第5話
学校に着いてからはいつも通りに時間は過ぎ、昼休みになった。夏目漱石のこころを開いた僕の視界には、整然とした、穏やかで危うげな文章では無くこちらをじっと見つめる少女の姿があった。
真田美琴。普段一緒の7人グループにいる女の子三人の内一人だが、正直クリスとしか殆ど話さない僕にはあまり馴染みのない人だ。そもそも、あまり得意なタイプの女の子ではない。スポーツをしているのがわかる健康的な肌色、長い睫毛、大きいつり目がちな目、髪はポニーテールにしている。文句無しの美少女だ。苦手意識を持つのも仕方がないと思う。なにせキツそうだし。ギャルっぽいし。そういえば、生徒会書記も担当していたと思う。席替え後、僕の右隣に座るのは彼女だった。
「ねえ、今、時間ある?一緒に体育館裏まで来てくんない?」
体をかがめて、その小さな顔を僕の方にぐっと近づけてきた。うおお、いい匂いがする。柑橘系?そんな事を考えつつ、周囲を気にしながら小声で尋ねてくる彼女の様子に訝しさを覚えた。嫌な予感がする。
「あ、あー、えっと、僕、これから図書室に行かなくちゃで」
つい言い訳をしてしまった。僕は人の申し出を断るのは得意なのだ。面倒な事は極力避けたい。何より呼び出しと言うものは僕からすれば誰からのものでも怖い。
すると、彼女ははっとしたように言った。
「あ、ひょっとして天羽に会いに行くの?今日あいつ図書当番だったわよね」
「え?あっ、うん、そうなんだよ」
「ふーん。そう、やっぱり仲いいのね」
おとがいに手を添えて逡巡する様子を見せた後、彼女は軽く頷いた。
「うん、やっぱり来てもらうわよ。図書室には放課後に行って頂戴」
「…わかりました」
僕は直ぐに断るが、それを押し通すほど強情でもないのだ。
そして、彼女と体育館までやってきた。距離自体は大したことないが、坂になっている上足場はコンクリートでは無いため疲れる。そんな理由で用もなく生徒がやって来ることは無いため、内輪話にはうってつけである。真田はそれでも、周囲に人がいない事を確かめながら、裏口の階段に座った。僕は彼女に促され、その隣に座った。いや、結構間隔を開けていたから隣とは言い難いかも知れない。この距離=僕の彼女への恐怖心、なのかもしれない。
「手短に済ますわ。夏休みの世界史の課題、私と取り組んで欲しいのよ」
「その心は…?」
別に世界史が得意なわけでも無いのに何で僕なのか、不審でしかたない。
「…?大喜利?」
「違う!その言葉の真意が知りたいって言ってるんだよ!何で僕と課題をしたいの?」
天然なのか、この子は。文脈で察してくれよ。
「…答えたら、協力してくれるの?」
協力、というのが何となく課題の手伝いという意味合いだけでは無い気がした。僕の直感はあまりアテにならないが。
「その答えによる」
「そ、じゃあ答えるわよ。あたし、天羽の事が好きなの。だからあたし達は、あ、あたしのペアはホルクロフトなんだけどさ、あんた達と協力して世界史をやるっていう名目で天羽に近づきたいのよ」
ふむふむ、天羽に恋するたくましい女の子が存在したことに驚きだが、一度決断したらその後は躊躇なく好きな人の名を明かした彼女の、えっと、男らしさ?潔さかな。にも感服だ。僕は真田に好感を持った。何より彼女のペアがクリスなら、僕が気まずい空気を作らずに済みそうだ。
「うん?けど、調べる内容って同じなの?」
「ええ、あなた達に合わせてあるわよ」
凄いな。盗み聞きしてたのか?
「準備がいいね。良いよ、君に協力してあげる」
「ありがとう!ふふふ、あたしの恋も一歩前進ね」
ホルクロフトにも伝えなきゃ、彼女はその花のかんばせに初めて笑みを浮かべてみせた。うぐ、何でこんな可愛い子が天羽なんかを好きになるのかわからないよ。僕じゃなかったらその笑顔だけで恋に落ちてたと思う。しかし、この事をあの人嫌いに伝えたらどう答えるだろうか。勝手に決めたことを怒るかもしれない。周囲の林の緑を眺めながら、気づくと僕はため息をこぼしていた。
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