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三年になってからも、相変わらず小説は書き続け、完成する度に越川に読ませている。越川の容赦ないダメ出しを食らってるうちに、段々と話のボリュームが膨らんでいった。最初の頃は、ノート三ページが精一杯だったが、今は十ページくらいは書ける。長ければいいというものではないが、確実に小説のレベルが上がったように感じる。
「安藤君て、いつも授業中何書いてんの?」
そう聞いてきたのは斜め後ろの席の小関だった。最近では家だけでなく、学校でも小説を書いていた。気が散るような余計なものがないので、家よりもかえって集中できるくらいだった。もちろん全ての授業でできるわけではないが、世界史と政治経済は問題なく書くことができる。英語も訳の順番さえ来なければノーマークだ。教師にはバレバレだと思うが、それを咎められたことはない。授業さえ妨害してこなければ、彼らは別に何をされたって構わないのだろう。
「いつも寝てると前からカリカリ聞こえてきてさ、目が覚めちゃうんだよね」
水曜五時間目の政治経済は、ほとんどの生徒にとって睡眠を貪るための時間であった。私は小関の眠りを妨げたことを詫び、小説を書いているんだと、正直に打ち明けた。小関は「すごい!」と声を上げた。そばには加藤もいて、私たちのやり取りを見ている。半分会話に入っている状態だ。話に加わることもできるし、黙って席を立ち、トイレに行っても不自然ではない。
もし、授業中に何してるの? と誰かに聞かれた時は、正直に言おうと決めていた。これといってうまい言い訳もないし「勉強」と嘘をつけば、かえって嫌味に思われるからである。
「どんなの書いているの?」
「ホラーだよ」
私は大げさに手をかざしてゾンビの真似をしながら答えた。必ず人が死んで誰も幸せにならない話だよ、なんて答えるわけにはいかないので、ここは嘘をつくことにしている。
「えー、怖い」
小関がわざとらしくおびえるふりをする。私はそのリアクションに笑い声をあげる。一瞬盛り上がったが、会話はそれ以上続かなかった。私も何を言っていいのかわからない。
「卒業制作用?」
徐々に気まずい雰囲気になったところで話に入ってきたのは加藤だった。中途半端なタイミングになったのは、思い切って聞いてきた証拠である。「ああ、なるほど」と小関も手を打つ。
「うん、まあね。これをそのまま出すかはわかんないけど」
私はとっさにそう答えてしまった。
「私、赤川次郎とか好きだよ。そういう系?」
「んー、ちょっと違うかな。お化けとかゾンビが出てくるから」
「赤川次郎だって幽霊とか出てくるよ」
「え、そうなの?」
「『三毛猫ホームズ』とか知らない?」
「全然」
「じゃあ今度貸してあげるよ、面白いから」
「本当? じゃあ読んでみるよ」
「その代わり、私には安藤くんの小説読ませてくれる?」
「いや、それは無理」
「なんで?」
「いや、それはほら......」
言い訳を考えているうちにチャイムが鳴って会話は中断された。教師はすぐに入ってきたためそれ以上話はできなかった。加藤は私に笑顔を向けた後、そのまま前を向いた。
数日後、加藤から赤川次郎を何冊か借り、お返しに私は梶井基次郎を貸した。加藤はそれを二週間かけて読んで返してきた。その頃は六月になっていて、制服が夏服に替わった。夏服は特に学校指定のものがあるわけではなく、ワイシャツ、または白ければポロシャツでも許された。目立ちたがりは、やや黄色がかった白を身につけてる。私も越川も小関もポロシャツで、加藤はワイシャツだった。加藤のワイシャツはサイズが大きめで、袖がだいぶ余ってる。第一ボタンを開き、角度によっては、鎖骨が顕になる。襟の間から伸びる首は細く、頭を支えるのに頼りなく見える。
加藤は「難しかったけど、面白かった。蝿の話が気持ち悪かった」と感想を述べた。それに気を良くした私は、梶井基次郎の作品はそれしかなく、若くして病気で死んでしまったことや、身近に死があったからこのような作品が書けたことを得意気に語った。加藤も「そうなんだ」と真面目な顔をして聞いてくれた。
授業中に小説を書いていると、 加藤がシャーペンで腕をつついてくるようになった。妄想が一気に弾け、夢見心地で顔を上げると、それを無視してとぼけるか、さもおかしそうな顔をする。授業が終わってから、邪魔すんなよ、と言うと、授業はちゃんと受けなきゃ、と思ってもいないことを口にする。そして「はい、じゃあ今書いた分見せなさい」と手を出してくる。私がそれを聞こえないふりして、次の授業の教科書を用意していると、それで何人死んだの? と聞いてくる。
「神父さんは到着したの?」
「神父さん?」
「ホラーと言えば神父さんじゃない? ほら、『エクソシスト』とかさ」
「今『ホラー』と『ほら』をかけたの?」
「違うから! たまたまだから!」
加藤は顔を真っ赤にして、私の腕を叩いてくる。全然痛くないくせに私は「いたっ」と大声で痛がる。加藤が笑う。
とか突っ込んだ事を聞いてくる。神父さん?「ホラーと言えば神父さんが助けてくれるんじゃない? いろいろ」そうか。私はホラーを書いているのか。私は私の話の中のホラー的要素を探してみる。恐怖。私の話の中に恐怖はあるのか?
そこに越川が通りかかる。隣のクラスから教科書を借りてきた帰りだ。白いポロシャツはサイズが大きく、裾が大きく伸びて、ポケットに突っ込んだ左手の周りに、大きなシワが寄っている。
「書けた?」
右手の教科書を担ぐような姿勢で、越川が聞いてくる。 ああ、と返事をしてノートを手渡す。何の取引だよ、と私はにやりとしてしまう。越川は私の表情を見逃さず「なんだよ、今回は自信ありか?」と私を見下ろす。そのくらいの方が批判しがいがある、と言いたげだ。
越川が脇役増やせと言うので、今回は登場人物が五人になった。今までは三人が最高だ。そこにヒロインの友達とコンビニの店員が増えた。コンビニには水や雑誌を買いに行く。越川は人物を増やしたことには満足するだろうが、今度はその増えた二人についてあれこれ言うだろう。
「えー、越川君て安藤君の小説読んだことあるの? 」
そこに口を挟んできたのは小関だった。
「あるよ。いつも読んでるし」
「そうなの!? どんな感じなの? ホラーなんでしょ?」
「ホラー? ......まあある意味ホラーかもね」
「え? 意味わかんないんですけど(笑)」
「そんなには怖くないよ。結構青春してるって感じ」
越川なりに気を遣っているんだろうが、当然ながら私は生きた心地がしない。ここで私が恐れているのは越川が「じゃあ読んでみる?」と言い出すことだ。越川の心中を察することはできないが、越川は上手に小関をかわした。
「卒制で賞取れれば読めるよ、俺が指導してるから大賞は軽いけどね」
その言葉が私に向けられているのは明らかだった。小関を利用して私にプレッシャーをかけたのだ。いつのまにか席に戻った北川も、越川の話をうなずいて聞いている。代わりに加藤がいつのまにかいなくなっている。もし、ここに加藤がいたら、さらに盛り上がったに違いない。じゃあ今読んでみよう、と言い出して、収集つかなくなっただろう。私は教室内を見回したが、加藤はどこにもいなかった。
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