第一章 世界改変

01.夢の内容を自由に変えることができるんだ

NASAナサだぜ、NASA!」


 二年B組の教室に入ると、机の上に腰掛け、大きな声で何やら熱く語っている川島勇哉かわしまゆうやの姿が真っ先に目に止まる。

 さらに周りでは、呆れたように勇哉を見上げている友人たち。


――また、あいつのバカ話につき合わされてるのか。


「よう! つむぎ!」


 俺と目が合うと嬉しそうに手を挙げる勇哉。

 まるで新しい獲物を見つけたかのようにキラキラと目を輝かせている。


――しゃーない、一応訊いてやるか……。


「おはよ……NASAがどうしたって?」

「お! 紬も聞きたい? 見てくれよこれ!」


 待ってましたとばかりに、勇哉が手に持っていたアイドル雑誌をパラリと捲って手渡してきた。

 開かれているのは白黒の、怪しげな商品広告ページ。


「これこれっ!」


 勇哉がHMD(ヘッドマウントディスプレイ)のような商品写真に指を乗せる。

 説明文には、『NASAが、コールドスリープ中の脳死を防ぐために開発したレム睡眠誘導&明晰夢めいせきむ編集技術がついに日本上陸! これを使えばあなたも明晰夢を自由自在に編集して理想の世界を堪能できます!』と書いてある。


――何のこっちゃ?


「真面目に聞かないほうがいいぞ」


 俺も、かなりいぶかし気な表情を見せていたのだろう。苦笑しながら話しかけてきたのはその場にいた友人の一人、森歩牟もり あゆむだ。

 言われるまでもなく、勇哉の話を真面目に聞く機会なんて四年に一度あるかないかだけどな。


「おまえは黙ってろ!」と、勇哉が歩牟の肩を小突こづく。

「明晰夢って、確かあれだろ? 夢の中で、これは夢だって気付くやつ」

「そうそう! なんだよ紬、博識じゃん!」


 俺の肩をバンバン叩きながら、嬉しそうに頷く勇哉。


「いってぇ――なぁ……。で? それがなに?」

「聞いて驚け! この機械でその夢の内容を自由に変えることができるんだよ!」


 束の間、流れる沈黙――。


「マジかよ……」


 今のつぶやきは、もちろん商品に対してではない。勇哉の頭に対する懸念だ。

 しかし、それを感嘆とでも受け取ったのか、得意満面の笑みで勇哉が続ける。


「マジマジ! なんてったって、あの・・NASAだぜ?」


 あの・・NASAがそんな下らないことに時間を浪費するわけがない。


「コールドスリープ中に脳が死んじまわないように、定期的に明晰夢を見せる技術を開発したらしいんだけど、それがいよいよ日本に上陸したのよ!」


 コールドスリープは和製のSF用語であり、正確には長期冷凍睡眠ハイパースリープ、若しくは冬眠タイプハイバネーションの二つに分けられる。間違ってもNASAが使うような単語ではないし、もちろん、技術的にはどちらも確立されていない。


――そもそも、脳死対策になんで明晰夢?


 嬉々として記事の内容について語る勇哉を見ながら、既視感のある光景だと思ったら……。


「そう言えば去年は、FBIの技術を応用したモザイク除去メガネを買っていなかったっけ?」


 途端に表情を曇らせる勇哉。

 五角形フレームの奇妙なメガネをかけ、バッチリモザイクがかかったままのアダルトビデオに愕然とする勇哉を想像して、腹を抱えて笑った記憶が蘇る。


「あ、あれは、俺も若かったって言うか……よくよく考えりゃFBIがモザイク除去技術なんて研究するわけないんだよ……」


 なぜ、それと同じ論理を今回のNASAにも応用できないんだろう?


「何しろ、米国あっちのAVにはモザイクなんてないからな!」


――気付いたの、そっちかぁ~。


「でもさ、今回はコールドスリープ中の脳死を防ぐ明晰夢だぜ? 全然次元が違う話じゃん?」


 何次元と何次元の違いを語っているのかよく分からないが……。


「……で、どうすんの? 買うの?」

「それがさぁ、値段、九千八百円なんだよね」


――安っ! 明晰夢の件はともかく、普通のHMDとして使うだけでも破格だぞ!?


 ……と思ってもう一度よく見てみると、写真のHMDはNASAの専用モデルで、日本に上陸するのはメガネ型の量産タイプだと書いてある。


――五角形フレームの悪夢、再びか?


 そもそも、夢を見るということは目を瞑っているはずだ。

 HMDのような機械マシンならともかく、量産型まで眼鏡である必要があるんだろうか?


「でさ、今、金出し合って買わないか、って相談してたとこなんだけど……」


 と言って周囲を見回す勇哉から、友人たちが次々と視線を逸らせてゆく。

 なるほど、もう、みんなに断られたあとってわけか。


「紬はどうよ?」


 五千円……と聞いてふと、先月勇哉に五千円借りてたことを思い出す。どうしても欲しかった、「メイド騎士リリカ」のブルーレイボックス(初回限定版)のために不足分を借りていたのだ。

 ダメ元で勇哉に提案してみる。


「先月借りてた五千円、あれチャラでいいならこのクソメガネに出してもいいよ、五千円」

「クソメガネって言うなよっ!」


 よく考えるまでもなく、まったく割り勘になってないのだが……。

 少し考えて「解った! それでいいよ!」と、OKサインを出して頷く勇哉。


――ほんとかよ!?


 本人の中では買うことがほぼ決定していて、あとはほんの少し、誰かに背中を押して欲しかっただけなのだろう……と、そこで俺もようやく気が付いた。


 話が決まったところでチャイムが鳴り、副担任の鷺宮優奈さぎみやゆうな先生が入ってくる。今年大学を卒業したばかりでいきなり、母校であるこの船橋第二高等学校に赴任してきたのだ。

 身長は百五十センチ台半ばと小柄で童顔ながら、推定Eカップ(勇哉調べ)というわがままボディーにアニメ声という怪物スペック。

 一気に学校中の男子生徒のアイドルとなったことは言うまでもない。


「今日は担任の奥村先生がお休みのため、ホームルームは私が担当しますね~!」


 鈴を転がすようなアニメ声を聞きながら、俺は勇哉の与太話などあっという間に忘れ去っていた。

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