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越川が指定校推薦で大学進学を決めたのは、十一月半ばだった。突然「明日面接なんだよね」と言い出して翌日欠席し、一週間後には結果が出た。いつの間に願書を出したのかと思っていたら、それは高校に枠が分配されている種類のもので、余程のヘマをしない限り落ちないという、特別な面接だった。夏休み前に資料が配られ、担任が四大志望者は進路指導室で確認するように、と話していた記憶がある。要項に出ている大学は五つで、人数の枠は一から三だった。総勢十人程度で、つまり学年でトップテンの成績を取っていなければ、学内選考を通らないと思い、諦めたのだ。


しかし私よりも成績の悪い越川が、選考を通っている。一学期の学級通信で、クラスの成績優良者として私の名前は出ていたが、越川の名前はなかった。確かに成績のいい者程選考は通りやすいのだろうが、そもそも希望者がいなければ、成績は関係なくなる。対象の大学について、私は全くそこへ行きたいとは思えなかった。工学部とか経済学部とか、まったく興味を持てなかった。それでも越川が進路を決めると、何故応募しなかったのかと後悔してしまう。

 

受験の重圧から解放された越川は、車の雑誌を広げてそれに見入っている。周りには、専門学校志望や、就職組の者が集まり、日産だかトヨタの排気量や、ヘッドライトの年式による違いについて盛んに議論している。早速来週から自動車学校へ通うらしい。私は自動車というものには全く興味がなかった。興味のないものばかりだ。車は車輪が四つあるくらいの知識しかない。ハチロクがどうこうとはしゃぐ越川の様子を見ていると、どうしても疎外感を抱いてしまう。隣の席の蛭田は、会話に参加するわけでもなく、相変わらず気だるそうに机に肘をついている。それが妙に堂々としているように見え、私は思わず声をかけたくなるが、やめておく。蛭田はYシャツの上に白いカーディガンを羽織り、おかげで赤い髪が際だっている。髪は先の方が傷んでいた。


「で、卒業制作のほうは進んでいるの?」

ある日の授業の終わり、声をかけてきたのは諏訪だった。諏訪とは、週に二度、授業で顔を合わせているが、卒業制作の話をしたのは夏以来だった。夏休み明けには提出すると宣言したのに、二ヶ月以上も音沙汰がないから心配したのだろう。

「大丈夫です。もうすぐ下書きが終わるところなので」

「え? 書き直してるの?」

「はい。なんか、気にくわなくて。最初から書くことにしました」

「受験生じゃなかったっけ?」

「ええ、まあほどほどに」

何が「ほどほどに」なのかよくわからない。小説とも、受験勉強ともとれた。諏訪は呆れた顔をして、

「今週一度持ってきなさい」

と言って教室を出て行った。


私はその日のうちに下書きを書き上げ、翌日に諏訪に提出した。ワープロは加藤さんに借りていることを報告し、すぐにでも清書に移れることを伝えた。諏訪は、一度目を通すから待つようにと言った。ノートが手元を離れると、何か取り返しのつかないことをしたような気分になった。ようやく声がかかったのは、週末の放課後だった。

「気になるところは書いといたから。無視してもいいから、ちょっとずつ形にしていきましょう」

バインダーを手渡しながら、諏訪が言った。低くなった西日が、諏訪の手の甲を照らす。血管が浮いている。

「どうですか。これで最優秀賞とれますかね?」

「いつのまに越川みたいなことを言うようになったの。まあ、あとは安藤次第じゃない?」

諏訪が肩をすくめながら言った。諏訪は私や越川を呼び捨てにする。卒制の指導教員になってもらって以来、私はすっかり諏訪に心を開いていた。諏訪の授業でも軽口をきくようになり、二学期になると越川と二人で悪ふざけをするようになった。越川は人の堪忍袋のサイズを見誤ることは絶対になく、おかげで私は安心してふざけることができた。

「実際、どうですか? 俺の話は」

「青春、て感じ」

「そんだけ?」

「そんだけ」

「えー」

「まあ、後は、完成した後にしましょう」

「わかりました。とにかく悔いの残らないよう頑張ります」

「いいんじゃない?」

諏訪の他人事のような反応に、私はむっとした。それを察したのか、諏訪は言葉を接いだ。

「まあまあ。期待してるから。でも、後悔しない人生はないからね」



十二月に入ると、越川から蛭田と付き合い出した事を聞かされた。私は男女関係の動向についてはかなり疎い方だが、それでもやたらと越川が蛭田とべたべたしてる事は気になっていた。家でもポケベルでかなりやり取りしているようだし、CDを貸し借りしている姿も確認した。私はそんな二人を間近に見るだけで、会話には加わらなかった。定期的に加藤が来てくれるから、寂しくはなかった。加藤はかなりの寒がりらしく、本格的な寒さはまだなのに、スイッチの入っていないヒーターに文句を言った。越川には蛭田なんかより、猿渡のほうが何倍もお似合いに見えたが、それは私の関与する問題ではなかった。

「先月から付き合ってんだよね、蛭田と」

そんな風に言ってきたのは、久しぶりに一緒になった帰り道だった。期末テストの最終日で、昼前に校門を出たところで声をかけられた。家に帰ってから昼寝をし、それから小説にとりかかろうと思っていた。一週間くらい前から急に風が冷たくなり、ここ数日は朝起きると喉が痛くなった。悪化するのか、治ってしまうのか判断つかなくて鬱陶しい。


駅までの路地を半分程歩ききったところで越川は蛭田との事を報告してきた。私は流石に声を上げてしまった。私達の前を歩く下級生の女子が、一瞬振り返った。後ろで束ねた髪が横に跳ねる。

「そうか。よかったじゃん」

これだけ言うのが精一杯だった。越川を見ると、まあお前が驚く気持ちも分かるよ、という顔をしていた。なんて言っていいのかわからない。「幸せにしてやれよ」とでも言えばいいのか。よく考えてみると、私は今まで誰かから交際を始めたという報告を、受けた事がなかった。


私は正直に「こういう時ってなんて言えばいいんだ?」と訊ねた。越川は吹き出して「知らねーよ。なんだっていいよ」と私の二の腕を小突いた。越川は私がふざけて言ってると思ったのだろうか。おそらくそんな事はないはずだ。越川は多分、今幸せなのだ。その後私が「クリスマスはどうするの?」とか何かを聞く度に、越川は私を小突いた。電車に乗る頃には、私の二の腕はかなりじんじんした。

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