12
猿渡との電話が終わると、PTAの名簿をもう一度開き、加藤の行に線を引く。
「ワープロをわざわざ貸してくれて、しかも家まで運んでくれるなんて、普通そこまでしてくれないよ。それなりに好きじゃなきゃ」
さっきの電話で、猿渡はそう言ってくれた。さらに、運動場でアイスを食べた事については「それはもうデートだよ」とまで言ってくれた。当然ながら越川嫌い、小説を一番に見せて欲しいのくだりは省いた。
すっかりその気になった私は、恋人気分で加藤に電話をかけてみることにした。考えてみると、もうひと月近く声を聞いていない。
念のため市街局番からプッシュする。七回目のコールが鳴り終わった後に、女の声が出た。加藤ではない。ゆったりとした声の感じから、加藤の祖母と推測する。一瞬電話を切ってしまおうかと思う。一番に加藤が出ないという事は、不在なのかもしれない。加藤への取次ぎを頼むと「ちょっと待ってくださいね」と受話器を置き、あーちゃん、あーちゃん、と遠くで呼ぶ声が聞こえた。やっぱりおばあちゃんなのだろう。
「どうしたの?」
しばらく待たされた後に、加藤が出た。声が明るい。「久しぶり。元気? どうしたの?」と一気に聞いてくる。私は突然電話したことを詫び、ワープロを、もう少し貸して欲しいと頼んだ。
「わざわざそれを言うために電話くれたの? 返すのはいつでも大丈夫だよ」
加藤は、全く気にしていない様子だった。
「ありがとう。本当は休み中に仕上げて、返すつもりだったんだけどさ。思ったより全然はかどらなくて」
「暑いから仕方ないんじゃない?」
貸し出し延長の許可を取り付け、用件は終わった。それじゃあまた、と言って電話を切りそうになるが、いくらなんでもこれだけで終われない。私は「元気?」と聞いた。もちろん声の感じで充分元気だという事はわかっているし、このやり取りはすでに済ませている。
「元気だよ」
とシンプルに返ってきた。シンプル過ぎて、素っ気なくすら感じる。加藤は私よりはるかにリラックスしていて、私は何故かそんな加藤に違和感を覚える。
時計を見ると、電話をかけ始めてからまだ十分しか経っていない。エアコンの送風口が歯切れの悪い音を立てている。フィルター掃除が必要なのだろうか? 話す事が思いつかない。
「夏休み終わっちゃうね」
「終わっちゃうね」
終了。お互いに沈黙になる。猿渡のときは自然と会話が弾んだのに、加藤だとそういかないのはなぜだろう。諦めて「じゃあまたね」と言おうとすると、加藤の方から「夏休みはどこかに行ったの?」と聞いてきた。加藤は大して話を盛り上げられない私に愛想を尽かしたのかもしれない。
「特に何処へも行ってない。加藤は?」
「友達と買い物行ったりとか、あとはお祭りに行ったよ」
お祭りとは、先日私が行ったお祭りだろうか?
「そうだよ」
この前の祭には加藤もいたのだ。よく遭遇しなかったと思う。こっちが気付かなかっただけで、加藤は見ていたのかもしれない。だったら「ていうかいたよね?」と聞いてきても良さそうだ。聞いてこない理由は越川がいたからだろうか。
試しに「人ごみが嫌いだから、祭はあんまし行かないんだよね」と探りを入れる。別に嘘ではない。この前は嫌々行ったのだ。それでも加藤は「安藤君らしいね」と笑うだけだ。やっぱり向こうも気づいてなかったのだ。いや、本当にそうだろうか? あの時は越川と猿渡内藤がいた。加藤はダブルデートだと思い、気を遣ってるのかもしれない。だとしたら困る。越川には猿渡で、私には内藤とか思われたらどうしよう。もしかしたら、この前内藤の脚は加藤よりも色っぽいなんて思ったから罰が下ったのかもしれない。
なんて仮定に仮定を重ねていっても仕方ない。今は加藤とのお喋りに集中すべきだ。というわけで、今度は夏休み宿題の話をする。加藤は「感想文を安藤君に頼めば良かった」と嘆いた。別に私は感想文が得意ではないが、加藤にしてみれば文章なんてどれも同じなのだ。
「感想文なんて本を読まないで書けばいいんだよ」
「そしたらもっと書けなくなっちゃうじゃん」
「そんなことないよ。本の内容と違ってたって別にいいんだから。先生に言われたら『私はこう思いました』て言えばいいんだし。ていうか先生だって読んだりしないよ」
「そうかもしれないけど......あ、じゃあ尚更安藤君にお願いするよ。なんでもいいんなら」
「じゃあ進藤先生がカツラである十の理由を書くよ」
「なにそれ、もう感想文ですらないじゃん!」
調子に乗った私は、三つくらい理由を並べる。加藤が笑い「お腹痛い」と言い出す。
その後も教師ネタを中心にして、二人で盛り上がった。祭の事も、なんかどうでもよくなってきた。一ヶ月振りに話をしたが、隣同士の席で話した時となんら変わりはなかった。
四時近くになったところで、そろそろ潮時だと思った。子機のバッテリーも半分以下になっている。電話を切ろうとすると「あ、そうそう」と加藤が思い出したように言ってきた。「安藤君にピッチの番号教えてなかったよね。今度からわざわざ家にかけなくてもいいよ」
そう言って加藤は自分のPHSの番号を教えてくれた。一瞬言ってる意味がわからなかったが、理解するより早く、何か適当な紙切れを引っ張り出す。半ば無意識で手にとった鉛筆は、十分に削れてなかったため、子どもが書いたような、無意味に大きく乱暴な字面となった。
「買ったんだ?」
「三年生になってすぐにね」
「高いんじゃないの?」
「携帯電話程じゃないよ。欲しかったから、親にねだっちゃった」
「じゃあ毎晩かけちゃおうかな」
私が冗談を言うと、加藤は待ってる、と笑いながら答えて、電話は終わった。
私のクラスにPHSを持ってる者は何人いるのだろうか。いくら携帯電話より安いと言ったって、ポケベルと違って電話をかけるのだから、段違いに高いはずだ。さっきは話を合わせただけで、ピッチという略称も初めて耳にした。まあとにかく電話なんだろう。この慌ててメモした番号にかければ、直に加藤へつながる。加藤以外の家族と話さなくていいから、心理的にはかなり楽だ。さっきは冗談で言ったが、本当に毎晩でもかけられそうな気がする。
だが、そんな風に思っても、心は晴れない。そもそもなぜ加藤はPHSなんか欲しがったのか。加藤の仲の良い友達なんて、ポケベルがせいぜいで、PHSなんかそんな発想すらないはずだ。考えるのは、加藤がそれを使って話す相手ばかりだ。男に決まってる。祭の時も、男といたのだ。だから私の事を見つけても、声もかけず、後からその事に触れさえしない。ふと祭の時に出会った、地元のハーフパンツ軍団の事を思い出す。彼らのうちの誰かと加藤はセックスをした。ベッドから滑り落ちた浴衣。乱れた髪。汗。この夏、加藤は何人の男と寝たのだろうか。
冷房の電源を切り、ベッドに倒れこむ。冷たくなったシーツが他人の肌のように感じる。やがて部屋の中に熱気が充満し、暑さに耐えられなくなった私は、窓を開ける。外からは湿度の高い風と、蝉の鳴き声が押し入ってきた。
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