第16話

「――えっと、あれって本物なの?」


 彼らの登場からまもなくして、僕は理解した。というよりも、体験したといった方が良いのかもしれない。


 四人編成のバンドはギター、ドラム、ベースに加え、ボーカルのみを担当する者がおり、彼らは全員がもれなく動物の被り物をしていた。


 兎の被り物をしたボーカルの話し声は先ほど藤沢と話していた男の甲高い笑い声と同じ響きで、彼は開始早々に奇怪な行動を取り始めた。


 藤沢は肩を竦めると、僕の問いに対して肯定の意を示している。


 後方のカウンター付近から舞台を眺めていた僕は、ボーカルが手にした銃のような玩具から発射される紙切れに対し、野獣のような勢いで飛びつく観客の姿を見た。


 宙をたゆたうそれらはただの紙切れではなく、紛れもない紙幣だった。そこには学問のすすめを提唱した例の彼が印刷されたものも大量に含まれ、それに向かって飛び交う聴衆たちはまさしく餌を取り合う動物園の猿を思わせた。


 これはライブではなく、もはや悪質なパフォーマンスであると、僕は不快感を露わにした。


眞人まさとって奴は、こういうことをする男なんだよ」


 藤沢は一族の恥部を晒した華族を見るような肩身の狭い表情を浮かべると、堪らず舞台に背を向けながらビールを煽った。「昔は違ったんだけどな」


「あそこに藤沢も居たってこと?」


「言っとくけど、俺が居た頃は被り物なんてしてないから」と彼は鋭い口調で答え、「あんな真似するようになったのは、つい最近だよ」


「あのお金は一体どこから湧いてくるんだろ」と僕が呟くと、藤沢はため息をつき、「眞人の親父さんが有名な政治家でさ、爺さんも財閥だったか。あいつは自由に使える資金が豊富なんだよ」と言った。


「このことは一応、誰にも秘密だから」


「政治家の息子? なるほどね。顔がバレないように被り物してるのか」と答えた僕は、藤沢と同じようにカウンターの方を向き、「じゃあどうして、さっきの人たちは藤沢が前にいたバンドだってこと知ってたの?」と尋ねた。


「そりゃ、あの人たちとは付き合いも長いし」


 藤沢は頭を掻きながら、「ここのライブ関係者や主催側も含めて、顔バレしてる連中には漏れなく誓約書を書かせてるって聞いたよ。家からずっと被り物してくるわけにもいかないからな」と言った。


「おぞましい権力の臭いを感じるんだけど……。もし告発したらどうなるの?」


「はは。考えたくもないな」


 彼は薄っすらと笑みを浮かべ、「触らぬ神に祟りなしってことで、みんな見て見ぬふりしてるよ。金もらってる連中も結構いるんじゃないかな」


「ふうん」と答えた僕は、ふと気づいたように、「ところでそんな話を僕にして、藤沢は平気なの?」と尋ねた。


 すると彼は口元に笑みを浮かべ、「夏目は誰かに話すような奴じゃないだろ」と言った。「俺だって、人を選んで話すよ」


「大した信頼だねぇ」とため息交じりに僕が答えると、藤沢は舞台の方へ向き直り、「大学に入ってすぐの頃にさ、俺らは都心の方へ遠征に出たんだよ」と言った。


「それが全然受けなくてさ。眞人は悔しかったんだろうな。必死に努力しても周りから認められないんじゃ意味がない。サクラでもいいから客を呼んで、出る機会も増やして、どんな形からでも有名になれば良いって言い始めるようになったんだ」


「それで被り物に、金のばらまき? これじゃサクラどころか、まるで殿様の戯れだよ」


 僕は藤沢に続いて舞台の方を向くと、観客たちを眺めた。彼らは音楽を聴きに来ているというよりも、まるっきり金に目が眩んでいると表現して差し支えなかった。


 平岡という男もこの混沌の渦中にいるのだと思うと、僕は鳥肌が立った。『例の応援』とは、即ちこういうことか。――自身への応援、もしくは援助金とでも思っているのだろうか? 


 今となっては、彼の姿を見ただけで舌打ちする藤沢の気持ちもよく分かる。


「あいつは自分を見失ってるんだよ」


 藤沢はビールを勢いよく流し込み、「金を払ってまで客を呼んだことが、俺はどうしても許せなかった。あんなダサい被り物なんて、絶対御免だしな」


「それがトラウマってわけか」


「トラウマってほどでもないよ。単に冷めちゃっただけさ。俺はあのバンドを見捨てたんだ。今ではギターを引くのも、何か気が引けちゃってな」


 彼がそのまま黙りこくってしまったので、僕も静かに舞台の方を眺めていた。お札に飛びつき、取っ組み合いの喧嘩まで繰り広げる観客の姿は、ひどく卑しい存在に思えた。


 こんなパフォーマンスが一体何になるんだ。自らの品位を下げ、他者を、家族を、音楽を冒涜する行為だとは思わないのだろうか。


「新しく入ったギターの奴、やる気なさそうだな」


 藤沢が話題に上げた彼(おそらく彼だ)は虎の被り物をしており、他のメンバーと比べてどこか異質な空気を放っていた。リズムに乗って跳ね回るベースやボーカルとは違い、彼は舞台上で静かに佇んだまま観客の姿を見下ろしている。


「よう、秋ちゃん。久しぶり」


 入口側から藤沢に声を掛ける者があり、そちらへ視線を遣ると髪の長い細身の男が立っていた。藤沢は男を見るなり嬉しそうな表情を浮かべ、「中条さん!」と答えた。

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