17
越川と蛭田が付き合い始めたことについて、今度は加藤の口から聞かされる。越川から聞いてから二日後だった。
「そういえば越川君、彼女できたんだってね」
「え? なんで知ってんの?」
「なんでって」
一瞬加藤は困惑した表情を浮かべた。
「だって、もうみんなの噂になってるよ。越川くんに彼女ができたって」
「あー」
みんなって誰? と聞きたかったがやめておいた。正直どんなリアクションをとっていいのかわからない。
「越川くんのこと好きな人、結構いるからね」
何故加藤がその事を知っている理由がわからなかったし、こんな風に話に出す理由もわからなかった。越川のことを嫌いじゃなかったのか。あるいは知らないうちに、仲直りしたのかもしれない。私の知らないところで、PHSを使ってやり取りをしているのだ。夏に番号を教えてもらったものの、かける機会もなく今になってしまった。番号をメモした紙は二つ折りになって、机の隅に放置されている。
テスト期間中は加藤と帰りが一緒になることはなかったが、普通の授業に戻ると再び行きあうことができた。踏切の所で加藤を見かけると、追いかけて声をかけた。朝晩が冷えだした頃から、加藤は自転車をやめて駅まで歩いている。十二月になると灰色のピーコートを羽織り、水色のマフラーを巻くようになった。まだそこまで寒くないような気がしたが、そう言うと「だってもう十二月だよ」と笑われた。今からそんなで、冬を乗りきれるのかと突っ込みを入れたくなったが、その水色のマフラーは加藤によく似合っていた。顔の白さを引き立てて、髪の毛の先がマフラーの上で軽くはねている。「そろそろ美容院行かなきゃ」毛先を撫でつけながら、加藤は言った。加藤は冬が似合う。
「でもさ、越川と蛭田じゃなんか変な組み合わせだよね。外見的にもさ」
加藤の横顔を盗み見しながら、私は言った。反応が薄かったら、違う話題にしようと思った。東京フレンドパークの話とかどうだろうか。全然見ていないが、パジェロパジェロ言っていれば間は持つだろう。
「でも、蛭田さん可哀想。多分越川君は蛭田さんの事好きじゃないと思う」
「え? じゃあ蛭田が告ったってこと?」
「いや、それは越川くんからだと思うけど」
「好きじゃないのに?」
「越川くんて、そういう人だから」
私はそれ以上会話を続けられなくなってしまった。そこまで言われてしまう越川に同情したし、何なら加藤に反論しそうになってしまう。しかし、それだけのことを、越川は加藤にしたのだろう。
一体越川が加藤に何をしたのか、あれこれ考えているうちに、気がつくと、帰り道が分かれる地点に着いていた。垣根が途切れたところで、細い道に折れて入っていくと、加藤の家がある。私の家はまだ先だ。上の空で話もろくにできなかった。加藤も黙ったまま私の隣を歩いていたが、分かれ道にくると「それじゃあ」と言って、背を向けて去っていく。と思ったらその場を動かずにこちらの顔を覗き込んでくる。
「元気ないね。どうしちゃったの? 風邪でも引いた?」
「普通に元気だよ」
私は口元に笑みを浮かべて手を広げ、元気であるところをアピールした。
「小説で根を詰め過ぎなんじゃない? 大丈夫?」
加藤は私の仕草を無視し、尚も聞いてくる。そして右手を伸ばし、いきなり私の左耳を触った。包み込むように握ってくる。数秒間だったが、私の左耳に血液がどんどん集まってくる。
「耳、冷えてない? 大丈夫?」
冬なんだから耳くらい冷えるだろう。加藤は何を言っているのか。加藤家では、耳の冷え具合が健康のバロメーターなのだろうか。私は、自分で右の耳を触ってみたが、やはり冷たい。「大丈夫みたい」と話を合わせた。すると加藤は大声で笑い出した。
「ていうか耳でわかるものなの?」
「え? だってそっちが触ってきたんじゃん」
「なんとなく。だって、おでこ、前髪で隠れてるし。熱あるか、確かめたかったの」
加藤は「お腹痛い」と言いながら、途切れ途切れに説明した。何がそんなに面白いのか、よくわからない。加藤の笑いの中には、なんとなく私をからかうニュアンスが含まれていた。なので私は「てか、笑いすぎだろ」と突っ込んだ。ようやく落ち着いてきた頃、今度は私が加藤の左耳に触った。「お返し」と誰に言ってるんだかわからないような、もごもごとした声でつぶやきながら。先に触ったのは加藤なんだから、私にも触る権利くらいあるだろう。加藤は先程までの爆笑で、耳まで赤くなっていたが、触ってみると大して熱くもなかった。親指の腹で、内側の突起に沿って、上からをゆっくりと撫でる。耳たぶまで到達すると、妙に指にフィットし、柔らかいのが心地よくて、何度もなぞってしまう。加藤は肩をすくめながら目を細め、身をよじる。嫌がるのかと思ったら、横を向いて、わざわざ触りやすいポジションをお膳立てしてくれる。お陰で私は、どこで切り上げていいのかわからず、段々と気まずい気持ちになってくる。どこかで笑い出すことを期待したが、うつむいたまま何も言わない。
加藤に触れるのは、夏にワープロを借りる際に、手を触った時以来だ。あの時よりも、マニアックな箇所を触っている。このペースで行けば、いずれは背中や性器を触れるのかもしれない。私は反射的に手を離す。急に耳を解放された加藤は、事態が飲み込めないのか、やたらとゆっくりとした動作で、手を耳のところまで持っていく。触られた箇所に異常がないか、慎重に確認しているように見える。
「熱なんかないでしょ?」
とひと通り点検が終わると、加藤はそう聞いてきた。口調はしっかりし、冷静だったが、目はこちらを向けない。私は何故か、罪悪感を覚えた。
「いや、すげー熱い。インフルエンザかも」
「いじわる。熱いのは今、笑ったからだよ。別に、喉とかも痛くないし」
お互い何故そんなに、風邪だのインフルエンザにこだわるのか、よくわからなかった。だが、そのこだわりを捨てたら、おそらく私は今後の行動について、途方に暮れるだろう。
「さっき自分で耳で熱計んない、て言ったじゃん。何本気にしてんだよ」
「だって安藤くんが触るからじゃん」
加藤は口元に笑みを浮かべて、そう言った。一瞬私を見たが、すぐに目をそらした。さっきまで私の耳を触っていた左手が、所在なさげに揺れている。加藤は何か、言葉を探している。
「そういえばさ、前に番号教えたのに、ちっともかけてくれないよね」
番号、と言えば例のPHS以外にあるはずないのに、私はそれ以外の番号の可能性を、必死に模索する。
「じゃあかけるよ」
「いつ?」
「今夜」
予想外に早かったのか、加藤は笑い出す。
「じゃあ十時以降にしてね、先にお風呂入っちゃうから」
加藤と別れた後、当然ながら私は、始終左耳を気にしながら帰った。何度も触り、家に着く頃には感覚がなくなった。十時まで一体何をして過ごせばいいのか、見当もつかなかった。
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