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それから加藤は頻繁に私の席を訪れるようになった。さすがに毎日とまではいかなかったが、週に二、三回は、どこかの休み時間にやってくる。いつも待ち遠しくて仕方のない気持ちなのに、実際に来ると、何故か意外な出来事に感じる。何度か話をしていくうちに、越川の存在は全く気にならなくなった。私が加藤と話をしている時は、越川は蛭田との会話に花を咲かせている。何を喋ってるのかよくわからないが、それなりに盛り上がってるようだ。それならお互い楽しくやればいいだけだ。


加藤と話をした後の授業では、私は完全に舞い上がって、先程のまでの会話を振り返り、話がどれくらい盛り上がったかや、逆に加藤が落ち込んだり、傷ついたりすることを言ってないかをチェックした。加藤の立ち位置はいつも決まっていて、私の机の右斜前で、机に右手をつく。やってくるかどうかは完全に加藤次第だ。授業が終わってまっすぐ来ることもあれば、一度席を外し、次の授業の直前に立ち寄ることもある。なので私の方は、極力休み時間は席を離れないようにし、なるべく越川との会話も控えるようにしなければならなかった。越川との会話が盛り上がって、それを見た加藤が二の足を踏んだとしたら、目も当てられない。


一方で私の方が、加藤の席へ行くことはなかった。皆藤のせいだ。私は皆藤にネタにされるのを恐れている。私は最低だ。その事を加藤が知ったら私を軽蔑するだろう。


二年まで私は、ヤンキーの連中とも問題なく付き合っていたが、三年になってからは積極的には会話には加わらず、皆藤とも一定の距離を置いていた。それは、加藤に関する噂話やネタを聞きたくないからであった。そのせいなのか、あるいはさすがに本人を目の前にして、話をするのは躊躇するのか、このクラスになってから加藤の噂を聞いた事はない。そのおかげで私は、穏やかな気持ちで一学期を過ごす事ができた。今までのパターンなら、加藤と隣同士になった時点で「いつやらせてもらうんだよ?」とからかわれて、会話するのにも、いちいち周りの目を気にしなければならなかったはずだ。


だが、ある時、とうとう皆藤が切り出した。


昼休み、私は皆藤グループと直接話をしていたわけではないが、すぐそばで北川たちと話をしていた。いつものテレビとかゲームとか、言葉を交わしているそばから忘れていくような、話題だ。真ん中の一番後ろで、私はロッカーの上に腰掛けていた。古いロッカーで、所々灰色の塗装は剥がれ、錆が浮いている。後ろの壁には黒板が掛かってるので、うかつに背中をつけると、制服がチョークまみれになる。高くなった視線から教室全体を見渡す事ができ、視界には椅子に横向きに座ってる皆藤の尖った顎も含まれていた。加藤の席には皆藤の取り巻きが座っている。別に特別な風景ではなく、昼休みは加藤は食堂へ行って不在になり、代わりにそこに皆藤グループがたむろする。皆藤は皆に「皆藤くん」と呼ばれている。話をする時は、私もそれに倣っている。私は男友達は基本的に全員呼び捨てている。『君付け』なんて小学生かよ、と思っている。皆藤だけが特別だ。


そんな皆藤君が突然加藤の話を始める。こいつさ、と顎をしゃくって加藤の机を指す。

「こいつさ、サセ子なんだろ? この前五組の原田がやったって言ってたぜ」

私の勘違いでなければ、私はこの男を知っている。二年の時のクラスメートだ。柔道部で体格が良い。髪型は、さらさらヘアーの真ん中分けだ。反射的に柔道部の汗臭い部室で服を脱ぐ加藤の姿が頭に思い浮かぶ。私の知ってる人物が、加藤のネタに出てくるのは初めてで、現実感が増す。散らかった部室で、靴は履いたまま、加藤は慎重な手つきで下着を足から外す。


皆藤は声のトーンを落としながら、原田の事を喋ったため、周りの者も自然とそれにつられて顔を付き合わせ、まるで怖い話でもしているかのような雰囲気だ。実は加藤は、十五年前に輪姦されて自殺した、この学校の女生徒の幽霊なんだよとか言い出しそうだ。だが、男数人の名前が挙げられ、そのシチュエーションが列挙されていくうちに、徐々に下卑た笑い声が漏れ、声の音量は通常値に戻っていく。そこに再び水を差したのは、皆藤だった。

「だけどさ、隣になって思ったけど、こいつ結構可愛いよな。ちょっとやらせてって頼んでみようかな」

明らかに取り巻き達の空気が変わる。どうリアクションを取っていいのかわからないから「あー」みたいなため息が、不自然に空いた間を埋めていく。誰かが「まあ不細工ではないよね」とつぶやく。慎重に言葉を選んでいるのが伝わってくる。「確かに可愛い。俺もやらせてもらおう」なんて言おうものなら突然ハシゴを外され「じゃあ一番に行けよ」と言われるからだ。皆藤はクラスの独裁者で、何でも気分で発言する権利があるのだ。


当然私は皆藤を殴り飛ばしたくなるが、その勇気は持ち合わせていなかった。皆藤の発言は北川たちにも聞こえているはずなのに、彼らはまるで、意に返さず、FF7がどうしたみたいな話をしている。自己嫌悪に陥っているのは私だけだった。午後の授業の間もその気分は続き、もういっそ加藤に「来ないでくれ」と言おうかとも思った。私は加藤と仲良くする資格がないのだ。

「なんか元気なくね?」

放課後に声をかけてきたのは越川だった。私は「普通だよ」と強がり、急いでバッグに荷物を詰め、帰途についた。


それから特に何もなく、秋は深まっていった。再び冬服の時期となり、色気のあるものは茶色や紺や白のセーターを着たりしたが、加藤は校則通りにきちんと、紺のブレザーを着ていた。


加藤は変わらずに私の席へ訪れ、私の方も変わらずそれを受け入れていた。加藤に弟がいる事や、一緒に住んでいるおばあちゃんがボケてきた事など、段々と踏み込んだ事を話してくれるようになった。


やがて学校内で話をするだけでは、満足できなくなった私は、帰り道でも加藤に声をかけるようになった。加藤は途中までは別のクラスの友達と帰っていたので、その子と別れた後、交差点で信号待ちをしているタイミングを狙う。

「誰かと思った!」

最初に話しかけたときこそ加藤は驚いていたが、何度か一緒に帰るうちに、加藤の方もわざと交差点で振り向いたり、明らかに私を待つような態度をとるようになった。そこから私たちは二百メートル程の距離を並んで歩いた。

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