彼女は未練がある
『もう!なんで登校時間がギリギリなのよ!』
アリサは僕の身体を走らせながら悪態をつく。
『朝を軽く済ませてれば丁度いい時間なんだよ』
『しかも体力ないし!』
『ついでに悪口を混ぜるな』
数分走った程度で既にぜーぜーと肩で息をし始める。まあ、体力がないのは事実だな、うん。
駅に着くと素早く改札を抜け、ギリギリのところで始業時間に間に合う電車に乗り込んだ。
学校の最寄り駅に着く頃には息も整っていた。それにここからはもう走る必要はない、のだが
『いや急がなくても間に合うだろ?』
『そう、なんだけどね』
鼓動が早くなるのが感じる。先程までよりは遥かにゆっくりとしたペースなので運動負荷はないに等しいはずだ。であるならば、
(そんなに会いたいのか……)
その人に。いや当然か、幽霊になって僕の身体を借りてでももう一度会いたいと願う相手なのだから。
小走りのまま校門を抜け、玄関。焦るアリサを僕の下駄箱へと誘導し、上履きを履いてまた小走りになる。
そのまま僕とアリサのクラスへと急ぐ、彼女が会いたい人の待つ場所へ。僕の知りたいような知りたくないような気持ちをよそに、僕の身体はクラスの前に到着し、そして
「おはよー」
とそれまでの急ぎ様が嘘のように徒歩移動になりながら扉を抜け朝の挨拶をした。未だクラスメイトの死を消化出来ず、ぎこちない雰囲気の漂うクラスから帰ってくる声はまばらだったが。
しばらく辺りを見渡した後、アリサは空席を注視した。
「いない……」
その空席の近くに近寄ると、アリサが仲が良かったであろうクラスメイトに話しかけた。
「ねえユウナちゃ……ユウナさんって、今日は……?」
突然普段話すこともない僕に話しかけられた女子生徒は少し当惑していたが、必死さが伝わったのかポツリと言葉を返した。
「えっと……ユウナちゃんなら今日も休み、だと思うけど」
「そっ、か……」
そうアリサは力なく返して肩を落とした。にしてもアリサがどうしても会いたかったという、
『ユウナ、さんって……』
『ごめん、放課後まで寝る』
『は?』
余程気落ちしたのか知らないが、アリサはそれだけ言うと気配がすっと消え、僕は身体に力が戻るのを感じた。
手をグーとパーにして自分の動きを確認してみた後、僕は衆人環視の中ひどく怪しい行動をしてるんじゃないかと強迫観念に襲われ、そそくさと自分の席に座った。
アリサが会いたかったユウナさん、正直僕は殆ど関わりがなかったのでどんな人だったかあまり覚えていない。
ただアリサが事故で死んで以来、一度も彼女は学校に来ていないということは確かに分かっていた。
放課後、朝の宣言通り起きてきたアリサは僕から身体の主導権を奪い取ると真っ直ぐ駅へと向かい、僕らの自宅とは反対の電車に乗った。
『こっちがその……ユウナさんの?』
『そう、私も家に行ったことはあまりないんだけど』
電車で二駅、少し歩いたところにユウナさんの家はあった。
アリサは息を整えると、一呼吸置いてチャイムを押した。
「はい」
インターホンから母親らしき声が応答した。
「こんにちは、突然すみません。私ユウナさんの……クラスメイトのユウと言います。ユウナさんいらっしゃいますか」
「クラスメイトの……。ちょっと待っててね」
そう言うとドタバタという音と共に音が遠くなっていった。少し時間がかかりそうだろうか、と考える暇もなくドタバタという音が近づいてきて
「ごめんなさいね。今は誰とも会いたくないって」
「そう……ですか。あの……また来ます」
僕の想像通りの答えが帰ってきた。
『そりゃあ、親しくもないクラスメイトと会う気にはならないよね……』
僕だって風邪か何かのときによく知らないクラスメイトが訪ねてきたらお断りするだろう。そんな他愛もない言葉を
「うるさい!」
と大きな声で諌めた。
『アリサお前声に出て……』
とそこまで言い掛けたところでひどく無神経な物言いをしたこと、そして僕の視界が歪み始めていることに気づいた。
どうやらインターホンはもう切れていたようだが、ユウナさんのお母さんに先程の暴言が玄関越しに聞こえていないことを祈りつつ、僕はアリサに謝った。
『えっと……ごめん』
『……私も、ちょっと取り乱した』
『ああうん……』
少し気の利いた言葉でも言おうかと思ったけれど、そんな言葉すら今の彼女には失礼な気がして僕は生返事しかできなかった。
『とりあえず落ち着くまで場所を移そう。泣いたまま家の目の前にずっといるってのはその』
『うん……』
アリサはそれだけ返すととぼとぼと歩き始め、近くにあった小さな公園のベンチに座った。
彼女が落ち着くまで待とうとも思ったけれど、僕は今聞かなければずっと聞けないんじゃないかと思い、
『あのさ、ユウナさんにもう一度会いたい理由って……?』
聞いてしまった。
しばらく返事がなかったので、僕は
『言いたくないなら』
言わなくていいと言う途中で、アリサは語りだした。
「ユウナと、私が事故に会う前に遊園地に行ったんだ。色んな乗り物に乗って、楽しくて」
嗚咽にまみれながらアリサは僕の口を動かしてその時のことを語っていく。二人で看板キャラクターと写真を撮ったりしたことも、ミニゲームで遊んだり、とてつもなく長い列でも二人なら楽しく過ごせたことも。
「でもね、ユウナはいつも……どこか悲しそうで。それで」
最後に乗った観覧車で、ユウナは消え入りそうな声でアリサに言ったらしい。
「アリサ……ずっと一緒にいてね」
と。それが、その光景が、アリサの頭から離れなかったのだという。死んだ後でも。
「だから、ひと目見て、安心したかっただけなんだ……」
多分口に出さないだけで、アリサも僕と同じ予感に辿り着いているのだろう。
ユウナさんがアリサの後を追うのではないかと。でもそれなら、
『ユウナのところに直接は……』
「行ったけど……家の中にも入れなかった」
『ユウナさんの誰にも会いたくないという思い……とか』
「かも、しれない……それで、乗り移れそうなところを探してたら」
『僕、か……』
仕方なく、なのかなと邪推してしまって少し落ち込んだ。
いや今はそれよりもどうやって彼女に会うか考えないと。ユウナさんもそうだが、アリサだっていつまでこのままでいられるのか分かったものじゃないのだから。
『写真を渡してみるとか……?』
「殆どスマホの中に入れてたし事故で燃えちゃった……」
『ぬいぐるみとか?』
「おそろいのやつが家にあるけど多分入れない……」
家まで取りに帰ってもアリサの家の鍵がないんじゃあ……窓ガラスを割って……いやそれは最終手段だ。他には
『それじゃあ……手紙とか?』
「……それ!筆跡なら私そのものだし!それに……!」
とそこまで言って僕の頬が熱を持つのを感じた。
何か特別な思い出があるのだろうか。
「よし!急がなきゃ!」
そう言うと彼女は立ち上がり、最寄りのコンビニまで歩き始めた。
道中、書くものなら僕のカバンにも入ってるけど……というと、
『それじゃダメ!』
ときっぱり断られてしまった。ダメなのか。
売られている中では一番かわいい便箋セットといくつかのペンを買って先程までの公園に戻ると、カバンと教科書を下敷きにして手紙を書き始めた。
『ユウは絶対見ちゃダメ!』
と念入りに禁止してから。
否応なしに視界に入ってくる文章を解読しないように、僕は最近読んだ漫画や小説を必死に思い出していた。
30分ほど経ったあたりで、
「できた!」
という声があがり、僕は次週の漫画展開考察の世界から引き戻された。
既に封がされた便箋を持って、僕の身体は再びユウナさんの家へ向かった。
辺りが薄暗くなり、街灯がポツポツと灯り始めた中、アリサは再びチャイムを鳴らした。
「はい」
「度々すみません。クラスメイトのユウと言います」
名乗った後、少しの沈黙が流れる。
「ごめんなさい、今日はユウナは……」
「いえ、会ってくれなくてもいいんです。ただ……」
アリサは少し言い淀んだ後、続ける。
「ユウナさんに渡してほしい手紙があるんです」
「手紙?」
「はい、少し前に亡くなったアリサさんからの、手紙なんです。学校で……その掃除してたら見つけたので」
「アリサちゃんからの……。そう、ありがとう。受け取るわ」
ユウナさんのお母さんは何か納得したような素振りを見せると、インターホンが切れてからしばらくして、玄関から出てきた。
「ありがとう、届けてくれて」
「いえ……」
アリサはすっと手紙を手渡した。
「君は……」
「えっと、ユウです」
「ユウくん、ね。ユウナと仲良くしてくれてありがとう」
「あ、いや!ユウはそんなんじゃ!」
咄嗟にアリサが僕の身体で否定する。そんなに僕がユウナさんと仲良くしてると思われるのが嫌なのだろうか、と少し傷つく。
「じゃ、なくて。えっと、アリサさんと幼馴染だったので、その」
「そう……あなたも辛いでしょうに。ありがとう。渡しておくわね」
「はい、お願いします。ユウナちゃんは、」
元気ですか?と尋ねようとしたのだろうか。少し言葉に詰まった挙げ句、
「その、じゃあ私はこれで」
そう言うとアリサは軽くお辞儀をして、ユウナさんのお母さんの制止する声も振り切ってそそくさと家を後にした。
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