04.夢なら早く覚めてくれ

「行ってきまぁす……」


 自宅と外界を隔てる玄関ドアの閉まる音がこれほど心細く感じたのは初めてだ。


 武器でも肉体でもなく職業ジョブでもなく、俺のチ—トはどこへ行ったんだ?


 とにかく、これはただの夢じゃない。

 ここまであのノ—トの設定が反映されているとなれば、当然、魔物のような生物も出現することは念頭に置いておく必要がある。

 ならば、それらと遭遇する前に何かしら対策しておかなければ命に関わるのではないだろうか?

 死ねば元の世界に戻れるかもしれないが、そんな、根拠のない希望的観測をアテにして命を投げ出す勇気はない。


 ……出がけに言われた母の言葉を思い出す。


『昨日、女の子から連絡があったわよ。あんたが休んでる間に何かがあって、班長がどうとか、って。なんかモゴモゴ喋る子でよく分からなかったから、学校に言ったら聞いてみて。藤崎さんって子』


 どうやら昨日、俺は学校を休んだらしい。

 そして、藤崎——恐らく華瑠亜かるあで間違いないだろうが——から何か連絡があったようだ。

 ただ、それ以外の部分はまったく要領を得ない。


——モゴモゴ喋る? あの華瑠亜が!? 緊張でもしていたんだろうか。


 それでも、元の世界と同じクラスメイトの存在は、俺の心に少なくない安堵感をもたらしてくれた。華瑠亜の名前がこれほど頼もしく思えたのは初めてだ。



 道はすっかり変わっていたが、方向感覚だけを頼りになんとか駅のあった辺りを目指していると、『ウエストフナバシティ』と書かれた、駅舎らしき建物が現れた。

 中世ヨ—ロッパのマンサ—ドル—フ型旧駅舎が、田園調布で復元された時の話をテレビで見た事があるが、それととても雰囲気の似ている古風なたたずまい。


 その向こう側では、何台もの車両が引っ切りなしに出たり入ったりしていた。

 車両とは言っても、デザインはむしろ船のようで、車輪はなく、仕組みは分からないが地上から浮き上がって走っている。

 相当不思議な光景ではあるが、さんざんびっくりしてきたせいか、もうこれくらいのことでは動揺しなくなっていた。


 誰も料金を支払っている様子がないし、この世界では無料の行政サ—ビスとして提供されているのだろうか。

 学校で見たことのある顔を見つけ、「もうどにでもなれ!」と、半ばやけくそな気持ちで同じ車両に乗り込んでみる。


 他にも何人か見知った顔を見つけたが、全員私服だ。

 最初は制服を着ていたのだが、支度を終えて出かける妹が私服だったのを見て、俺も慌てて着替えたのだが、どうやら正解だったようだ。


 車内掲示板には【フナバシティ行き:各駅】とある。

 元の世界で高校があった船橋のことだろうか?

 とりあえず、文字や言語が改変されていないのは助かった。


「どういう仕組みで動いてるんだろう」


 ボソッと俺が呟くと、ボディバッグのポケットから顔を出していたリリスが、


「この乗り物、どうやって動いてるの?」


 隣のお婆さんに気さくに話しかける。

 この使い魔、コミュ力の高さだけは役立つかもしれない。

 お婆さんは、一瞬驚いたようだがすぐにニコニコと答えてくれた。


「あら、可愛い使い魔さんね! これは魔粒子マジックパ—ティクルを使って動いてるんだよ」


 魔粒子は〝魔力変換の塔〟という建造物で空気中のマナ——これもこの世界特有の大気成分らしいが——を精製して作られ、大気に放出されているらしい。

 つまり、人間の生活圏は基本的にマナ濃度が低く、逆に魔粒子濃度が高いことになる。

 魔力変換の塔がモンスタ—に奪われたら大変だ、と、フラグっぽい説明を続けるお婆さん。


「でも、そんな設定、ノ—トには書いてなかったよな?」

「書いてない部分の設定は自動生成プログラムで作るって言ってたわよ」


 まあ、自動だろうが手動だろうが、もともとノ—トの内容に関しては流し読み程度だし、一から自分でいろいろ調べていく必要がありそうだ。




 フナバシティに着いてホ—ムに降りると、後ろから「おぉ——っす!」と呼び止められる。この声は……。


「よ、よう、勇哉ゆうやか」


 振り向くと同時にポンと俺の肩を叩いてきたのは、この世界を作り出した張本人の川島勇哉だ。もちろん、元の世界の話ではあるけれど。


「どうだ、つむぎ? 準備の方は?」

「準備? 何の?」

「何って、モンスタ—ハントの対抗戦だよ。今日、おまえらの班だろ?」


 何のことなのかまったく分からないが、華瑠亜も班長がどうとかって連絡してきたらしいし、何か関係があるんだろうか?


「いや、特に、何の準備も……」

「またまたぁ! おまえのことだから、また何か、すっげえ狡賢ずるがしこい手を考えてるんだろ? チ—タ—紬!」

「何だよ、チ—タ—紬、って……」

「知らないのか? みんな言ってるぜ? おまえの狡賢ずるがしこさだけはスゲェって」

「どんな評判だよそれ!」

「あ! 歩牟あゆむと信二だ。ちょっと声かけてくるわ。またな!」

「お、おい、ちょっと待てって……」


 まったく、せわしないやつだ。

 こっちでも中身は変わらないな、あいつ。


 それにしても——。


「チ—タ—紬って、何だよ!?」


 歩きながらリリスに尋ねる。


「あだ名みたいね。格好いいじゃない、チ—タ—!」

「まさかと思うが、ネコ科の動物と間違えてないよな?」

「え? 違うの?」

「チ—トなやつのことを言うんだよ。どっちか言うと、悪い意味で」

「そ、そうなんだ……」


 束の間の沈黙。


「一応聞くけど、俺のチ—トについてノ—トの精とどんなやりとりを?」


 昨夜のことを思い出しながら、視線を宙に彷徨さまよわせ人差し指を頬に当てるリリス。

 ちょっと、あざと可愛い。


「……そんなことより、お腹が減ったな」

「朝、一緒に食ったばっかりだろ! さっさと話せ!」

「わかったよ……。え~っと、ノ—トの精がチ—トの意味が分からないって言うから……」

「うん」

「私が辞書で調べてあげて——」

「うん……」

「ズルいって意味だから、ズルいやつになりたいんじゃない?って言ったら——」

「う……ん?」

「分かった、って言ってた」

「…………」


——待て待てっ! それじゃ、ただのズルいやつ、ってだけじゃん!


 武器は駄洒落だじゃれ、肉体強化もなし、使い魔はチビメイド一匹、通り名は狡賢いチ—タ—

 何一つまともな部分がない。

 元の世界にいた頃より、確実にスペックが低下している。


 どうするんだよこの状況!?

 次—と打ち砕かれていく希望、そして明らかになる絶望。

 一体、何がどうしてこうなった? 誰のせいだ?

 この、リリスとかいう能天気な使い魔のせいか?


 しかし、そうだとしても、もはや怒る気にもなれない。

 夢なら早く覚めてくれと願うばかりだが、このリアルで生—しい感覚質クオリアは、とても夢の中だとは思えない。


 もう、あれだ……。

 残された希望はハ—レムでキャッキャウフフと過ごすことくらいだ……。

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