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申込書に「創作小説」と書いて提出する。六月の終わりの期限ぎりぎりだ。あまり良いタイトルとは言えない。単に【小説】というだけは物足りなくて、頭に【創作】とつけた。書いた小説の題名を入れればいいのだろうけど、それではジャンル不問の卒業制作で、何をやってるのか意味不明になる。だから創作小説となった。


担当教員の欄には、諏訪の名前を入れた。本当に誰でもいいので、越川の言う通りにした。本当は事前にお願いするのが通例だが、まったく話はしていない。これで非常識だ、と怒って引き受けてくれなければ、万々歳である。それでボツになれば、越川のせいにもできるので、文句も言えないだろう。私は、ここまで来ても、まだ往生際が悪かった。


とはいうものの頭の中では、それ用のストーリーを考え始めていた。家に帰ってから机に向かい、中間テストの問題文の裏側に、下書きを始める。



 ワタルが恋をしたのは、同じクラスのアユカという少女だ。アユカはクラスの中では地味で目立たないタイプである。いつも女子のグループの中にいる。男子と喋るのも、英語の授業で教師が「隣同士でテキストを読み合いましょう」と指示をした時くらいだ。女子の中では冗談を言って周りを笑わせたりするが、男子の前ではうまく表情を作ることもできない。男子の中で、アユカがかわいいという者はいない。それどころか、存在すら忘れられてしまうこともある。友達同士で、クラスの名前を順番に挙げていくとアユカは必ず最後から一、二番目になる。人生の主人公は自分とよく言うが、アユカの場合はその言葉がそぐわず、生まれながらの脇役のような感じがした。

 ワタルがアユカの魅力に気付いたのは——。



気付いたのは......何がいいだろう? 大掃除の時に一心不乱に床にワックスをかける姿が美しくて? あまり魅力的でない。何か共通の趣味があればいいのかもしれない。とにかくなんでもいいから、男が惚れてしまうきっかけがあればいい。


実は二人とも切手集めが趣味だった。お互いの切手コレクションを見せ合ううちに二人はいつしか......ていつの時代だ。じゃあ音楽はどうか。無難すぎる。でも古い音楽とかだったらどうだろう。父親の影響でビートルズとベンチャーズ聞いてました、みたいな。おまけにギターもちょっと弾けるんです。かっこいい。『思い切って彼女の手を取ると、その指先は意外と固かった。今でもたまに弾いてるという言葉は嘘じゃないようだ』悪くない。ついでに彼女はファザコンということにしてしまおう。彼女にとって音楽とギターを教えてくれた父親は絶対で、今時の音楽にきゃーきゃー言って振り回される友達を、心のどこかで馬鹿にしている。彼女の表情にどこか影があるのはそのためだ。父親の形見のギターを弾いている時だけは、心が休まるのである。いつのまにか父親が死んだ。父親は若いころスタジオミュージシャンだったが、頑固な性格が災いして仕事がなくなり、酒に溺れてしまった。普段は穏やかでいい人だけど、酒に酔うと人が変わって暴れ出すようになった。年々ひどくなる。大好きだった父親がどんどん壊れていく。ある日一番のお気に入りであったグレッチを、足で踏み潰してへし折り、父親が決定的に別人になったことを悟る。彼女が殴られてもいいが、ギターを折る方がリアルだ。ギターで父親が殴りかかってくるのもいいが、それだとギャグだ。いつのまにか父親が生き返った。


設定が決まったら、一週間ほどで書き上げることができた。その間に期末テストがあったが、勉強はほとんどしなかった。前日に三十分くらいは勉強すれば、赤点は免れることはできる。その後で、新しいバインダーを用意して、ルーズリーフに慎重に清書した。今度は越川だけでなく、教師やその他の生徒の目にも触れるのだ。私としては、小説なんて中身だから、見栄えなんてどうでもいいと言いたいところだが、読めなきゃ文字通りお話にならない。


完成品は試験後、最初の古文の授業が終わってから、諏訪に提出した。諏訪が職員室に戻るタイミングを見計らってから行った。職員室は教科ごとに机の並びが分かれていて、国語の島は部屋の奥にあった。職員室のこんな奥までくるのは初めてだった。室内に人はまばらだった。職員室は教室と違ってクーラーが効いている。諏訪は席にいて、ホットコーヒーをすすっていた。眼鏡をかけ、肩までの髪にはパーマがかけられている。

「あれ? もうできたの? 早いね」

ノートを受け取ると、諏訪はそう言った。

「はい。夏休み前には片づけたくて」

「ふうん」

「夏休みは勉強しようかと」

「進学希望なの?」

「はい」

「それは大変ね」

「ええ、まあ」

「じゃあ、読ませてもらって、気づいたところを言うね」

「まあ、読まなくてもいいですが」

「読むよ。ちょっと楽しみだし」

「え?」

「この前の書いてもらった感想『すべての努力は自己満足にすぎない』だっけ? あなた面白いこと言うのね」

「そんなこと、書きましたっけ?」

私はとぼけた。夏目漱石「こころ」の授業で私は確かにそう書いた。

「まあ、とにかく読むよ。ご苦労様です」

諏訪と一対一でこんなに話すのは初めてだった。職員室を出ると体からどっと汗が出た。諏訪がまさか私の小説に興味を持っていると思わなかったため、虚をつかれた。何か変なことを書いてやしないかと気が気じゃなくなってきた。引き返してノートをひったくり、確認したいがもうそれは不可能だ。


三日後に球技大会があり、そこで突然諏訪に声をかけられた。球技大会は夏休み前の最後の行事で、内容はバレーボールだった。球技だったことと、皆藤が休んでいたことがあり、自然とクラスの中心が越川になった。天性のリーダーシップなのか、バレー部員を差し置いて、越川が指示を出していた。越川が後衛の真ん中に立ってボールを拾いまくり、前衛のバレー部につなぐという作戦が奏効し、クラスは順調に勝ち進んだ。私は補欠で二試合に一度出場したが、ボールはほとんど回ってこなかった。出番のないときは、私はステージの上に腰かけて試合の様子を眺めていた。男子の向こうでは女子も同じことをしていたが、早々に敗退したのか、壁際に何人かが座って男子の応援にまわっていた。中心でいちばん大きな声を出しているのは、越川の隣の席の猿渡だった。加藤と小関の姿は見えない。

「ちょっといい?」

気付くと隣に諏訪がいた。

「終わったら、職員室に来てくれる? 来れる?」

諏訪が私のことを見上げながら聞いてきた。私は思わずステージから飛び降りて返事をしたが、着地した際に痺れていた足に激痛が走り、飛び上がった。

「大丈夫?」

諏訪は笑いながら去っていった。


閉会式が終わってまっすぐ職員室に向かう。結局バレーボールは準決勝まで進み、そこでバレー部のキャプテンを擁する8組にストレートで負けた。クラスは今頃越川を中心にして、盛り上がっているに違いない。


諏訪は私の姿を認めると、悪いわねと言った。相変わらず机の上にはコーヒーが置いてある。

「読んだ読んだ」

そう言って諏訪はノートを返してきた。読んだ読んだのトーンは軽く、私の緊張はいくらか解けた。

「どうでした?」

「とりあえず気付いたことは中に書いておいたよ」

ノートを開いてみると、諏訪の細かい字がいたるところに書き込まれている。薄い鉛筆の字だ。これが清書か下書きか判断できなかった諏訪は、後から消せるようにと鉛筆で書いたのだ。

「まあ内容についてはそんな感じ。参考にしてもらえれば。あとは、見た目をどうするかだよね」

「見た目、ですか」

「やっぱり手書きだと見づらいよね」

そう言われて、再びノートに視線を戻す。わずか数日私の手元を離れていただけなのに、そこに書かれた文字は、形が崩れ、不格好になっていた。確かに私は字が綺麗ではない。綺麗じゃない字にもいろんなカテゴリがあって、私はこじんまりとして可愛らしい字を書く。思い切りが足りなくて、点や払いも内側を向きがちで小さくまとまってしまう。私の性格そのものだ。諏訪は「手書きだと——」と言ったが、今の十倍うまい字だったら決してそんな事を口にはしないだろう。

「やっぱりワープロで書くのが一番いいよね。持ってない?」

私が黙って自分の字のどこら辺が下手に見えてしまうのかを分析してると、諏訪は我慢しきれないように言った。

「そんな高級品、あるわけないじゃないですか」

「じゃあ他に持ってる人がいないか探してみたら?」

諏訪は何でもないことのように言った。確かに私は「高級品」と冗談ぽく言ったが、希少という意味では間違っていない。諏訪の他人事のような言い方に腹が立ったが、諏訪は無理強いをしているわけではなかった。だからなのか、挑発されたような気がした。


教室に戻る道すがら、待ちきれなくてノートを開いた。窓の締め切った渡り廊下は、むあっとした暑さで充満していたが、全く気にならなかった。諏訪の書き込みがぎっしり詰まっている。その量に圧倒されたが、諏訪が指摘しているのは誤字・脱字、間違った日本語の使い方、意味不明な表現ばかりだった。確かにそれも大切だが、もっと中身について触れて欲しい。それこそ越川のようにキャラがどうとか、ここを書き込め、ここは削れ、みたいな。


ノートを閉じ、教室に戻ると越川はまだ残っていた。帰り支度をしている最中で、隣の席の猿渡と何かを話している。私が越川の方に近づくと、

「じゃあ今度勝負だかんねー」

と言って帰って行った。猿渡が越川に好意を持っているのは明らかだ。越川がひと押しすれば簡単に落ちるだろう。でも越川にその気はない。「お前ら付き合ってんの?」と以前確認したとき、越川は明確に否定した。

「猿渡は気があるよ。付き合っちゃえばいいじゃん」

「お、なんか新しいストーリーでも浮かんだのか?」

「はぐらかすなよ、お似合いだと思うけど」

「別に猿渡のこと好きじゃないからなあ」

じゃあなんであんなに仲良くしちゃうんだよ、と言いかけて言葉を飲み込んだ。私にはよくわからない。その日も猿渡は英語の時間、越川に「しかたないなあ」と言いながらノートを見せていた。私は前日の放課後に、猿渡が英語の予習をしている姿を見ていた。英訳は順番が完全に固定されていて、自分の番でなければわざわざする必要はない。猿渡が越川のために予習をしているのは明らかだった。しかしそれは猿渡の勝手だ。だとしても、越川には何の非はないのだろうか。数学が得意な越川は、猿渡に二次方程式の解き方を教えている。この前のテスト前、放課後に二人で勉強したらしい。猿渡にとってその時間は最高にハッピーだったに違いない。やはり越川は最低だ。


越川がなぜ、好きでもない女に優しくするのか。思うに越川は人全般に興味がないのだ。興味がないから人との接し方がわからない。越川が猿渡に数学を教えるのは、好意ではなく、英訳のお礼だ。もっと言えば、バランスを取ろうとしているだけだ。越川の中でバランスは重要だ。そして、あまりにもバランスを気にするあまり、人の心に入っていけない。人との繋がりは理不尽さがないと生まれない。


私は越川に、諏訪とのことを報告し、ノートを渡した。

「まあこれは内容以前ってことだな」

中を見た越川が爆笑する。私は悔しそうにするが、予想通りの反応に私は慰められた。

「ワープロね。悪いけど俺んちにもないな」

越川が持ってるかは、初めから期待はしていない。問題は、越川が持っている人物を知っているかどうかだ。私が頼む前に、越川は腕組みをして、あれこれ思案する。意外な人物の名前を挙げる。

「多分加藤が持ってると思うよ。前、生徒会の資料作ってきたことあったから」

「生徒会?」

「中学のな」

「越川、生徒会やってたの?」

「二度とやらないけどな」

越川は平然と答える。聞いてない。生徒会ではなく、加藤のことだ。越川は確か以前、加藤とは親しくないと言った。私は記憶を疑うが、間違いない。

「加藤か。明日聞いてみるよ。今、席隣だし。その加藤だよね?」

「ああ」

さすがに「サセコの加藤だよね?」とは聞けなかった。


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