10.青春だね! 綾瀬くんっ!

 パンと野菜スープ――休憩所での夕食だ。

 キャンプ場の付属施設なので、食堂でもこんな軽食しか頼めない。


「綾瀬くんは、これで足りる? 足りなければもっと追加してもいいよ?」


 優奈ゆうな先生が心配そうに訊いてくる。

 正直物足りなさはあるが、余分なお金はほとんど持ってこなかったので、部屋代も食事代も支払っているのは先生だ。


 先生が川で転んだせいだから気にしないで……とは言われたが、トゥクヴァルスに来たのは元はと言えば俺の用件だし、やはり余計なお金を使わせるのは気が引ける。


「はい。一日くらい大丈夫ですよ」

「私は足りない!」


 空になったスープの器を物足りなそうに覗き込むリリス。

 廃棄間際ということでたくさんサービスしてもらったパンも、いつの間にかテーブルの上から消えていた。


「じゃあ、リリスちゃん、先生のも食べる?」

「イエ~イ♪」


 スプーンを引き摺って先生の前まで歩いていくと、残っていたスープを無遠慮に飲み始める。

 何がイエ~イだ、こいつ!


「俺の物ならともかく、他の人の食事にまで手をだすなよ!」

「あ、いいのいいの!」と、先生が胸の前で手を振りながら続ける。

「もともと夜はそんなに食べないようにしてるから、先生なら大丈夫よ綾瀬くん」


 ダイエットでもしてるのだろうか?

 まったく必要性は感じないけど。


 それにしても優奈先生……すっぴんでもほとんど変わらないなあ。


 夕方は、温泉でも顔を濡らさないように気をつけていたみたいだけど、夜、食事前に入った時には完全に化粧も落としているはずだ。

 それにもかかわらず、最初から薄化粧だったのかほとんど見た目が変わらない。それどころか、今は今でさらに瑞々しい魅力が加わったほどだ。


 人の体内酵素は二十歳をピークに減少を始めて老化へ向かうと聞いたことがあるけど、先生の混じり気のない白い肌はそんなことを微塵も感じさせない。

 同級生の女子たちのそれと比較しても、遜色のない透明感だ。


「な……なに?」


 先生が俺の視線に気付いて少し赤くなる。

 ヤバイヤバイ、つい見とれてしまった。


「ああ、すいません。お化粧を落としても、全然変わらないなぁ、と思って」


 なぜか、優奈先生の表情が曇る。

 あれ? どっちかいうと褒め言葉のつもりだったんだけど……。


「お化粧するだけ無駄ってこと?」

「違うでしょ! お化粧後に変わらないって言ってるならそうでしょうけど、落としたあとに言ってるんですから、元が良いってことですよ!」


 少し考えたあと、「ああ、そっかそっか!」と納得する先生。

 彼女には遠回しな表現は止めておいた方がよさそうだ。


 食事を終えてしばらく先生と雑談をしていると、職員が回ってきて食堂の閉鎖時間だと告げてきた。

 食器をカウンターに戻しながら、


「どうする? もうベッドに入る?」と、先生。


 一瞬、軽い眩暈めまいに襲われる。

 元の世界だったら、今の台詞を録音するだけでお金になりそうだ。


「いえ、さすがにまだ早いですし……」


 時計を見ながら首を振る。

 夜の八時を少し回ったところ。この世界に来てから就寝時間はだいぶ早くなったが、それにしてもまだ早い。


「ロビーは十時頃まで灯りがついてるらしいんで、少し本でも読んでいきますよ。先生はお先にどうぞ」

「ううん。じゃあ、私もロビーに行くわ」


 スマートフォンも、ゲームもテレビもパソコンもないこの世界で、寝る前の娯楽と言えば、筆頭は本だ。

 現代日本にどっぷり浸かり過ぎていて、最初は本当に何をすればいいのかまったく分からなかったが、慣れると読書というのはかなり楽しい娯楽だと気付いた。


 実は食事前、ロビーの書棚を眺めていた時に『チート修道士の異世界転生』を発見していた。信二が施療院で読んでいた本だ。

 この世界の〝ライトノベル〟といったものがどんな内容なのか、少し興味がある。


 ご都合主義的な世界改変のおかげで、文字や言語が日本語のままというのは不幸中の幸いだったな……。

 もっとも、仮に文字や言語が変わっていたとしても「俺はなぜかそれを理解することができた!」という、これまたありがちな展開になっていた気もするが。


 先生の後に続いて渡り廊下を歩き、ロビーに入ろうとしたその時、


つむぎくん……」


 どこからか聞き覚えのある声。


 一瞬、先生かと思い、顔を上げて前を歩く彼女の背中を見る。

 ……が、先生なら『綾瀬くん』と呼ぶはずだ。


 先生も驚いた様子で振り返り、続いて俺の肩越しに暗闇を凝視しする。

 先生の視線をたどるように、俺もゆっくりと振り返った。

 ロビーから漏れ出た火影ほかげに薄ぼんやりと照らし出された人物は――


 立夏りっか!?


 オフショルダーのスモックに、フリルの着いたデニムのショートパンツ。

 走ってきたのだろうか? 額に汗を浮かべながら、肩を大きく上下させている。


「り、立夏……どうして、ここに!?」


 よく見ると、ひざや腕などあちこち土で汚れているのが分かった。恐らく、道中転んだりしたんだろう。

 無理もない。こんな暗闇の中、足場の悪い山道を走ってきたのなら……。


 いつも通り、表情からはなんの感情も読み取れない。

 しかし、火影が作り出す仄暗ほのぐらい陰影のせいで、なんとなく怒っているように見えなくもない。


「うんうんっ! 青春だね! 綾瀬くんっ!」


 先生にグイッと背中を押される。

 鈍いくせに勘違いだけは一丁前いっちょまえ。無自覚に引っ掻き回すタイプだ、この人。


「じゃ、先にロビーに行ってるねえ~」


 俺の肩をポンと叩くと、先生は一人で建物の中へ入っていった。

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