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お祭り当日は、予想通り浮き足立って、勉強なんかに身は入らなかった。駅を降りるとすぐに提灯がぶら下がっていて、一瞬なんで学校へ向かっているのかわからなくなった。作りかけの骨組みの露店を眺めて、少し心が踊る。縁日は高校に入ってからは行っていない。他の三人も同様で、私たちは、図書館の入り口天井付近にかけられた、無機質な丸い時計ばかり見ていた。


だが、いざ祭りに参加してみると、期待した程楽しくはなかった。最悪だったのは、いくらも練り歩かないうちに、越川の友人たちと合流してしまった事だった。向こうは男ばかりの六人のグループで、バスケ部つながりなのか元クラスメートなのかはわからないが、見た事のある奴もいた。男たちはテンションが高くて声がでかく、電柱を蹴飛ばしたりしていた。酒を飲んでいるのかもしれない。すぐに私は帰りたくなった。こういう場で、親しくもない相手と何かを話そうとする事くらい馬鹿げた事はなかった。周りも騒がしくて、まともにコミュニケーションをとるのも難しい。一番前で越川とグループのリーダー格が喋り、そのすぐ後ろに猿渡と内藤がいる。私はその後ろでその他大勢に含まれ、彼らの馬鹿騒ぎに、へらへらと笑って合わせなければならなかった。通りから外れて、そのまま逃げ出してしまいたい。女子二人はどうなのだろうか。二人で喋ってるからいつも通りなのかもしれないが、あまり愉快ではないだろう。猿渡だってこんなはずじゃなかったと思ってるに違いない。


私は途中でその他大勢に見切りをつけ、猿渡内藤コンビと話をするようになった。とは言っても周りはうるさいし、やはり越川のようにうまく盛り上げることができない。へらへらしながら内藤の右隣を歩くのが精一杯である。猿渡が「なんかカキ氷が食べたい」と言って露店に近づき、ブルーハワイをチョイスする。内藤もレモンを選択する。そうなると私も頼まなければならないような気がし、オレンジを選ぶ。オレンジってなんかセンスゼロって感じするが、二人に「えーオレンジ?」と言われるために、わざと選んだのだ。が、誰もその事を突っ込まない。私はカキ氷なんかより、たこ焼きとかフランクフルトとか、腹にたまるものが食べたかった。どう考えてもかき氷なんて気分ではない。白飯と思い込んで口の中にかきこんでみるが、無駄に頭が痛くなるだけだった。


ある交差点までくると露天はぱったりと消え、その先は普段の夏の夜の風景が広がっていた。街灯のすぐ下に羽虫が集まっている。祭りはここで終わりだった。さてどうするのかと思っていたら、集団はそのまま暗い通りを進み、今度は市民ホールの駐車場で大騒ぎを始めた。車止めポールの上に立ってジャンプしたりしている。このまま猿渡たちを置いて勝手に帰っていいものかと思案してるところで、更に別のグループが合流してきた。もはや同じ学校かどうかもわからない。みんな一様に半袖にハーフパンツという、色気のかけらもない格好をしている。地元の人間だろうか。彼らは、花火をしようと提案してきた。嫌過ぎる。奇声をあげたりする彼らのテンションから判断するに、花火なんか与えたら、どこかの家とかに投げ込んだりするだろう。危険な行為全般を否定するつもりはないが、こんなわけのわからない連中と一晩中つるむのは論外だ。これは流石に私だけでなく、猿渡内藤にも声をかけてこの場を後にしようと思ったら、越川から「行こう」と言ってきた。越川も疲れた顔をしていた。誰にでもいい顔をするのは疲れるのだろう。


ようやく四人になって、さあここからが本番という感じだったが、歩き疲れて皆口数は少なかった。来た道を引き返し、再び祭りの喧騒にまみれたが、人ごみを縫ってるうちに縦一列に並んでしまい、ひたすら前の背中ばかり追うようになってしまった。駅前まで戻った所で、越川がカラオケでも行こうと提案してきた。人前で歌うのなんか嫌だが、もはや座れれば何でもよかった。が、実際に行ってみると、駐車場まで人があふれていた。誰も店内まで行って待ち時間を聞こうとしない。

「どうする?」

駐車場の端、電信柱の前に四人で立ち尽くしていると、越川が聞いてきた。祭りの喧騒が遠くなり、代わりに虫の音がよく聞こえた。おでこに風があたって、さっきよりも気温が一、二度低くなったように感じる。誰も何も言わない。立ち止まってると尚更疲労感が増す。ふくらはぎの筋肉が硬くなっている。一瞬だけ、と思い、私はその場にしゃがみ込む。思いもよらず、二人の女子の下半身が視界に入る。制服のスカートから伸びる脚はすらりとしている。加藤の方が細いが、猿渡内藤の方が健康的で、色っぽい。触ってみたいと思う。こんな風に思えるのは健全だな、と他人事のように思い、立ち上がる。いつまでもしゃがんでいたら、大丈夫? とか言われてしまうからだ。久しぶりに加藤の事を考えた気がする。


結局行くところもないので、このまま帰ろうという事になった。所詮はわずか二回机を囲んだだけの仲なので、私には猿渡たちが、帰りたいのか帰りたくないのか見当もつかない。猿渡は越川がいるから、このままずっと一緒に朝までいたいのかもしれない。内藤はどうだろう。もううんざりしてるのかもしれない。眼鏡の奥は無表情だ。もし猿渡の気持ちを知っているなら、朝まででも構わないくらいの気持ちでいるのかもしれない。女子はそういうものだ。多分。


やがて駅に着いて解散となった。誰もが消化しきれない気持ちを抱いていたのは間違いない。


解散と言っても、私と越川は同じ電車に乗らなければならなかった。電車は思ったよりも空いていて、シートに腰を下ろすと一気に足の筋肉が緩んだ。車内は相変わらず涼しい。窓の外の暗闇を眺めていると、先程までの出来事が、遠い過去に感じる。

 

「内藤は安藤に気があるんじゃない?」

一駅過ぎると何を思ったのか、越川が突然言い出した。

「なんで?」

「なんとなく」

「ないだろ」

「うーん、そうかな」

「お前の方こそ猿渡どうすんの?」

「どうもしない」

越川は即答した。顔を上げ、中吊り広告を眺めている。芸能人のゴシッブが、当人の顔写真とともに出ている。写真は白黒だ。私はふと、越川は、自分と猿渡の事を触れてもらいたくて、わざと内藤が私に気があるなんて言い出したんじゃないかと思った。

「なんかそれって、無責任じゃない?」

「ん? 一緒に勉強しただけだぜ? そしたら安藤も内藤とつき合うの?」

越川の言うとおりだった。私は猿渡のことを意識しすぎているのかもしれない。しかし、私はどこか釈然としない気持ちを抱いていた。


「腹減ったな」

電車を降りるなり、越川が言い出した。私も同感だった。昼以降口にしたのはオレンジのかき氷だけで、そんなものはほとんど汗として外へ出て行ってしまった。東口を出てすぐにある牛丼屋に入る。越川が牛丼の大盛りを選んでいたので、私もそれに従った。食べ始めると、意外と食欲がなく、私は後半は無理してそれを胃袋に押し込んだ。越川はもりもりとそれを平らげていた。


越川と別れた後、次回の勉強会をいつにするのか決めていない事に気付いた。私は暇だからいいが、他の三人はそうもいかないだろう。早めに決めた方がいいように思うが、私が仕切る役目でもなかった。

 

猿渡のノートを誤って持ち帰ってしまった事に気付いたのは、それから三日経ってからだった。鞄から筆箱を取ろうとして、見慣れない紫色のノートが入っている事に気付いた。背表紙に、いかにも女子らしい文字で名前が書いてあり、周囲は、星型のシールで装飾されている。味気ない私の鞄の中で、そのノートだけが明らかに浮いている。次の勉強会の時に返せばいいと思い、そのまま放置していたが、連絡はなかった。電話で伝えようかと思ってるうちに、ずるずるとさらに二日過ぎた。このままノートは捨ててしまおうかと一瞬思ったが、さすがにそれはひどい。新学期まで待って返すという手もあるが、何も伝えないでいるのも悪い気がする。結局電話するしかないという結論に至り、私は子機を部屋に持ち込んだ。冷房のスイッチを入れ、PTAの名簿で猿渡の番号を調べる。


五回目のコール音で猿渡本人が出た。声で猿渡本人と分かったが、念のために本人を呼び出す。猿渡は「私です」と言って「安藤君?」と確認してきた。私は自分が間違いなく安藤である事を伝えた後、ノートを持ってきてしまった事を言伝えた。    

「あ、やっぱり安藤君が持ってたんだ。越川くんに聞いても持ってない、て言ってたからさ」

「連絡おそくなっちゃって、ごめん」

「ううん、わざわざ教えてくれてありがとう」

ノートは新学期に返す事になった。考えてみたらもう夏休みは残り一週間とちょっとで、今更届けても何が変わるわけでもない。

「うちすごく田舎だからさ、安藤くん迷っちゃうと思うし」

「遭難して熊にでも襲われたら大変だもんね」

「ちょっと! そこまで田舎じゃないから」

猿渡は馬鹿みたいな声で笑った。笑い方が加藤とは違う。加藤はもっとくすくすとした笑い方をする。


それから勉強会の話となり、受験の話となり、あー結局夏休み大して勉強しなかった、やばいね、みたいな事を言って、もう話す事はなくなった。先日の祭については触れなかった。時間は二時半を回ったところで、大体二十分話をした事になる。部屋は完全に涼しくなり、外の蝉の声がくぐもって聞こえる。

「安藤くんて、好きな人とかいる?」

特に話す事がなくなり、二人とも黙ったので、それじゃあと挨拶をしようしたところで、突然猿渡が聞いてきた。

「え? 何いきなり」

私が素っ頓狂な声を出したのが面白かったのか、猿渡は笑っている。鼓膜がダイレクトに震えるような、やかましい笑い方だ。

「えー、てか猿渡さんは?」

「私? 越川くん」

笑いをこらえるような喋り方で、猿渡は言った。

「越川くんて、好きな人とかいるのかな?」

その問いで、猿渡が聞いてきた理由がわかった。

「いないと思うよ」

私は正直に答えた。

「あ、いないんだ」

意外そうな声を出し、猿渡の中で、恋が一歩前進してしまったのがわかる。でも「いない」というのは、もちろん猿渡の事も好きではないという意味だ。ひょっとして私はとても残酷な事を言ったのかもしれない。

「安藤くんが言うんだから、きっといないってことだよね」

「え? でもわかんないけどね」

「だけど仲いいじゃん、安藤くんと越川くん」

「別にそんなに仲良くないよ」

「そう? いつも一緒にいるじゃん。小説も読んでもらってるんでしょ?」

越川のやつ、小説の事まで喋ったのか。反射的に頭に血が昇るが、猿渡は突っ込んでは聞いてこない。

「越川君すごくおもしろいって言ってたよ。卒制も大賞取れると思うって。だから私もちょっと読んでみたいんだよね」

私はそんなに面白くないから、と笑いながら言った。言いながら越川が「面白い」と言うなんて、気持ち悪いと思った。面と向かって言われた事がないから、嘘っぽく聞こえる。猿渡が、気を遣って嘘を言ってるのかもしれない。そう思っておくのが無難だろう。気付くと私は立ち上がって外を眺めていた。黄緑色に輝く葉がわずかに揺れている。窓に近づくと熱気を感じる。

「越川君ね、あそこまで打ち込めるものがあって羨ましいって言ってたよ」

「あいつだってバスケやってんじゃん」

「私もそう思ったんだけど、バスケはそうでもないんだって。今はもう遊びだって言ってた。中学の時に怪我してレギュラー外されてからやる気ないって言ってた」

確かに越川は、バスケ部のくせに、私と頻繁に図書館に来ていた。もっと熱心にやっていれば、私なんかに付き合う暇はないはずだ。

「ていうか安藤君は好きな人はいるの? いないの?」

もうこれで話は済んだのかと思ったが、猿渡は再び同じ質問をしてきた。私の事を聞いてどうするのか。

「多分だけど加藤さんが好きかもれしれない」

嘘をついて「いない」と言うのは簡単だったが、私は正直に答えた。「かもしれない」なんて情けない言い方になってしまったが。

「そうなんだ。加藤さんて私あんまし仲良くないから知らないけど。小さくて可愛いよね。何かできることあったら協力するね」

猿渡は私なんかの恋の相手を知って、嬉しいのだろうか。嬉しいと言うより、自分以外に片思いをしている人間がいる事を知ると、安心できるのかもしれない。片想いなんて割に合わないし、相手に振り回されて自分はどんどんすり減っていく。そんな時に同じ境遇の人間がいれば、やはり何かの励みにはなる。「協力するね」はもちろん私に協力しろとの要求とセットだろうが、私は喜んで協力したいと思っている。だからやはり私も、自分の気持ちを、誰かに支えてもらいたいのだ。


それから片想いあるあるみたいな話になって、それじゃあお互い頑張ろうねみたいなエール交換をして、電話は終わった。テンションの上がった私は、本気で越川を説得することを検討する。

 

 

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