08.施療室

 華瑠亜……泣いてる……のか……。

 俺の……ために……?


 そんな彼女の姿を見た直後、俺の意識は白く、そして視界は黒に塗り替えられてゆく。


 ああ、これが死ぬって感覚か。

 今朝起きてからこれまでの数時間が、すべて死ぬ前に見ていた不思議な夢だったように感じる。


 まあ、でも、無駄に死んでいくわけじゃないよな。

 少なくとも直前に華瑠亜を助けることはできた。

 いろいろ思い残して死んでいくのに比べれば、少なくとも『女の子一人は助けたんだぞ!』と思いながら死ねるのは、ある意味幸せかもしれない。


「綾瀬くん! しっかり! 綾瀬くん!」


 一瞬引き戻された意識と共に、誰かに抱きかかえられている感覚が伝わってくる。


 この声は……優奈先生?

 ということは、この右頬に当たってるのは先生の……Eカップ?


 少しだけまぶたを押し上げると、目の前に必死で回復呪文ヒールを唱えている優奈先生の顔が見え……


——ない!


 俺の顔に覆いかぶさったEカップが視界を塞いでいる。

 頬に空気を感じる方へ目線だけ動かすと、ぼやけた視界の中で俺を覗き込んでるツインテール。


——華瑠亜。


 それにしても……上半身が馬鹿みたいに熱い。

 他の先生たちだろうか?

 なんだか周りもバタバタと騒がしい。


『ウルフは、大丈夫か?』

『今、数名がバインドで抑えている。生徒は、どうだ?』

『内臓がかなりやられてる。僧侶プリースト司祭ビショップの先生はまだか!』

『今こっちに向かってる!』

『これじゃ、体力の前に痛みにられるぞ』

『ヒールの効果は落ちるが……仕方ない、いったん眠らせよう』


 再び、俺の瞼が閉じる。

 そして今度こそ、俺の意識はほの暗い意識の底へと沈んでいった。


               ◇


「ん……んん……」


——ど……どこだ、ここ?


 薄目を開けると、少しずつ焦点が合い石造り壁が見えてきた。

 窓から見える茜色の空は夕刻であることを物語っている。

 壁には火がともされた数個のランプも見えるが、現代日本で生活していた俺にとってはムーディーな間接照明のような薄暗さだ。


——ベッドの上? 


 すぐ横では椅子に腰かけた優奈先生がコクリ、コクリと船を漕いでいる。

 体を起こそうと力を入れた直後、上半身が激しい痛みに襲われた。


「……っつ!」

「あ、気が付いた? まだ立っちゃダメ!」


 気が付いた優奈先生が、俺を制するように慌てて両肩に手を添えてきた。

 さらに背中へ手を回され、上半身がゆっくりとベッドへ戻される。

 先生のEカップが俺の右腕に触れて別の部分がってしまいそうだ。


「ここ……は?」

「施療室だ。今日は一晩ここで泊まりだからな」


 答えたのは、優奈先生の後ろからこちらを覗き込むように顔を出した、白い貫頭衣の女性。


 保健医——いや、ここでは施療医とでも言うのか?——柴田先生だ。

 下の名前は確か、キャサリンだったかジェニファーだっか、なんか外国人みたいな名前だった記憶がある。


「ひどい怪我だったんだぞ、綾瀬。牙で背中と胸、左肩、それに左上腕、計十八カ所も穴空けられてたからな」


 特に左上腕は前後から計二本の牙が貫通していて、一歩間違えば肩から下は切断だったと説明を受ける。

 そっと左手を動かしてみると……。


——動いたよぉぉ。よかったぁ!


「さっきまでご両親も見えてたんだが、とりあえず帰ってもらうことにした。妹さんもいるらしいしな」


 そっか……そういえば今朝はしずくに会わなかったな。

 前に雫の顔を見たのはいつだっけ?

 なんだか、ひどく懐かしく感じる。


「ギリギリ心臓をれてたのが不幸中の幸いだった。心臓に穴が開いてたら即死だったぞ」


 蘇生呪文使えるヒロインも作っておくべきだったか。


華瑠亜かるあ……藤崎は、無事でしたか?」

「ええ。ちょっと膝にかすり傷ができた程度よ。心配ないわ」


 そう答える優奈先生の笑顔を見て、ようやく俺はホッと胸を撫で下ろせる気分になった。


「よくやったなあ綾瀬。噛まれたのが女子の細腕だったら、マジで切断だったかもしれん」


 怪我の跡も残るだろうし、と先生の説明が続く。

 内臓や骨の再生に莫大な魔力を消費したため、数人がかりでも皮膚の治癒まで手が回らなかったらしい。


「しっかし、噂には聞いていたがお前の魔臓活量も大したものだな」

「まぞう……かつりょう?」


 はて? 何のことだ?

 魔力量みたいなもの?

 この世界独特の概念であることは確かだろうけど、怪我を治すのとその魔臓活量とやらに何か関係があるんだろうか?


「藤崎もここに残るって言い張ってたんだけどな。まあ、いつ目覚めるかも分からないし、明日には会えるからってなんとか帰したよ」

「綾瀬くんが目覚めたら、準備室でのこと謝っておいてくださいって頼まれたわ」


 優奈先生の言葉に、しかし俺は首を振る。

 もともと俺がもっと戦力になれていたなら——例えば標的タゲ取りができる前衛がもう一人いたならあんな事態にも陥らなかったはずなんだ。

 もし噛まれたのが華瑠亜だったら、俺はもっと苦しんでいたかもしれない。


——あ! そういえばリリスは?


「あ、リリスちゃんならその鞄の中よ」


 キョロキョロと室内を見回す俺に気付いて、優奈先生が袖机に置かれた俺のワンショルダーを指さす。

 鞄のポケットを覗くと、中でリリスが膝を抱えて眠っているのが見えた。


 ずっと腹が減ったってうるさかったけど、さすがにここまで引っ張ることになるとは思わなかったし、可哀想なことしたな。

 あとで、何か食べる物を貰えないか訊いてみよう。


「じゃあ、鷺宮さぎみや先生はそろそろお引き取りいただいて結構ですよ」

「いえ、私も一緒に……」

「あとは私の仕事。先生は先生の仕事があるでしょう? 他の生徒のケアとか」


 ちょっと残念だが仕方ない。ここは潔く見送ろう。


「大丈夫ですよ優奈先生。おかげで、だいぶよくなりました。ありがとうございました」

「ううん。もっと上級職になっていれば、傷を治したり痛みを和らげたりしてあげられたんだけど……ごめんね」

「謝らないで下さい。先生には何の落ち度もないんだし、俺ももう大丈夫ですから」


 優奈先生が出て行くと柴田先生が包帯を持って近づいてきた。


「よし、包帯替えるか。ちょっと痛むけど我慢しろよ」


 俺は、ずっと気になっていたことを尋ねてみる。


「キャサリンでしたっけ?」

「エレンだよっ!」

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