第3話

 「霍夜、高校生になってしばらく経つだろ。彼女は作れたのかよ?あー、いや、その外見じゃ彼氏の方が似合うかもなー。彼女じゃぱっと見百合だな」


 見慣れた部屋。青に染まった壁、僕の正面に大きな窓、その前には人の良い好青年。

 いつもの様にチョコレート色のソファに腰掛け、足を組ませた永希は、にまにまと表情を緩めながら言った。


 「確かに、周囲に人はわらわらと寄って来るけど、生憎好きな人は出来ていないよ」


 冷やかしを受けて、つい、口調も表情もすましたものになった。自分がそういった、恋愛の関わる話題が苦手だと自覚する様で少し憮然とする。なんだか、子供っぽいじゃないか。そういう話が苦手って。そして、意図せず口をついて出ただけとはいえ友人達にわらわらという表現を使ってしまった事を少し悔いた。そもそも、皆は僕ではなくクリスの側にいるのだ。クリス、クリストファー・ウィリアム・ホルクロフト。イギリス人、絶世の美少年。潔白な心を持つ好青年で、僕の数少ない心から信頼する人間の一人だ。クリスが僕に頻繁に話しかけてくるから皆彼について僕の側にやってくる。


 「お?なんだよおまえ〜、わらわらって友達に対して失礼だろぉ」


 うりうりー、と永希は僕の頭を乱暴に撫でた。僕は黙ってそれを払う。言われなくても反省してるよ。


 「君は知ってると思うけど、僕は他人といるのが苦手なんだ」


 「ああ、知ってるぜ」


 うんうん、永希は深く同意を示した。


 「自称人嫌いで、その実根っからのお人好し。そんなに人が嫌なら近付かなきゃいいのにいつの間にか人のそばに寄り添ってしまう。それがお前だよ」


 永希は心底微笑ましいとでも言いたげに、いつにも増して優しい瞳になる。普段から一寸の曇りもない純然たる彼の瞳は、その光を少し和ませ、穏やかに、あたたかさを増す。


 「違う。僕はただ臆病なだけだ。…もう、寂しい思いをするのは嫌、なんだよ」


 人付き合いは面倒くさい。大切な人にいなくなられると自分には何も無いのだと、無くなったのだと感じさせれる。ならいっそ、最初から一人が良い。でも、あの頃みたいに戻りたくない。賑やかな空間にいたい。人の温度を感じられる場所にいたい。我ながら矛盾しまくりだ。どちらも捨てられない自分の卑怯な甘さが嫌になる。


 「そうだな。そして、霍夜、お前はやっぱり優しいやつだよ。お前はそのわらわら寄ってくる人間を傷つけないよう忖度して気を配って、そうして疲れちまうんだ。あと、親しくなった人が離れていくのが怖いんだろ?だから最初から誰にでも距離を置くんだ。本当に、優しすぎる奴だよ、お前は」


 「う、うるさいうるさい!そんな風に褒めるなよ。というか、君にだけは言われたくないね。人の事を言えないぞ、永希。それに僕は、現に僕は、今天羽のやつの事が何故だか気に入らないんだ。…ねえ、どうしてだと思う?」


 次々と褒め言葉を重ねる永希の言葉に恥ずかしさを感じ、また、決して嘘をつかない永希の真っ直ぐな言葉に安堵した。しかし、やはり自分を過度に褒める言葉は聞きづらいものだ。永希自身は本気で僕をそんな高尚なものだと思っているのだろうが、他ならぬ僕自身はそんなふうに自分を評価できない。どうしても言葉を止めて欲しくて、つい、子供っぽい口調になったことを自覚し、顔が熱くなる。


 「僕が、こんなに他人に意識を向ける事なんて…」


 つい、無意識にそう呟いていた。


 「お前がそんなに他人に心を動かされたのは、病室のお嬢さん以来だろ……」


 それ以上は言わせない、と僕は永希の事を睨みつけた。そもそも返事を求めて言ったわけでも無い。独り言だった。


 「……、うーん、お前が天羽君を嫌いなのは、その子がお前に似てるからじゃないか?元来、自称人嫌いなお前はその子の堂々と一人でいられる様子に嫉妬しているんだ。迷ってばかりで優柔不断な自分に気付かされるから」


 「嫌いじゃない苦手なんだよ。あと、そう繰り返し自称自称言うな」


 早口で訂正を済ませる。しかし納得がいった。翻って、クリスの事は殊に好ましく思っている。彼の人柄の素晴らしさといったら誰からも敬愛されるんじゃないかと言う域にある。嫌われない人間という者はひょっとしたらいるのではないかと思わされる。僕は人が苦手なばかりでは無いのかもしれない。


 そろそろ時間切れかな、そう何となく自覚し始めると、永希は始めみたいににやけ始めた。


 「まあ、兎に角、人生何があるかわからないぜ。ピュアッピュアなお前もいつまでもお嬢さんの事を引きずってっと一生彼女も……」


 お嬢さん、という単語を聞くや、僕は床に出現したぬいぐるみどもを掴んで永希に間断なく投げつけた。


 「あー、もう!おまえ、さっきから僕の事馬鹿にしてるだろ!馬鹿にして!馬鹿にして!」


 

 「……馬鹿にして!」


 叫んでガバッと起き上がった。息が荒い。肩が上下する。喉が渇いている。あれ、ばれた?とでも言いたげな永希のにやけ顔を思い出す。僕は前髪をかきあげ、ぬいぐるみが一つも当たらなかった敗北感と苛立ちに、だあ、とか、うぐう、とか唸りながらベッドを降り、洗面台に向かった。

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