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三年になると、進学、就職に向けた準備をせねばならない。私は一応、卒業後は大学に進学すると決めていたが、具体的にどこの大学に行くかも決めていないし、特別な勉強もしていなかった。高校に入学した頃に「もし現役で大学に入りたければ、高校一年の今から準備しなければならない」と、教材販売の営業に騙されたのも今は昔だ。無駄に分厚く重たい大量の問題集は、今や本棚の隅で干からびている。 この調子なら浪人して予備校に通うしかなかったが、それは親から固く禁じられていた。私の高校は進学校ではなく、四大志望者も学年の二割しかいないため、教室内の雰囲気もかなりゆるかった。窓からの風景も山ばかりで、開放的で、のどかである。最寄りの駅は単線で、電車ではなくディーゼル車が走っている。冬になって雪が降ると、電車だとすぐに止まってしまうからである。


さらに、卒業制作というものに取り組まなければならなかった。これは芸術系の学校のように、卒業までに、作品をひとつ完成させて提出するというものだった。と言っても普通高校なので、映画を撮ったり前衛美術をやる必要はなく、テーマはフリーでなんでもありだった。文化部の人は文化祭のノリで絵や歌に取り組んだし、それ以外の者は、鉄道の写真をとったり、旅行記を友達同士で作ったりした。なんでもありなので、プラモデルやジグソーパズルを「制作」しても許される。受験でそれどころではないという生徒には勉強で使用したノートを作品としてもいいとのことだった。

「ある年の生徒が提出したノートは英単語がびっしりかかれてぼろぼろになっていた。もうそれだけで『作品』と呼ぶのにふさわしかった」

ある日の学年通信で学年主任がそう書いていた。私もその線でいきたかったが、そこまで凄みのあるノートがこの先作れるとは思わなかった。


私は卒業制作に対して冷ややかな目で見ていたが、クラスはその話題で盛り上がっていた。彼らは、まだ馴染んでいないクラスメートとの共通の話題として、この卒業制作を利用しているようだった。一部の女子の間ではすでに話が進んでいるようで、オリジナル料理のレシピ集を作るとかで張り切っている。癖っ毛の赤ら顔の女子がリーダーらしく、レポートに掲載する料理を書き留めていた。こういう子についていけば、楽が出来るのだろう。


「そういや卒制どうすんの?」

ある日の帰り道、越川までがそんなことを聞いてきた。その日越川が部活をサボることを決めたため、私達は図書館へ行った後、駅までの路地を並んで歩いていた。二百メートルほど続くその細い路地は、車が通る事はできず、我が校専用の近道となっている。街灯がないので、日が暮れてから女生徒が一人で歩くには危険な道である。


アスファルトが所々はがれたり、脇のフェンスの針金が一部ぶち破られたりしている中(心ない学生が有り余ったエネルギーをそこら中にぶつける)を歩いていると、突然越川が卒業制作の話を始めた。

「わかんないけど、アイスの棒で五重の塔かな 」

私は面倒くさそうに答えた。

「お前、それって小学生が夏休みの宿題とかでやるやつだろ? 馬鹿じゃねーの?」

「でもガンプラとかミニ四駆で済ますやつだっているだろ?一緒じゃねーかよ」

「まあ、そうだけど。だけど、お前小説あるだろ。それ書いて出せよ」

「は? なんで?」

「だってもったいねーじゃん」

卒業制作といものの存在を知った時に、自分の小説をテーマにすることは、私も考えていた。しかし多くの人の目に触れてしまうこと、ことに教師に読まれることはどうしても避けたい。

「でも、先生とかに見せなきゃじゃん?」

「は? 先生?」

越川は素っ頓狂な声を上げた。

「ああ、誰に頼むかってこと? 諏訪さんでいいんじゃね?」

なんなら俺から頼んでもいいよ、と越川は話をどんどん進める。話に熱が入ったのか、歩幅も広くなり、 越川はずんずん進んでいく。必然的に私は後をついていくような体勢になる。


諏訪は国語科担当の女教師で、中年で、怒るととてつもなく怖いらしいが、普段はざっくばらんとしていて、教師の中では話のわかる人物である。二年の時から古文を教わっている。そんな生徒受けのいい教師を越川が放っておくはずもなく、よく授業中に冗談を言い合っていた。私はもちろん、必要最低限しか話さない。それでも悪い印象をもっていなかった。確かに諏訪なら私の書いたものを、作品として扱うかもしれない。

「まあ考えてみるよ」

駅について越川に追いついた私は、冷静に返事をした。越川はまだ何か言いたそうだったが、改札をくぐると、男三人のグループが越川に声をかけてきた。このまま合流して一緒に帰りそうな雰囲気だったので、私はその場から離れた。



新しいクラスに君臨したのは皆藤という男だった。皆藤は髪こそ染めていなかったが、左耳にピアスを開け、頬がこけ、何より目つきが鋭い。クラスが同じになるのは初めてだったが、存在は知っていた。皆藤は一年留年している。何故かは知らないが、風貌を見るとなんとなく理由はわかる。体育の授業の後に着替えをしながら「ところで、お前なんで留年なんかしたの?」と聞けない種類の理由だ。留年している者は、どんなタイプでも、周りと雰囲気が違う。周りも気を遣うから、ますます浮いてしまう。皆藤も例外ではない。正直よく三年まで辞めずにもったと思う。


皆藤は別に、クラス内で恐怖政治を敷いたわけではなかった。だが、決して平和な共和制を推進したわけではなく、早速席替えに関して口を出してきた。クラスが馴染んできたゴールデンウィーク明けに、担任が席替えをしようと言い出したときである。出席番号順の席では、味気ないのはクラスの誰もが思っているところだった。男女が列ごとに交互に座ることは、最初から決まっていたので、あとは各人がどこに座るかについて、男女それぞれで決めることになった。男子だけで固まると、真ん中に皆藤が座り、ノートを広げると、誰に意見を求めるわけでもなく、黙々と名前を埋めていった。自分と仲のいい者から順番に、後ろの席に入れていく。自分のグループが済むと、残りの人間にひとりひとり名前を聞き、運動部のグループ、その後に、ゲームとか受験とかの地味な奴らが入っていった。バスケ部の越川は、丁度真ん中の席、私は廊下側の一番前の席になった。


ここひと月同じクラスで過ごしてきたが、皆藤は悪い男ではない。私が話題に加わっても、嫌な顔をせずに話しかけてくるし、時にはクラスが盛り上がるような事を言って担任を喜ばせた。だが、こうやって肝心のところは、自分のやり方を押し通す。これから先文化祭や体育祭でも同じような感じになるんだろう。こんな風に自分のワガママがまかり通るのなら、皆藤は留年して正解である。


席が決まると、私は机の中の物をカバンにつめ、引越しに取りかかった。女子の集団を見ると、くじ引きで決めているようで、一定の間隔で、きゃーきゃー悲鳴が上がる。騒々しいが、まだ平和的な決め方だ。女子の中にも独裁者予備軍のような風貌なのがいるが、露骨な上下関係はまだない。


新しい席の片付けが終わると、私は後ろの席の北川と話をしながら加藤の姿を探した。集団を見ると、加藤は背が低いのに一番外側にいて、座席表を爪先立ちになって覗き込んでいる。自分から積極的に前へ出るタイプでないのだ。やがて、席が確定したのか、みんな散り散りになって自分の所へ戻り、荷物をまとめはじめた。机や椅子が床にこすりつけられる音が響く。加藤は越川の後ろを通り抜けて、こっちの方へ来た。どうやら加藤も廊下側の列のようだ。と思っていたら私の隣の席についた。


北川は、プレイステーションの新作ソフトの話をしていた。なんとかの続編と言っていた。ゲームは何が好きかと聞かれたので、中学時代にやったソフトの名前を何本か出した。最近は何もやっていない。北川は「懐かしい」と声を上げるが、大して話が盛り上がるわけではない。加藤も後ろの席の女と喋っている。色黒で、髪がストレートで少し茶色くて、目が細くて鼻が上を向いている、垢抜けてるんだか抜けてないんだかはっきりしない女だ。私は会話を盗み聞きして、彼女の名前が小関だと知った。加藤と小関は「また一緒になったね」みたいなことを言い合っている。加藤と小関だから、五十音順の席でも、前後の関係だったのだ。


加藤とは一度だけ目が合ったが、すぐにそらされてしまった。至近距離で見る加藤の目は、真っ黒だった。黒目と白目の境界がはっきりしている。くっきりした二重と合わせて、目のインパクトが強い。口は上唇の方が厚い。表情はぎこちなく、顔の各パーツが居心地悪そうにしている。顔色もあまり良くない。黒い髪は肩まで伸びている。まっすぐだが、毛先が若干内側にカールしている。前髪が少し乱れている。小関ほど垢抜けている印象を受けない。


越川の方を見てみると、早速隣の女子と打ち解け、「俺英語苦手だから、訳の番の時はノート貸してね」なんて言っている。

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