13

二学期になるとすぐに席替えが行われ、今度は窓際の前から二番目になった。決め方は前と同じで、相変わらず皆藤が、完全に自分の意のままに席を決める。本人は廊下側の一番後ろを陣取った。そしてその隣に加藤がおさまった。ものすごくアンバランスな組み合わせだ。これからは加藤の姿を確認する度に、右後ろ四十五度に振り向かなければならない。首を痛めそうだ。同時に皆藤も視界に入る。皆藤は相変わらず前後の席に取り巻きを置いて大騒ぎしている。これでは加藤の席に行きづらい。何の努力もせずとも、無条件に加藤の半径一メートルにいられた時代は終わったのだ。


代わりに今度はすぐ後ろが越川になった。普通なら喜ぶべき席順だが、やはり卒制の件が引っかかる。これを加藤より先に見せてはいけないのだ。卒制に限らず小説全般の話題はなるべく避けよう。カモフラージュ用の小説を書いて、目先をそらすという作戦もあるが、そこまで暇じゃない。


隣は蛭田という女になった。髪は真っ赤に染められ、眉毛は細く、目付きが悪い。化粧もしている。風貌からして皆藤のグループかと思ったが、そうではないようだ。いつも一人でいる。何にせよ、こちらからあえて話しかけようとは思わない。向こうからも話しかけんなオーラを醸し出している。


「卒制は少しは進んだのか?」

新しい座席に落ち着いた途端、越川が聞いてきた。さっきはこの話題は避けると決めていたのに、いきなり来た。二人の共通の話題は、これくらいしかないんだから仕方がなかった。

「正直それ程書けなかったんだよね。暑かったし。勉強会もあったし」

「まあとりあえず書けたとこまで見せてみろよ」

越川は手を出してくる。批評家モードに入っている。

「今日は持ってきてない」

私は嘘をついた。今も鞄の一番端にノートは入っている。書く気がない時でも、なるべく手近に置くようにしている。ガサ入れされたら一発で見つかるだろう。越川は眉をしかめて、出していた手をポケットに突っ込んだ。

「じゃあ明日」

と言われた。なんだかカツ上げみたいな言い方だ。越川は私の卒業制作総合プロデューサーを気取っている。かつてはそうだったかもしれないが、この夏で力関係は変わり、今や加藤が指揮をとっている。

「卒制は完成するまで誰にも見せないことにするよ」

「なんで? 誰かに見てもらった方がいいものが書ける、て前に言ってたじゃん」

「そうだけど、今までの集大成だし、ちょっと集中して書きたいんだ」

越川の追求に対し、私の反論は、全く論理性に欠いている。集大成なら、尚更他人に見せて質を高めた方がいいし、越川なら的確な意見を言ってくれるに違いない。やはりもう少し考えてから切り出せば良かった。これでは言い負かされる。

「あと諏訪もいるし。これに関しては、とりあえず自分で書いてみるよ」

諏訪というカードを切って、あとは気持ちで押すのみだった。私は越川の目を見据えて、はっきりと言った。越川は私より背が高いので、見上げるような体勢になる。


私は、加藤との約束をちゃんと守りたい。今、私と加藤をつなぐのは、その約束だけしかなかった。越川はなにか言いたそうだったが口にはしなかった。もしかしたら、今のやりとりで、全てを見抜いたかもしれない。そうすれば越川は同情して、自ら身を引いてくれるだろう。なんせ他人のためになる事が大好きな男なのだ。そもそも加藤にワープロを借りるよう指示したのは越川だ。それくらいの勘が働いてもいい気がする。


いっそすべてを打ち明けてしまおうかと思った。その瞬間加藤の「越川くんのこと、嫌いなんだよね」という言葉が頭をよぎる。越川と加藤を関わらせたら、面倒なことになるのは明らかだ。


それ以来、越川が私の書き物について何か意見を言う事はなくなった。


隣の蛭田は、私の行動には全く興味を示さなかった。私の存在すら気づいていないのかもしれない。授業中も休み時間も寝ている。まともに会話をしたのは、蛭田のボールペンが床に落ち、それを拾った時だけだった。面倒臭そうに「ありがとう」と言われた。親切にすると後悔するようなやり取りだった。


越川はそんな蛭田とでも、徐々に打ち解け、冗談まで言うようになった。休み時間に突っ伏している蛭田に下敷きで風を送り、起こしたりしている。わけもわからず蛭田はむくりと顔を上げ、笑いを堪えている越川に、グーで殴りかかった。

「そうそう、たまには運動しないと。寝てばかりじゃ太るよ」

越川はパンチを軽くかわしながら、からかった。私は越川の行動がまったく理解出来なかったが、越川は心底楽しそうだ。蛭田は「うるさい」とキレて再び寝に入る。それで終わりかと思ったら、越川はまた同じ事をして、蛭田を起こしてしまう。うざすぎる。蛭田は「しつこい!」と声を荒げるが、その後に笑い出す。越川は「熱くなるなよ」と言いながらさらに風を送る。そんな風に相手を挑発しながら空気を和ませる越川に、私は恐れすら覚える。どこまで人の心を掌握してしまうのか。そのくせ、ある一線は越えさせない。これでまた犠牲者が増えてしまう事になる。猿渡は廊下側の前のほうの席になってしまい、ここからでは姿も見えない。

 

席替えをしてから二週間程たった頃、突然加藤が私のところへ来た。三時間目終了のチャイムの直後だった。

「ワープロちゃんと動いてる?」

「ワープロちゃん? ずいぶんかわいい呼び方するんだね」

「『ちゃんと』って言ったの。絶対わざとだよね?」

「問題ないよ、あとは中身だね」

クールぶって答えたが、突然の来訪にパニクった私は、さっき出したばかりの英語の教科書を、また机の中にしまったりした。まともに会話をするのは、席替えをしてから初めてだ。少し髪が伸びた気がする。二週間でそんなに伸びるわけない。そんな風に感じるのは、隣同士の時は、横顔を見る機会が多かった事に対し、今は机の向かいに立ってるのを見上げているからだ。加藤は右手の人差し指と中指で代わりばんこに机の隅を叩いている。人間の脚に例えるなら、小走りくらいのテンポだ。

「安藤くん、また前の方の席なんだね。よっぽど前の席が好きなんだね」

「まあね。何気に前のほうが、先生にも指されないからね」加藤は男子もくじ引きで席を決めていると思っているようだ。

「でもこれから寒くなるからいいかもね」

加藤はすぐ脇のヒーターを指して言った。かなり大型の年季の入ったもので、ところどころに傷や落書きの痕があり、注意書きのシールは剥がれかかっている。

「でもこんな近くじゃ、かえって風邪引いちゃいそうだよ」

「でも安藤君が我慢してくれなきゃ、私のところまで温まんないよ」

「じゃあ俺が加藤のために、犠牲になんなきゃいけないの?」

「うん、悪いけど」

「じゃあ風邪引いて学校休んだら、お見舞いとか来てよね」

「いいよ。アイス持って行くよ」

アイス! 寒っ! と私がオーバーにリアクションし、加藤が弾けたように笑う。一学期に散々交わしたやり取りだ。きちんと再現できて、私は心底安心する。頭の中では、本当にお見舞いに来てくれるなら、手ぶらでも構わないと思っている。加藤がお見舞いに来てくれるところを想像する。あまりに陳腐で吐き気すら覚える。


そんな私の下衆な妄想には当然気づかず、加藤は、私の筆箱を勝手に漁って、シャーペンを取り出す。普通のより太めの、買ったばかりの新しいペンだ。テレビのCMでもお馴染みの、振るだけで芯が出るやつだ。珍しいのだろう、手に取って「これちょうだい」なんて言ってくる。無邪気すぎる。「やだよ」と断ると、力任せに振って、芯をたくさん出してしまう。肘を中心にして、加藤の手がすばやく弧を描く。「何してんだよ」と加藤の手からシャーペンを取り返す。その拍子に芯がぽっきり折れる。加藤はそれを見て、また笑う。


あとどのくらいの時間、このやり取りができるのか。ふと時計を見た時に、越川とまともに目が合ってしまう。反射的にそらす。越川は私達のやり取りを見ていたのか。越川は斜め前の蛭田と喋っている。蛭田がブランド財布の話をしている。プラダがどうとか、私にはさっぱりだが、越川は熱心に聞いている。


私は加藤が来てからずっと、越川の事が気になっていた。勝手に越川と加藤の板挟みにあったつもりになって、加藤との会話に百パーセント集中できない。もちろんそこまで気を回すのは愚かだ。加藤は越川に構う様子は全くない。今は私に会いに来ているのだ。越川になんて全く構わず、私の机に手をついて、実に楽しそうにしている。だったら、その事実を素直に受け入れればいいのだ。おそらく今、越川よりも私に好意を抱いている女は、加藤だけだ。そう考えると、優越感すら覚える。


やがてチャイムが鳴り、加藤は自分の席へ戻っていく。

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