第53話
管理組合を後にした僕らは、父が救急隊によって運ばれたという病院を目指した。
河本さんは僕らが乗った車が見えなくなるまで後ろで手を振り続けていた。
葉山蓮介の運び込まれた病院は押切山からさほど距離もなく、大して時間もかからなかった。
外来用の駐車場に車を停め、僕らは病院の総合受付に向かった。
受付で父の転院先を尋ねると、初めは訝し気な顔で色々と質問をされたが、結局ここでも戸籍謄本が役に立った。
書類を確認すると、化粧の濃い小太りの女性はすぐにカルテの情報を調べてくれた。
「安西記念病院に転院なさっています。住所をお調べしますね」
「助かります」
「よっしゃ。これでようやくゴールが見えてきたわけだ!」と興奮気味に言いながら、藤沢は僕の肩に手を回した。
「もう少しで会えるかもしれないわね」と微笑みながら、麗子さんも僕のことを見つめている。
僕らは再び車に乗り込み、すぐに次の目的地へ向けて出発した。看護師に調べてもらった病院はどうやら山を一つ越えた先の港町にあるらしい。
直線の少ない山道(押切山があった地域とはまた違った趣のする道だった)を越えると、下り始める頃には潮風を感じ始めた。
やがて視界を取り巻く木々の群れを抜け出し、見通しが良くなると鴎の舞う海原が姿を現した。
街を一望することもでき、港に停泊しているたくさんの船舶は、ここからだとまるでミニチュア模型のように思えた。
僕は車の中からカメラを構え、その風景を撮影した。
街に入ると、石の壁に囲まれた幅の狭い道が迷路のように広がっていた。時おり姿を垣間見せながら近づいてくる海の水面は太陽光で反射し、何とも優美な姿を映し出している。
「この辺だと思うんだけど」と呟きながら、麗子さんは器用にハンドルを切って狭い道を進んでいく。
入り組んだ道を通り抜けた先には広々とした海沿いの大通りが見え、そこに一棟だけぽつんと佇む横長の建物があった。
看板には大きく”安西記念病院”と記載されている。緑色の看板を掲げたその建物は、まるで外界から取り残された砦のように感じられた。
「やっと着いたな」
「そうだね」と答えると、僕は思わず深呼吸をしていた。
伝言ゲームのように繋がった果てしない旅の終着点に、僕らはようやく足を掛けた気分だった。あと少しで、父の居所を突き止められるかもしれない。
建物に入ると、僕は受付で葉山蓮介という男を探していることを(今度は面倒を省くためすぐに書類を見せ、あらかじめ親子関係であることを証明してから)説明した。
今回は受付の人もスムーズに対応をしてくれた。さっぱりとした、童顔の女性だった。
「203号室ですね」
さらりとした口調で彼女にそう言われた僕は無言で後ろを振り返り、三人で顔を見合わせた。
「え、いるの?」
「今もここに入院してるってことで、良いのよね?」
これほどあっけなく居場所が分かってしまうとは思ってもみなかった。
僕は看護師に向かい、面会は可能かと尋ねた。すると彼女は、「診療時間内でしたら、いつでもお入り頂いて結構ですよ」と、イエスともノーとも取れない曖昧な表現をした。
僕らは揃って首を傾げたが、「とりあえず会ってみれば分かるよね」と麗子さんが言い、ひとまず病室を目指して歩き出した。
病院の内装は、外観から想像していたよりもずっと綺麗だった。潮風の影響で外観だけ早く劣化してしまうのだろう。
さほど大きな病院ではなかったが、受付の対応はどこか機械的な印象を受けた。丁寧ではあるものの、感情を持たない人工知能を相手にしているような気分だった。
待合の椅子に座る患者たちは、ほかの病院に比べて驚くほど静まり返っている。
決して患者数が少ないわけではない。一人一人が恐ろしく静かなのだ。瞳には生気がまるで感じられず、それはまるで魂の抜けかかった死に際のうさぎのようだった。
僕らは階段で二階へ上がると左側に進み、廊下の角にある父の病室の前までやって来た。表札には間違いなく『葉山蓮介』と表記されている。
先頭に立った僕は、スライド式の扉をノックした。
……応答はない。
扉を開いて中に入ると、奥の窓際に置かれたベッドの上に白髪頭の老人が仰向けになって横たわっているのが見えた。
綺麗に布団が掛けられた彼は、眠っているようだった。ベッドは一つしか置かれておらず、他の患者の姿もない。
静まり返った個室の中では、無機質な機械音が定期的なリズムで鳴り響いている。
僕は近くに寄って父の顔を覗き込んだ。写真で見た本人には間違いないが、現在の年齢が五十六歳にしては随分と老け過ぎているように感じられた。
すっかり衰弱しきった身体は血管が浮き出るほどにやせ細り、顔には多くのシワが見受けられた。隣りに立つ麗子さんも驚いた様子で彼を見つめている。
「普通に生きてて、こんな急激に老け込んだりしないわ」
「確かに。どうなってんだ?」と藤沢が後ろから覗き込みながら言った。
「強烈なショックを受けたせいで急激に老け込む患者さんは見たことがあるけど、その状態にかなり近いかも」
「じゃあ夏目の親父さんは、遭難事故から一度も目覚めてないってこと?」
「そこまでは分からないけど」
僕は黙ったまま父の顔を見下ろしていた。幼い頃に見た面影はなく、記憶の引き出しにこのような人との思い出は一切仕舞い込まれていなかった。
ひょっとして他人の病室と間違えてしまったのではないかと思うほど、居心地の悪さが感じられる。
「その辺の先生か看護師に聞けば、親父さんの容態も分かるんじゃないか?」
「そうよね。行ってみましょう!」
そのような遣り取りがあって二人が扉を開くと、花瓶を持った中年女性がすぐ前に立っていた。
向かい合った彼らは互いに「わっ!」と声を上げて驚いたが、僕が振り向くと女性はすでに混乱から脱したようで、「どちらさまでしょう?」と細い声で尋ねてきた。
「あの」と僕は扉の方に歩いて行き、「僕は、夏目蛍といいます」と名乗った。
するとその女性は目を見開きながら口元に手を当て、僕の顔を見つめ返した。
「あっ……。ごめんなさいね」
彼女は気持ちをリセットするように短く息を吸い込むと、「私は、葉山
「以前のご家庭についてのお話は、夫からある程度聞かされております。わざわざこんな遠方までお越しいただきましてありがとうございます」
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