第2話 現世への流転
目が覚めると、見覚えのある公園の砂場で倒れていた。実家の近くにある小さな公園……読川公園。ブランコや鉄棒、滑り台などスタンダードな遊具だけが置かれた小さな公園で、小さい頃はよく遊びに来ていた。
そんな場所で二年前、ここで通り魔に襲われた。刃渡り三十センチの刃が胸を貫き、異世界への転移に至った。
俺は立ち上がり、背についた砂を払い落とす。そういえば服が懐かしいジャージへと変わっていた。さすがに異世界の服ではと、天使が気を利かせたのだろう。
「もしかして、城谷くん?」
柔らかい声が鼓膜に響き、俺はとっさに顔を上げる。
腰まである艷やかな黒い髪、大きくてまんまるな瞳……〝可憐〟という言葉が相応しい幼さもありながら可愛らしい相貌の女の子が声をかけてきた。
「……柿野さん?」
柿野莉瑠(かきのりる)。二年経っても忘れない、幼馴染の名前だ。
とはいえ、接点は殆どなかった。可愛さだけでなく学力もあり、運動も得意という完璧超人だった。そんな常にクラスの中心にいる彼女に、近づくことさえできなかった。
最後にまともに喋ったのは、小学生の低学年のときだっただろうか。
「やっぱそうなんだ! でも通り魔に刺されちゃったって……葬儀だって……」
「信じられない話かもしれないけど……刺された後、別の世界に行ったんだ」
普通に考えれば頭がおかしいと思われる言い分だ。
しかし柿野さんはそんな顔をせず、むしろ――
「もしかして〝帰還者〟ってこと?」
「きかんしゃ?」
――俺の知らない単語で返してきた。
「〝別の世界から帰還した人〟のことを言うんだって。ここ最近、死んじゃうと体そのものが消えて、数年後に生きて現れるっていうことが起きてて」
衝撃的な話をしながら、よいしょと柿野さんは隣に座る。
「あ、となりごめんね?」
「あ、ああ。でもそうか……考えてみれば不思議ではないか」
俺が転移した世界以外にも、当然苦しんでいる世界は無数にあるだろう。それに仲介役になる天使のような存在も一人だけとは限らない。
「ったく、あの天使め……なんでそんな大事なことを」
「てんし? あの羽と輪っかがある?」
「俺を異世界へ飛ばしたやつのことだ。天使を自称するだけはあるイタいやつなんだ」
「へぇ……なんだか本当に、ファンタジーな話なんだね」
楽しそうに言う柿野さんだが、俺は心中穏やかではなかった。
この世界に戻ってこられた〝帰還者〟は、俺のように魔王を倒したり世界を救ったり……とてつもない実力が伴っている者だと考えるべきだ。
そしてそいつらが全員、善人とは限らない。
「帰還者ってことは……魔法、使えるの?」
「ま、まあ使えなくはない、けど」
「へぇ! ちょっと見てみたいな」
「……いいけど」
披露したのは、最もわかりやすい炎を出現させる術。魔術陣が出たとき、そして炎が出たときに気持ちいいくらい良いリアクションを示してくれた。
内心、無事発動できたことに安堵した。
「ところで、柿野さんはどうしてここに?」
「今日はね、君の命日なんだよ。一応、幼馴染だし。毎年、お参りに来てたの」
「そうだったのか」
異世界では魔王討伐に必死で、時間感覚を完全に失っていた。
「……ありがとな」
「ううん、こんなことしかできなかったから」
柿野さんは本当に良い人だ。
俺がどんな生活をして、周りに迷惑をかけていたかも知っていたはずなのに。
もしかしたら、俺の母親と柿野さんの母親が友人関係だからやむを得なく、なのかもしれない。でも、それだとしても律儀に命日に来てくれることには違いない。
「あの……柿野さん!」
「ん?」
「ええと、明日よかったら街の案内してくれないかな。その……二年もあれば変わってるところもあるだろうなって」
言ってすぐに〝街の案内〟だなんて変だなと思った。異世界では初めて訪れた町の住民と仲良くなる常套句だったのだが、生まれ育った街の案内をしろというのは変な話である。
でも、せっかく柿野さんと仲良くなれるチャンスを逃したくないとも思った。
「あ、でも今は高校三年生だからまだ学校があるか……。ならその、今からでも――」
言っている内に何がなんだか分からなくなってきた。そんな俺を見て柿野さんはくすりと微笑む。
「せっかちさんだね、城谷くんは。でも……うん、私の知ってる城谷くんだよ」
ベンチから立ち上がり、ぱんぱんとスカートについた汚れを払う。
「いいよ、明日、君の家の前で待ってるね。土曜日で学校休みだし、ちょうど暇してたから」
「ありがとう、助かるよ」
心の中で安堵のため息をついた。この程度の会話造作もない筈なのに、うまく話せなかった。いや、単に心構えが出来てなかっただけだと自分を納得させる。
「じゃね、城谷くん。また明日」
「ああ、また明日」
5年以上ぶりのやりとりに、ジーンと目頭が熱くなる。
この世界に戻るという選択をして、本当に良かった。幼馴染と……初恋の相手と話すことができたのだから。
「さてと……家に帰るか」
空が茜色に染まり、少し肌寒い夕方が訪れた。
道路の脇にある草垣の上では、せわしなくトンボが飛び交っている。そういえば、俺が刺されたのは十月上旬頃だった気がする。
二年ぶりの実家で迎えてくれたのは、母の涙と抱擁だった。ほとんど引きこもり状態で色々と迷惑を掛けたにも関わらず、久しく帰る息子として接してくれる。
異世界では感じなかった家族のぬくもり。それが如何に尊いものであるかを実感した。日付が変わるまで、俺は異世界のことを話した。どんな経験をして、何を学んで、どう変わったのか。
間違いなく幸せな一時だった。
「昇! 莉瑠ちゃんが来てるわよ」
母さんの声で目が覚めた。気付くと時計の短針は十を指していた。
俺は急いで身支度を整える。ふと、机の上に財布が置いてあることに気がついた。そういえば転移したとき、服以外のものは転移されなかった。誰かが回収してくれたのだろうか。
念の為に持っていくことにした。そして一番まともな服を掴み、顔を洗い、玄関へと走る。
「おはよう、城谷くん」
昨日の制服とは打って変わって、可愛らしい私服の柿野さん。あまりの眩しさに、思わず一度視線をそらしてしまう。
「お、おはよう」
「どうして顔反らすの? もしかして似合ってなかった?」
頬を膨らませる柿野さんに、俺は慌てて身振り手振りで弁明する。
「そういうわけじゃなくて! 可愛さで直視できなかったっていうか……ええと……可愛いと思う?」
「なんで疑問形? しかも同じ言葉2回言ってるし……でも、今日は許してあげようかな」
「すまん」
思わず謝ってしまい、みっともさに拍車がかかる。異世界で身につけたコミュニケーション力はどこへやら、柿野さんを前にすると以前の俺のようになってしまう。
「ほら、こんなところにいないで早く行ってらっしゃいな」
ぽんと背中を押す母さん。
「莉瑠ちゃん、面倒見てやってね」
「はい!」
「俺子どもじゃないんだけどな。……行ってきます」
俺の住む街は田んぼと畑と住宅街が入り乱れている中途半端な街だが、今向かっている駅前エリアは一番栄えている場所だった。
「昔とは比べ物にならない賑やかさだな」
「何かしたいこととかある?」
「そうだな……柿野さんおすすめの美味しい食べ物売ってる店ってあるかな? こっちの食べ物久しぶりだからさ!」
「もちろん!」
柿野さんに案内されて入ったのは、お洒落な喫茶店のような内装の店だった。そこの親子丼が美味しいと有名らしく、二人で同じものを注文した。
異世界にも美味しい料理はあったが、やはり母国の味は格別だ。うまい以外の言葉が見つからない。
「……変わったよね、城谷くんって」
先に食事を終えた柿野さんが、じっと俺を眺める。気恥ずかしくなり、俺もがっついて残りを食べた。
「そう?」
「うん。凄く男の子っぽくなった気がする」
「そ、そっか。あまりそういう実感はないけど……」
正面から言われるとかなり照れくさい。
異世界では毎日が移動で、戦闘のための鍛錬も欠かさなかったので、筋肉はついていると思う。
「そろそろ行こうか」
「混んできたみたいだし、そうしよっか」
二人揃って席を立ち、玄関にあるレジへ向かう。
「会計済ませておくから、外で待ってもらっていい?」
「いいよ! 私も払うから!」
「大丈夫大丈夫。ほらほら、ここ混んじゃってるから」
「……分かった。ありがとう!」
俺は財布をポケットから取り出し、中身を確認する。
「……丁度しか入ってねぇ……」
つい異世界にいたときの癖で、見栄を張ってしまった。今は勇者としての財産を持たない子供の一人にすぎない。
とはいえ、家に取りに帰るのは遠すぎる。金を下ろせるような手帳やカードは持ち合わせていない。
正直に話して、お金がかからないところを案内してもらおう。
気分を落としながら精算し、店を出た。
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