているとしても誰が責められようか……いや、責められまい!


 と、その時、再び誰かが部屋に入ってくる気配。


「あらぁ? 雪平さん? まだ戻ってないの?」


 優奈ゆうな先生の声だ!

 トイレ、二人で行ってたのか!?


 俺も、金縛りから解けたように口を開く。


「しぇ……しぇんしぇい……」


 カラカラに渇いた喉のせいで声がかすれてしまったが、とりあえず立夏には気が付いてもらえたようだ。

 先生が立夏の肩を揺すりながら、


「あらあら、雪平さん……寝る場所、違うわよ」

「ん……うふぅ……」


 生暖かい立夏の吐息が、俺の耳朶じだを撫でつける。

 何度か肩を揺らされ、ようやくもそもそと起き上がると、緩慢かんまんな動きで梯子を下り始める立夏。


「綾瀬くんが目を覚ましてたら、大変だったわよ」と小声で話しかける先生に、

「いつも、上なの、で……」と、ぼんやりとした弁明が聞こえた。


 再び下段から二人の寝息が聞こえ始めたあとも、俺一人だけ数時間寝付けなかったのは言うまでもない。


               ◇


「ふあぁ――ぁぁ……」


 大きな欠伸あくびをしながら涙目を擦る。

 今日、何回目の欠伸あくびだろう……。


「十五回」

「え?」

「欠伸」


 エスパー立夏かよっ!

 帰りの船電車ウィレイア内の長椅子に、俺、立夏、優奈先生の順に並んで座っている。


「よく眠れなかったの?」


 立夏の向こう側から俺の顔を覗き込んでくる先生。


「ええ、まあ……」


 立夏は覚えていないようだが、あんな悩殺ハプニングの後ですぐに寝られる男子高校生などいるはずがない。


 ホッとしたようなもったいなかったような……そんな悶々とした気分のまま、あのあと何時間過ごしただろう?

 いつ寝たのか覚えていないが、朝は立夏に起こされるまで爆睡だった。


「もしかして悩み事? 先生でよかったら、いつでも聞くよ?」

「ああ……いえ、一晩寝たら解決しましたし、大丈夫です」

「そんなの、悩みなんて言わないよ!」


 なぜか膨れっ面になる優奈先生。

 たまに先生らしいことがしたかっただけらしい。


「そういえば昨日のミーティング、課題で行く場所は決まった?」

「オアラ洞穴」


 俺の質問に、立夏が正面を向いたまま答える。


「オアラ洞穴……どこそれ?」

「北東」

「方角で言われても……」

「地図で、確認して」


 まあ、どこと聞かれても口頭で説明するのは確かに難しいか。


「日程は?」

あなた・・・が大丈夫なら、来週の月曜日から四日間」

「俺は、大丈夫かな。帰ったら、可憐にも話しておくよ」


 よかった。フルネーム呼びは直ってる。


「いいなぁ。何度か行ったなぁ、オアラ」と、懐かしむように目を瞑る先生。

「有名な洞穴なんですか?」

「洞穴、っていうより、海水浴目的だねぇ」


 海水浴……オアラ海水浴場……北東……。

 まさか! 大洗おおあらい海水浴場か? また茨城!?


「どこに泊まるの? お金は要るの?」

紅来くくるの別荘だから、宿泊費は要らない」


 立夏の言葉を聞いた先生が、身を乗り出して激しく食いついてくる。


「ええっ! いいなぁ! 先生も行こうかなぁ、一応D班だし! タダなら!」


 ポーチから顔を出して話を聞いていたリリスも目を輝かせる。


「えっ! 海水浴に行くの!? 私も、ママさんに水着作ってもらおうかなぁ」

「目的は海じゃないから……」


 勇哉ゆうやたちも誘ってみるかな。

 さすがに、男一人じゃ何かとしんどい気がする。

 そんなことを考えながら、俺はいつの間にかウトウトと眠りに落ちていた。


               ◇


「ちょっと! そこにいるの、つむぎ!?」


 ん? なんか聞いたことのある声だな。

 いつの間にか寝ちゃってたのか……。


 右の壁に頭を押し付けていたせいか、右肩と額が痛い。

 左腕の重さに気付いて横を見ると、俺にもたれかかっている立夏の頭が見えた。どうやら立夏も眠ってしまったらしい。


 立夏ってこんなに重いのか?

 ……と思ってさらに向こう側を見ると、先生も立夏にもたれかかっている。


 二人分かよ。


「ねえ、紬なんでしょ? 聞いてんの?」と、再びさっきの声。


 首を回して真後ろの車窓に目をやると、見覚えのある栗色のツインテール。

 ホームからこちらを覗き込んでいたのは――、


「お、おう……華瑠亜かるあか」


 口元のよだれをぬぐってから、俺も軽く右手を上げる。

 いったん昇降口に回ってウィレイアに乗車してきた華瑠亜が、


「『華琉亜か……』じゃないわよっ!」と言いながら目の前で仁王立ちになった。

「ミーティングにも来ないで、何やってるのよ、こんなところで」

「別に、ずっとここにいたわけじゃないよ」

「そりゃそうだろうけど……ってか、この組み合わせは何?」


 俺にしなだれかかる立夏と、その隣の優奈先生を見ながら華瑠亜が眉をひそめる。

 説明、めんどくさっ。


「落とし物を捜しにトゥクヴァルスに行ってたんだけど、心配した先生が付いて来て、それを心配した立夏がさらに合流して……って感じ」

「……意味不明」

「いいよ。俺にもよく分からないんだ……」


 一昨日おとといの夜、一人でトゥクヴァルス行きを決めた時は、俺だって帰りにこんな状態になるとは予想もしていなかった。


「華瑠亜は、買い物?」

「うん……オアラの課題の準備でね、水着とかいろいろ」


 水着は課題と関係ないだろ。どいつもこいつも……。


「そうだ! 紬、午後ヒマ?」

「まあ、今のところ予定はないけど……」

「じゃあさ、一緒にうららの家に行かない?」

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