第52話
「蓮介さんは身震いしたままそちらを見つめていましたが、今度は慌てて上着を羽織り、荷物を漁りだしたんです。
何を言っても返事はなく、あまりに必死な様子でしたので、これはいけないと思い私は彼の肩を強く掴みました。
すると、振り返った彼は私の両肩をつかみ返し、『田崎を迎えに行く』と言ったのです。
私は彼の勢いに気圧され、返す言葉も浮かんできませんでした。その間にも蓮介さんは照明弾や発炎筒、懐中電灯などを手当たり次第に鞄に詰め込み、テントから出て行ってしまいました。
私は怪我人を抱えたまま恐怖で震え、ただただ二人を待つしかありませんでした」
「それはきついっすね」
藤沢が漏らすように言うと、「葉山さん、私が見た時と似たような反応かも」と麗子さんが呟いていた。
「…………」
僕はその状況を思い浮かべた。
表は泣き叫ぶように吹雪で荒れ、そんな中で唯一身を寄せ合えるのは重症でうなされる仲間だけ。
待てども待てども戻ってこない二人をどれほど心配に思い、不安に感じたことだろうか。恐ろしく、長い時間であったことだろうか。
「やがて二人が戻らぬまま朝を迎え、雪もすっかり止んだようでした。辺りは静まり返り、お日様の光がテントを薄く照らしておりました。
するとそこへ、遠方から音が聞こえてきたんです。私は急いでテントから飛び出し、空を見上げました。そこにはなんとヘリが飛行しておりました。私はちぎれんばかりに必死で手を振りました」
「救助隊ですか?」と僕は尋ねた。
「そうです。私たちは救助隊によってヘリに乗せられ、駒井はそのまま救急病院に運び込まれました。
後から聞いた話では、足の傷の状態が悪く切断を余儀なくされましたが、命は何とか取り留めることができました。
私は救助隊の方に残りの二人を捜索してもらうよう必死にお願いしました。ですが……」
「まさか、探してくれなかったとか!?」
藤沢は半分怒ったように尋ねたが、「いえいえ! 違います」と言って河本さんは手を振り、「実はすでに、救助隊は二人のことをご存知の様子でした」と答えた。
「あっ、じゃあ助かったんだ!」と麗子さんは嬉しそうに声を上げたものの、河本さんはそれに対して少しの間押し黙り、「夜中に、麓の付近で照明弾が上がったそうです」と静かに答えた。
「夏目の親父さんか!」と藤沢は僕の方を見て言った。
「はい。それをきっかけに救助隊が急遽手配されました。雪の弱まり始めた夜明け前から捜索を開始していたそうです。
蓮介さんは私たちよりもいち早く彼らに発見されておりました。発炎筒が上がった地点に向かうとそこに倒れていたらしく、確認すると彼は虫の息だったそうです。
そこには田崎も一緒に倒れていたらしいのですが、残念ながら……」
「えっ」と、麗子さんは息を飲んで続きを待った。しかしながら、河本さんの醸し出す不穏な空気から、僕らはすでに結果を悟っていた。
河本さんは左右に首を振り、「彼はすでに、息を引き取られていました」と答えた。
「下山の途中で転倒したのか、首の骨を折っていたそうです」
「うそ……」と麗子さんは小さく呟き、口の辺りを手で覆った。
「蓮介さんは病院へ運ばれ、辛うじて一命を取り留めました。医者の話によると、駒井は仮に発見がもう半刻遅れていたら出血多量になっていたかもしれません。私もあの状態では身動きも取れず、どうなっていたことか」
俯いてそう語った河本さんはゆっくりと顔を上げ、「蓮介さんが発見された際、彼は田崎を抱き抱えるようにして倒れ込んでいたと聞かされました」と僕の方を向いて言った。
「田崎のことも、彼は救いたかったのだと思います」
「…………」
僕は上手く言葉が浮かんで来なかった。
父の勇気と行動力をどう賞賛すれば良いのか、父の記憶をあまり持たない僕にとっては、まるで別人の話を聞かされているような気分だった。
河本さんは深々と頭を下げ、「これが、その日に起きた事故の全てです。長い話になってしまいもう申し訳ありません」と言った。
僕らは河本さんの頭部を見つめたまま、誰も言葉を発することが出来なかった。しばらく経って僕は、「事故が起きたのは、五年前と言いましたか?」とようやく口にすることができた。
「はい。五年前の一月十三日です」
「それって、私の病院を退院してから半年後くらいよね?」と麗子さんが小声で言った。
「父が運び込まれた病院は分かりますか?」
「はい。それは分かります」
「え、じゃあ河本さんは夏目の親父さんの居所を知ってるってこと?」と藤沢が尋ねると、どこか気まずそうに口を噤んだ彼はハンカチで額の汗を拭いながら、「それが後日お見舞いに伺うと、突然転院をしたと聞かされたんです」と答えた。
「転院?」
「えぇ。最初に運び込まれた病院では治療が不十分だったようで。私もその時に転院先の病院を尋ねたのですが、それについては教えて頂けませんでした。どこへ行ったのか、それから全く分からないままなんです」
「連絡もなしに?」
藤沢が続けて尋ねると、「えぇ」と言いながら河本さんは小さく頷いた。
「何か、うちの病院の時と似てるよね」と麗子さんは言った。
転院……。
搬送先の病院で他に何か重要な問題が見つかったのだろうか。親族である僕が聞けば、ひょっとして転院先の病院も教えてもらえるかもしれない。
「運ばれた病院の住所を教えて頂けますか?」
「えぇ。えぇ。もちろんですとも」
河本さんは立ち上がって引き戸書庫に向かうと、一冊のファイルを取り出し、住所の記載された用紙をコピーして渡してくれた。
「ありがとうございます」
用紙を受け取った僕は彼に頭を下げ、「何か分かったら、必ず連絡します」と言った。
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