第14話

「えっと、ここなの?」


 小さな黒板に書き殴られた本日公演予定のバンドリストを怪訝な面持ちで眺めながら、僕は隣に立つ藤沢にそう尋ねた。


「そうそう、ここの地下。小汚くて狭いけど、かなり有名な所なんだぜ? でも、さすがに早く来すぎたか」


 寂れた商店街を中程まで進み、煙草屋と呉服屋に挟まれた細長い空間にぽつんと地下へ降りる階段が見える。看板は恐ろしく見えづらい位置に掛かっており、これだけではたとえ地図を持ってしても、地下にライブハウスがあることに気づけない者もいるのではないだろうか。


「知り合いのバンドの最後のステージなんでしょ。ここがそれに相応しい場所ってこと?」


「メジャーデビュー前の、最後だよ」と彼は補足し、「一番思い入れの深い箱だからな。俺も高校の頃からバンドで何度か出させてもらったわ」


「バンド?」


 藤沢が音楽に詳しいことは出会ってすぐに知ったが、経験者だとは知らなかった。「へぇ、担当は?」


「ギター。これでも結構上手い方かも」と答えた藤沢は、照れたように汗で湿ったもみあげを掻き、「まぁ今となっては、何の感慨もないけどな」と言った。


「感慨? それって――」と尋ねかけたところへ彼の知り合いのバンドが現れ、藤沢は大声で挨拶を交わした。


 しばし話し込んだ後で僕にも彼らを紹介してくれたが、相変わらずの人見知りを発揮する僕は小さく会釈をすると、その後は黙って様子を伺っていた。


「中条さんは、まだ来てないんですか?」


 藤沢がそう尋ねると、メンバーの一人である体格の良い男性が、「あいつは掛け持ちのスタジオ寄ってから来るってさ。人気ギタリストは多忙だわ」と答えた。


「やっぱ中条さん、認められてんすね」


しゅうちゃんの方はどうよ? 新しいバンドは組んだ?」と彼が尋ねると、藤沢は苦笑いを浮かべ、「いやぁ、俺ってバンドとか向いてないすからね」と答えている。


 傍から見る藤沢は普段通り明るく社交的で、調子の良い表情を崩しはしないものの、今日はどこかきまり悪そうに思えた。


「それってもしかして、昔のトラウマじゃない?」と言ったのは、丸眼鏡を掛けた文豪のような出で立ちの男性である。


「まぁ、それと今日も対バンだけど」


「あれはあれで一種のエンターテイメントでしょ」と、掠れた声の女性が続いた。


「ていうかこれって、今しても良い話題なの?」と藤沢に問いかけつつ、彼女は僕の方をちらりと見遣った。


「あぁ、こいつは大丈夫ですよ」と答えた藤沢は自身の頭の上に手を添え、「なんかすいません、最後なのに迷惑かけちゃって」と謝罪している。


 すると丸眼鏡の男性は彼の肩を叩き、「何言ってんだよ、秋ちゃんは悪くないじゃん」と答えて笑顔を作った。


「秋ちゃんのギターは一級品なんだから、もっといい奴ら見つけて、また新しいバンド組まなきゃ」


「あぁ……」と言葉を詰まらせた後、藤沢はすぐに薄ら笑いを浮かべ、「はは、そうっすね!」と答えていた。



「――悪い。ちょっとこれ、行ってくるわ」


 メンバーたちがリハーサルへ向かうと彼は右手の人差し指と中指を立ててそう言い、喫煙所へ煙草を吸いに行った。


 特にすることもないので一緒について行っても良かったのだが、彼のぼんやりとした態度から今は一人になりたいのかもしれないと勝手に推測した僕は、開場時間まで商店街をぶらつくことにした。


 どこまで歩けど寂れた商店街で、時おり見かける商店の店主からはまるで活気を感じない。生前の祖父がよくあんな風に物思いに耽りながら、縁側で日向ぼっこしていたのを思い出した。


 アーケードの天井はどこも薄汚れていて、隙間から差し込む太陽光がいやに恋しく感じられる。こんな場所が都心から一駅のところにあり、それが未だ淘汰されずに残っていることに僕は驚きを隠せなかった。


 ひと通り周辺を散策して戻ると、ライブハウスの入口付近に立った藤沢が誰かと会話しているのが見えた。ちょうど彼が背を向けているため、相手の顔をはっきりと見ることができる。


 灰色味のあるくすんだ金髪の男は、それほどに愉快な事象がこの世の中にあるのかと思えるほど、高らかな声で笑っている。鋭く吊り上がった目つきはまるで蜥蜴とかげのようで、時々舌で唇を舐める仕草がその印象を一層強めていた。


「お前、今日もあれやる気か?」


 質問をしたのは確かに藤沢の声だったが、その色味は普段では考えられないほどに冷淡で、陰陰たる響きを帯びていた。


「もちろんだよ! 求めてるファンがいるならやるべきっしょ」


 快活に言い放つその男は、一体何をやらかしたのか。あれほど不機嫌そうな藤沢を見るのは初めてのことだった。


「誰が喜ぶんだよ?」


 藤沢は少々首を傾けて腕を組み、凍えそうなほどに冷ややかな空気を纏ってそう言った。「いい加減、気づけよ。お前はバンドで売れたいの? それともただ注目されたいだけなの?」


「そんなの、お前にだけは言われたくないね!」と男は怒気を帯びた声で答え、「お前がいたらもっと正面から勝負できたのにさ」


 藤沢は苛ついた様子で頭を掻き、「確かに、俺が言うことでもないよな」と静かに呟いたが、「けどさ、いつまで俺のせいにしてんの? 今はお前のバンドで、お前が責任持ってやってんだろ?」と続けて捲し立てた。


「でも秋ちゃんは、いつも助言してくれんじゃん」


「お前がしつこく電話してくるからだろ。肝心なとこは全然聞いてないしさ」と藤沢は答え、「今後は何かあっても、俺に泣きついてくんなよ」と言い捨てた。


「誰がいつ泣きついたって?」


 険悪な空気がみるみる広がっていったところで、入口の方から男を呼ぶ声がした。


 男は笑顔で返事をすると、「まぁ見てろって。すぐに有名になってやるから」と言ってその場を後にした。


 藤沢は一度深いため息をつくと、気分を害したように壁を蹴り、そのまま煙草屋の中へ入っていった。


 僕はひとまずライブハウスの前から離れると、見どころのない商店街を再び徘徊することにした。

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