第15話

 開場時間の間際に戻った僕は何食わぬ顔で藤沢と合流し、入場料を払って中に入った。


 チケットについたワンドリンク券を片手にカウンターへ向かうと、僕らはひとまずビールで乾杯をした。


 待っている間に中を見回すと、薄暗くて狭苦しい空間内は人々で犇めき合い、スモークを炊いているのか、はたまた煙草の煙なのか、まるで曇天の中を彷徨うような感覚だった。


「あの人達は最後だから、それまでは適当に聞き流してようぜ」


 藤沢はすっかり元の調子を取り戻していたが、ほんの一瞬だけ眉間に皺を寄せ、「三番目は厄介だけど」と意味深な発言を残した。


 開始時間になると一組目のSEが流れ始めた。今夜は全部で四組のバンドが出演するらしい。


 爽やかな歌声のその曲はどこか聴き覚えがあったものの、洋楽にはさほど詳しくないのでアーティスト名までは分からなかった。


 初めに現れたのは男女混合編成の三人組で、ギターを持ったボーカルの男性はジーンズとTシャツ姿になぜか和服のような長い羽織物を合わせていた。


 エフェクターで奇妙な音色を作り出していたが、それもどこか耳に心地よく響き、隣に立つ藤沢も感心したように頷いていた。


 ベースを担当する女性はボーカルを兼任し、曲によって歌う時もあれば演奏に専念する時もあった。ベースを始めて間もないのか、俯いて手元を確認しながら引く姿がよく見られた。


 さらに二人の後ろに位置取ったドラムの男性は、細身の身体にも関わらず太鼓を叩く音がものすごい迫力で、ミスが多いせいもあってか三人の中で最も目立つ存在となっていた。


 三人ともよく音を外したり、リズムが乱れたりするので腕前は大したことないように思えたが、ダンスロックというジャンルはなかなかに興味深く、どこか耳に残るメロディラインだった。


 数曲演奏した後に客からぱらぱらと拍手をもらい、彼らはぺこりと頭を下げると速やかに舞台裏へ撤収していった。


「発想は悪くなかったな。ド下手だけど」と、藤沢はビールを片手に舞台を眺めながら言った。


「意外と厳しいじゃないか」


「そりゃ、あの人達と比べちゃうとな。まだ全然だし」


 彼の中では、知り合いのバンドが相当に大きな存在であるようだった。中でも中条というギタリストにひどく心酔しているようで、会場に来てからというもの、会話中に何度もその人物が引き合いに出された。


 二組目に現れたのは眼鏡を掛けた男性の二人組で、驚くほどひっそりと舞台上に入場したのち、揃ってギターのエフェクターを床の上に大量に設置すると二人とも椅子に腰掛けたまま演奏を始めた。


 遠目に見ると、まるで水面を泳ぐ二対のカルガモ親子のような佇まいである。


 歌の存在しない楽曲――いわゆるインストゥルメンタルというジャンルの演奏――が続き、非常に退屈で眠たげな音色が室内を満たした。


 ようやく彼らが持ち時間を使い切ると、一部の人間からは熱烈な拍手を受けていたが、数は非常に少なかった。


 聴衆の頭上には巨大なシャボン玉が浮かんでもおかしくないほど微睡んだ空気が漂っている。それでも彼らは満足した表情を浮かべ、来た時と同様に静かに去っていった。


「演奏は上手いけど、曲が気怠過ぎだな」


「同感だね」と答えながら、僕は聴衆につられて大きな欠伸をした。


 三組目が開始する前には客層ががらりと入れ変わり、入口から生きの良い男女が現れ始めた。ある者は叫び声を上げ、押し合いをしながら前列の方で出番を待っている。


「次が藤沢のいたバンド? へぇ、結構人気なんだ」と僕が言うと、彼はあからさまに嫌悪感を示しながら、「まぁ、見てれば分かるよ」と答えた。


「あれっ? 藤沢じゃん!」


 声が聞こえてそちらを振り返ると、群衆の中から抜け出して彼の元へ歩いてくる男女の二人組がいた。


「ちっ、平岡」と隣に立つ彼は鬱陶しそうな声を漏らしたが、すぐさま大袈裟に手を振り、「おおっ、久々! そっちもライブ観に来てたのか」と明るい声を出した。


「来たのはついさっきだけどな」と答えたその男は、肌にフィットしたVネックの白いTシャツに、ボンタンのようにワタリの広いサルエルパンツを履いていた。


 肌の色がこんがりと焼け、白いTシャツとの対比がこの薄暗い室内でもはっきりとわかるほどだった。


「ゆうちゃんのともだちー?」


 男の隣で腕を絡めながら、肩を丸出しにした化粧の濃い女がそう尋ねた。「偶然会うとかウケるんだけど」


「高校の時のな」と答えた男は藤沢の方へ向き直り、「お前も例の応援に来たの?」と尋ねた。


「応援……」と藤沢は一瞬言葉に詰まったが、「あぁ、そうそう! そんな感じ」と相手に合わせるように答えている。


「やっぱり、このイベントは外せないよな」


 怪しげな笑みを浮かべた男は舞台を指差し、「最前列のいい場所取ってるけど、一緒に来る?」と言った。


 すると隣の女が、「はぁ? なんで人増やしてんの? 意味わかんないんですけど」と彼を睨みつけた。


 男は慌てた様子で「ばかっ」と声を出した後、女に耳打ちしながらこそこそと何かを伝えている。


「あぁ、そっか! さすがゆうちゃん」と言って女があっさり機嫌を直すと、彼は再び藤沢を眺め、「どうよ?」と尋ねた。


「確かに、前の方がよく見えるかもな」


 藤沢は丁寧に前置きをし、「でも悪いな。俺は人混みに入ると酔っちゃう質なんだわ」と爽やかな笑みを浮かべた。「大人しく、後ろの方から応援させてもらうよ」


「そっか、そりゃ残念」と答えると、男は藤沢の耳元へ顔を近づけ、「途中でノッて来てから乱入っていうのも、十分アリだと思うわ」と囁いた。


「ゆうちゃん、早く行こうよぅ」


 女に腕を振り回され、男はそれに頷くと、「そんじゃ、また後でな。お互い頑張ろうぜ」と言って去っていった。


「客なのに頑張るって表現も、何だか可笑しなもんだね」


 彼らが去った後で僕がそう言うと、藤沢は静かにため息をつき、「あながち間違いでもないよ」と答えて隅の方へ移動し始めた。

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