第22話

「……えっ。なにこれ」


 階下には古びた倉庫そっくりに作られた空間が広がり、その中央に置かれたパイプ椅子に眞人がぽつんと座っている。


 諸星の話していたスタジオという意味が、これを見てようやく理解できた。


 眞人の周囲には先ほどと同じ連中が彼を取り囲み、あたかも拷問を受けている兵士のような状態に思えた。


「あれが、お仕置きなんだってさ」


 藤沢は階下を指差しながら、「人生終わったと思わせたところで、実はサプライズだって教えるらしい。――いい趣味してるよな」と最後の台詞は僕にだけ聞こえるような小声で呟き、歪んだ笑顔を浮かべた。


「それに何の意味があるの?」と僕が問いかけると、彼は表情を変えず肩を竦めた。


「リアリティが必要なのさ」


 僕らの会話を聞いていた諸星はそう答えると、口元に笑みを浮かべ、「言葉で分からない子には、現実を見せる必要がある」と言った。


「とはいえ実際にドラッグに手を出されちゃ、こちらとしてもたまったものではないからね。限りなく現実に近いペナルティを与えることで、彼がいかに危険な行為に身を染めようとしたのか、それを理解してもらえると幸いだ。


 眞人にとっては、そこからが本当のスタートラインだと僕は思っているけれども」


「議員秘書のわりに、演説の好きな奴だな」


 藤沢はそう呟くと、白石議員の方を向き、「おじさんが言えばそれで済む話でしょ?」と言った。


「こんなの逆効果ですよ」


「そう言われてもねぇ、秋くん。あの子は私の話なんてまるで聞かないんだよ」と白石議員はハンカチで額の汗を拭いながら答えた。


「本当に馬鹿な息子でねぇ、秘書たちには大変な迷惑をかけてしまったが、それでも息子のことになると、この先がどうにも不安で……」


「相変わらず、過保護ですね」


「いやぁ、全くだ! 秋くんには頭が上がらないよ。いつもあの子の面倒を見てくれてありがとうね。今日も心配になって見に来てくれたんだって?」


 白石議員がそう言うと、藤沢は咄嗟に笑顔の仮面を被り、「流れでこうなっただけですから」と答えた。


 だが、内心ではひどく機嫌が悪いように思えた。それほど長い付き合いでもない僕が見ても、今の彼の表情は妙に嘘くさい。


 彼の中では、何かが燃えている。


 沸々と揺らめく炎にも似たその気配をどのように処理すれば良いのやら、本人すら戸惑っているように思えた。


「おじさんは、眞人にどうして欲しいんですか? バンドを辞めて、政治家を目指してほしい?」


 藤沢がそう尋ねると、白石議員は左右に手を振り、「いやいや、私は眞人の好きにすればいいと思っているよ」と答えた。


「音楽が好きならば、それを続ければいい」


「でも、これじゃ――」


 藤沢は続けて何か言いたげに諸星を見遣ったが、そのまま口を噤んだ。


 すると白石議員が、「ただね、あの子には世の中の仕組みを少しは理解してもらいたいと思うんだ」と言った。


「正しい知識を持つことで、これからの世の中を引っ張っていく存在になってくれればと思う。それが政治家でも、今熱心になっている音楽でも、私は尊重しよう」


「熱心ですか」


 藤沢は眞人の方を見てそう呟いた後、頭を掻きながら、「おじさんって、眞人のライブを観に来たことありましたか?」と白石議員へ問いかけた。


 すると彼は呆けた表情を浮かべ、「ライブ? それはまぁ、立場上観に行く機会を持つことは叶わなかったが、熱心に頑張ってるんだろ? 秘書たちから聞いているよ」と答えた。


「音楽一本で生活していくのは容易ではないが、やはり息子が一生懸命になっているものをやらせるのが一番だろう」


「まったく……」


 藤沢は吐息を漏らすようにそう呟くと、顔を上げて笑みを浮かべ、「そうですね。熱心なら続けるべきでしょうね」と頷いた。


「秋くんが今でも相談に乗ってくれているそうで、とても安心したよ」


 白石議員はハンカチをポケットにしまい、「これからもあの子のことを、どうか気にかけてやってくれ。それが息子にとって、何よりの助けだろうから」


「…………」


 室内に携帯電話の音が鳴り響いた。


 藤沢はポケットから出した端末の液晶を眺め、「眞人から電話掛かってきましたけど、出ない方がいいですか?」と諸星の方を見て尋ねた。


 諸星は慌てて窓から下を眺め、「隙を見て君に助けを求めたんだね。だから携帯も回収しとけって言ったのに」


「いいや、諸星。もうこの辺で良いだろう。あの子も十分に懲りたはずだ」と白石議員が言い、藤沢の方を見ながら、「秋くん、電話に出てくれたまえ。君が心配していることを知れば、眞人も安心するだろう」


「またそんな……」と小さく漏らした藤沢は拳を握り、諸星の方を見た。


 諸星は肩を竦めたが、仕方なく電話に出るよう手の平を返して藤沢に合図した。


 受話器を耳にあてた彼は、「もしもし」と応答すると、そのまましばらく無言で相手の話を聞いている。


「――うん、うん」


 相手が必死になって縋る声が、僅かに漏れ出ていた。藤沢は窓際に立って彼を見ながら、相槌を打っている。


 僕はその隣で様子を伺っていたが、彼はゆっくりと諸星の方に視線を遣りながら、「見損なったよ」と静かに怒りを込めて答えた。


 その言葉を聞いた諸星は一瞬驚いた表情を浮かべたが、すぐに扉の方へ移動すると、付き添いの者に何かを伝え始めた。


「おや? 秋くん? どうしたんだい?」と呼びかける白石議員の声を無視しながら、藤沢は続けて、「まさかドラッグに手を出すような奴だとは思わなかったよ」と答えた。


「お前との腐れ縁も、さすがにこれきりだ。――は? そんなの自分で何とかしろよ。もう二度と連絡も寄こすな」と冷たく言い放ち、一方的に通話を切った。


「秋くん! なんてことを!」と白石議員が叫び、「すぐにかけ直させろ!」と諸星に向かって命令した。


 指示された諸星はすぐさま藤沢に歩み寄ったが、彼は薄笑いを浮かべ、「すんません、バッテリー切れちゃったみたいなんで、もう電話出来ないですわ」と答えた。


「諸星、今すぐお前の電話を貸すんだ! 今ならまだ間に合う!」と白石議員は言ったが、藤沢はそんな彼を睨みつけて深いため息をつき、


「おじさん、あいつは熱心でも一生懸命でもないよ。目の前の現実から逃げてるだけだ」と言い、入口へ向かって歩き出した。


「夏目、帰ろうぜ」


 僕は黙って彼の後に続き、部屋を出た。通り抜ける際に周囲を見回すと、白石議員は呆気にとられた表情で僕らを目で追い、諸星は電話を耳に当てながら誰かに指示を送っていた。

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