第21話

「あの人をどうするつもりですか?」


 僕がそう口にすると、前方の席で人の動く気配がした。


 顔を覆っていた布が突然外されたことで車内の照明に眩しさを覚えつつ、眼鏡の位置を整えて目を細めた先には予想した通り諸星の顔が見えた。


「あれ、君は……」と訝しげな表情を浮かべる彼は、先ほどライブハウスで見た印象とは異なり、随分と良い身なりをしていた。


 上下揃いのスーツを着用し、髪もきちんと整えられてまるで別人のようだった。


「ちょ、諸星さん、起きてるじゃないですか!」


 白いワイシャツ姿の運転手の男が焦ったように言うと、諸星はそれを無視しながら「まさか君だったとはね。乱暴な真似をしてすまなかったよ。じゃあもう一人はもしかして藤沢君かな?」と僕に向かって笑みを寄こした。


「はい。二人で眞人の後をつけて来ました」


「なるほど」と頷いた諸星は、「あんな所でこっそり覗いてる連中がいたもんだから、てっきりパパラッチか何かだと思ったんだよ」と笑みを崩さず答えた。


「本当はこのまま、の理由を説明する場所までご同行願おうかと思ったんだけど」


「そうですよ、さっきの話完全に聞かれちゃいましたよ!」


 運転手がそう声を掛けると、諸星は落ち着いた調子で、「そうだな。予定を少し変更しようか」と答えた。


「やっぱりこの子たちにも見てもらおう。下手な小細工をするより事実を伝えた方が君たちも安心だと思うし、特に藤沢にとっては、関係のない話でもないしね」


 諸星はそう言いながら僕を見つめ、わずかに緩めた口角を維持している。


 それは藤沢が普段から周囲の人々に見せる『見せかけ』にも近いものを感じたが、それとは明らかに違う殺気のようなものが彼の纏う空気には含まれていた。


「いいんですね?」と運転手が問うと、「構わない。このままスタジオに向かってくれ」と諸星は答えた。


 すると運転手はそのまま押し黙り、ハンドルを切って進路を変更し始めた。


 後部座席に座り直した僕は、地面に打った頭を摩りながら周囲の景色に目を配ったが、どこを眺めても暗闇ばかりで、ここがどの辺りなのかまるで見当がつかなかった。


「眞人のため、と話していましたよね。どういうことか聞いてもいいですか? どうしてあの人に――」


「あぁ、ちょっと待ってね」


 片手を上げながら僕の言葉を遮ると、諸星は携帯電話を取り出して誰かに電話を掛け始めた。


「もしもし、諸星です。えーと、予定を少し変更します。今すぐ後ろの彼を起こして事情を説明してあげてください。そのままスタジオに来てくれるよう頼んでみて。――うん、そう。それじゃ、頼んだよ」


 通話を終えた諸星は、おもむろに胸ポケットから名刺を取り出し、「恥ずかしい話なんだけどね――」と言いながらそれを僕に手渡した。


「実は、こういう者です」


「……議員秘書?」と呟きながら、僕は名刺を眺めた。


 すると彼は苦笑いを浮かべ、「裏方の雑用係だけどね」と答えた。


「これでも一応、白石孝文の議員秘書をしています。肩書は立派だけど、実際は汚れ仕事ばかりで誰も顔は知らないかな。だからバンドのメンバーにも上手く潜り込めたんだけど」


 潜り込めた? 議員秘書ということは、『白石孝文』とは政治家の名前だろうか。


 そう言えば、眞人は確か政治家の息子だと藤沢がライブハウスで話していた。とすると、白石孝文とは……。


「眞人の父親ですか?」


「そうだよ。僕は眞人を陰から支える世話係を長年任されていてね、今日もその関係のお仕事ってわけ」と諸星はあっさりした口調で答えた。


「彼を更生させるのが、僕の役目なんだよ」


「ドラッグの売人と仲介してるって話も、全部嘘……?」


「あちゃ、それも見られてたか。だから眞人の後をつけたんだね」


「やり過ぎなんですよ、諸星さんは」と運転手が会話に割って入り、「もしこの子たちがすぐに警察へ通報してたら、それこそ大騒ぎだったじゃないですか」


 中条が話していた噂は、諸星が流したのだろうか。眞人がドラッグに手を染めるどうか、試した? 確かにそれでは運転手が話す通り、更生というには大掛かり過ぎるのではないだろうか。


 前へ向き直った諸星は運転手の方へ視線を遣り、「内輪でさらっと済ますつもりだったからさ」と言った。


「そのためにスタジオも貸し切ったわけだし」


「スタジオ?」と僕が尋ねると、彼は前方を指差しながら、「今向かってるところさ。着いたら分かると思うけど、ちょっとしたお仕置きのために用意したんだ」と答えた。


 お仕置き……。


 それはドラッグに手を出そうとした眞人へのペナルティを指すのだろうか。わざわざ場所を変えてまで、一体何をしようというのか。


「もう少しで着くから。そこでまた説明するよ」


 諸星はこちらを振り向くと張り付いたような笑みを浮かべ、「それでいいかな?」と言った。


 僕が小さく頷くと彼は再び前に向き直り、そのまま目的地へ着くまでの間、一言も会話を交わすことはなかった。


 自動車が田舎道に入ると、左右に揺れる頻度が徐々に増していく。周囲には森林や田園のような気配が広がるばかりで、灯りのついた建物はほとんど見当たらなかった。


 彼がスタジオと呼ぶ施設に到着すると、僕はまたも驚かされた。先ほどの取引現場のように古びた倉庫を想像していたが、目の前のそれは森の中に佇む立派な洋館だった。


 屋内の床には真っ赤な絨毯が敷き詰められ、肌に優しい絶妙な冷え加減で冷房が効いている。長い廊下を抜け、豪勢な装飾を施された螺旋階段を上り、さらに歩き続けた。その間にいくつの扉を通り過ぎただろうか。


 諸星は突き当りの部屋の扉を開くと、そこに僕を招き入れた。中を覗くと、そこは以前にテレビ番組で見たような県知事室を思わせた。


 中央に配置されたレトロな装飾のソファや木製の長机などに加え、右側にあるデスクには置時計や花瓶、彫像などの調度品が飾られていた。


 すでに藤沢の姿があり、彼は奥の壁一面に広がった窓から(まるで警察の取調室のような作りだ)階下を見下ろしている。


「どうも、はじめまして」


 デスクの辺りに立っていた中年の男性は、僕が部屋に入るなり丁寧なお辞儀を寄越した。


 光沢のある灰色がかったスーツを纏い、赤いネクタイをしたその男は続けて「息子がお世話を掛けました」と口にしたので、この人物こそが白石孝文議員本人であるとすぐに分かった。


 政治家と聞き、僕はどこか堅苦しい人物像を思い描いたが、目の前の人物は恐ろしく腰の低い男で、どちらかと言うとファミレスの雇われ店長といった風情である。


 僕は小さく会釈を返すと、窓際に立つ藤沢のもとへそそくさと向かった。


 彼はこちらに気づくと軽く手を上げたが、すぐにまた窓の方へ向き直り、じっと俯いている。


 隣に立った僕は、彼の見ているものを確かめるべく同じように階下を見下ろした。

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