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越川は、私と同じ種類の人間だ。私も越川も、誰とでも偏見なく付き合うが、同時に誰とでも一定の距離を置くタイプの人間である。越川は、鼻筋の通った整った顔立ちをしており、バスケ部で背も高く、頭はそれほどでもない。頭がいいとかえって嫌味だから、それほどでもないのは強みである。試験前になると周囲の女子と「やべーわかんねーし」と言って大騒ぎする。校則から脱線するわけでもなく、髪も染めず、授業もサボらない。笑顔が子どもっぽく、人の話を聞くのがうまい。下ネタも話すが、度を越さない。だから誰からも好かれ、そして誰とでも仲良くする。クラスで一番の嫌われ者にだって話しかけられれば、ちゃんとニコニコしながら相手をする。一方の私は顔も運動神経も良くはない。一定の距離を置くのは、他人は誰も信用しないと決めているからだ。中学あたりから自然とそういうスタンスになった。何に対しても無関心、といえば当たっているし、傷つくのが怖いといえばその通りである。


越川と親しくなったのは、私の小説を通してだった。私は高二の秋、何の前触れもなく、突然小説を書き出した。それまでも文章を書くのは嫌いではなかったが、フィクションを書くのは初めてだった。ある夜ストーリーが頭に浮かび、書き出したらあっという間にルーズリーフが文字で埋まった。三枚書き上げたところで話は終わりを迎え、私は机の上の原稿を放置したまま、ベッドに倒れ込んだ。頭が空になり、物が考えられなくなった。目を瞑ると脳の奥にしびれのようなものを感じ、それが快感だった。


書き上げた時点では考えなかったが、翌朝目が覚めると、誰かに読んでもらいたくなった。そのとき真っ先に浮かんだのが越川だった。越川ならとりあえずは受け入れるだろうと思ったのである。前述の通り、越川は誰に対してもいい顔をするから、得体の知れない小説を持ち込まれても、嫌な顔はしないと判断した。


早速三時間目の生物の終わりの休み時間にノートを渡すと、越川は何も言わずに受け取った。おそらくわけがわからなかったのだろう。四時間目の世界史は、最上級につまらない授業だったので、読書には最適な時間だった。私は越川の斜めふたつ後ろの席だったので、越川が黄土色のバインダーを開いている姿を確実に捉える事ができた。読んでいる。かすかに見える文字の並びから、一体どの場面にさしかかったのか、手に取るようにわかった。愚かな主人公を軽蔑しているに違いない。おそらく教室内で手に汗握っていたのは私だけだった。


四時間目終了のチャイムが鳴る10分前に、越川はバインダーを閉じ机に突っ伏した。最後まで読み切ったのは確認できている。チャイムと同時に越川の席へ駆けつけたかったが、昼食を何食わぬ顔で済ませ、自分の席でひとり本を読みながら越川がやってくるのを待った。やがて学食で昼を済ませた越川が教室に戻り、私の方へきた。

「暗い」

越川はそれだけ言って、バインダーを返してきた。表情も曇っている。当然だ、と私は思った。

「まず、主人公のキャラクターが全然わかんない」

越川はさらに言葉を続けた。そこから、ヒロインがかわいくない、話の展開に無理がありすぎ、ラストの場面、昼なのか夜なのかわからない、と立て続けに駄目出しをしてきた。

「ていうかもう少し丁寧に字を書け。読めない」

「うるせーよ」

「とりあえずやり直しってことで」

越川はそう言い放つと自席へ帰っていった。イスに座るとすぐに二人の女子が近づき、越川は笑顔で彼女らを迎えた。手元に戻ってきたバインダーを見ると、なぜか自分の物でないように感じた。


それから私は打倒越川のために書くようになる。なんとか越川に面白いと言わせるような話を書きたいと、頭を捻り、主人公のキャラクターを書き込み、話の展開を工夫し、ヒロインが可愛く見えるようなエピソードを追加した。その場面が何時なのかも意識した。ルーズリーフに書く字を最大限にきれいにするために、テストや学年通信のプリントの裏に下書きをするようになった。お陰で部屋の机の上は、書類の山となった。顔を近づけるとかすかにインクのにおいがした。


書き上げて布団に潜ってからも、越川がどんな反応をするかを考えた。自分の中でうまく書けた箇所、今ひとつだった箇所を思い返し、越川の突っ込みに対する反論を考えた。もちろん、その通りの突っ込みがくることはまずない。それでも私はこの妄想を楽しんだ。時には眠れなくなるくらいに。


小説は月に一作品書いた。越川は毎回それを授業中に読んむ。私もなるべく暇そうな授業の前に渡すよう心がけた。私は毎回越川がノートを読んでいる姿を確認し、休み時間になったら、それを返してもらいに行った。越川はその場で感想を述べるが、褒め言葉は一切ない。「なんでここでいきなり死んじゃうんだよ。意味がわかんねー」と言った具体的な指摘をする時もあれば「全体的に何か足りないんだよね」と専門家ぶった事を言う時もあった。私もこういう狙いなんだ、と言い返すが、越川はそれでも自分の意見を曲げないので、結局それが次の小説を書く上での課題となる。

「じゃあ、次がんばって」

ひと通り言いたいことを述べると、越川はさわやかに去っていく。このやろう、とも思うが、今のところ他に頑張るべきこともないので、私は、登場人物の唐突な死について考えてみたりする。


このやりとりによって、私と越川は徐々に親しくなった。ある日の放課後、越川は何か面白い小説を教えてくれ、と私のところへやってきた。私の小説を読んでいるうちに、本物の小説に興味が出てきたのだ。私は越川を図書館の本棚の前へ連れていき、読んだことのあるいくつかの短篇集を薦めた。何冊か取り出した後、閲覧室に座って二人で喋った。

「小説書いてるなら、文芸部には入らないの?」

「文芸部? あんなの本好きの変態か、お互いのコンプレックスを見せつけたいやつが集まる場所だよ。冗談じゃない」

「そう? 前川とか、普通の子だけどなあ」

「誰だよ、知らねーよ」

「ふーん。ていうか本当は輪に入れないだけだろ?」

「輪ってなんだよ、友達の輪かよ? タモリかよ?」

「つまんねーよ、ばーか」

越川は呆れたような目で私を見ていた。


それから私たちは頻繁に図書館を訪れるようになり、今や読書にすっかりハマった越川と読んだ本について語りあうようになった。小説についての話に飽きると、漫画や、テレビやゲームの話になったが、全く盛り上がらなかった。誰かが話をリードするなら、うろ覚えの知識で相槌をうつことはできるが、私も越川も、流行りごとにあまり興味がなかった。そうなると自然と誰かの噂話になる。男女数名の恋愛関係を聞き、頭の中に複雑な人物相関図が出来上がった。越川は、芸能リポーター並に学校内の恋愛事情に精通していた。各人のパーソナル情報も完全に頭の中にインプットされ、それぞれのクラスや部活くらいは瞬時に口に出すことができた。ある人物について、私が「知らない」と言うと、越川は「お前と同じ中学出てるはずだぜ」と眉間に皺を寄せた。私は重大なミスでも犯して責められているような気分になった。おそらく越川は何人もの人間と接触するうちに、営業マンのように自然と覚えてしまうのだろう。


にも関わらず、越川にはくどくどした部分、マニアックな部分がない。営業マンのようではあるが、そいつに何かを売ろうという気配がない。芸能リポーターのようだが、誰かの秘密を暴いて快感を得ているようには見えない。あくまで自然だ。さわやかだ。それは外見によるものもあるのだろう。痩せ型で背が高く、姿勢がいい。長めの髪はさらさらしていて、風になびく。手はバスケ部のせいか大きく、指は細く長くて、節が目立つ。女子にも相当モテるのだろう。


ふと、加藤の事を思い出した。加藤でも越川に惚れるだろうか。わからない。もしかしたら、もうセックスまで済ませているかもしれない。それはない。越川は自らブランドイメージを下げるようなことはしない。そういえば、この前トイレ掃除をしていた時には、親しくないと言っていた。これだけ、いろんな奴の情報を保持しているのに、親しくないとあっさり言い切ってしまった。軽蔑しているのかもしれない。


本を読むようになった越川は、だんだんと批評がうまくなった。同じ小説を読んでいるから「お前、ここ△△の○○をパクっただろ」なんて鋭いことを言ってくる。なんとか誤魔化そうとするが、バレバレである。いつの間にか、自分の小説にとって越川は欠かせない存在となっていた。


そしていつの間にか三年になり、私と越川は再び同じクラスになり、さらにそこに加藤が加わった。


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