創作小説
fktack
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加藤がサセ子、つまり誰とでもセックスをする女だという噂は、二年になってから知った。加藤そのものは、面識ないので知らなかった。ヤンキーの奴らが「五組の加藤が」と言ってるから、五組の生徒なんだろう。廊下ですれ違ったことくらいはあるだろうが、どれが加藤かなんて判別できるわけがない。
加藤はセックスに目がない淫乱で、イケメンでもブサイクでも気持ち良くなれるなら、全く相手を選ばないとのことだった。噂に登る相手は二組の柴田だとか、野球部の細貝、数学の市川、用務員の佐野、とバラエティに富んでいた。世の男の標本ができそうだが、どこからが冗談なのかわからない。噂を持ち込むメンバーの中で、実際に加藤とセックスをしたという奴はいなくて、エロい話が盛り上がったタイミングで「そんなにしたいんだったら加藤としてろよ!」と相手を罵るのが、お決まりのパターンだった。私もたまに
「早くお前も加藤とやって童貞捨てろよ」
とからかわれた。
「そうか、加藤だったらもし妊娠させても、誰の子だかわかんないから気楽だよな」
私は涼しい顔をしてそう返した。「ふざんけんな!」とムキになったら、相手の思うツボだ。確かに私は童貞だが、ヤンキーではなかった。トイレで煙草を吸ったり、無断で授業もサボったりしない。田舎の公立高校は、グループ間の垣根が低く、誰彼と仲良くなれる雰囲気があった。学校は埼玉の山奥のOという町にあった。
そんな具合に、度々名前を聞かされれば、一体加藤とはどんな女なのか見てみたくなる。話に上がる件数を冷静に数えてみると、どうやらこの学校の男の三分の二とは事を済ませたようだ。(一人で十人の男と乱交した、等の話もあるので)そろそろ私の順番も回ってくる可能性もある。だとしたら、顔くらい確認しておきたい。だが、おおっぴらに「加藤って誰?」と聞けば、ついにやりたくなったのか? とからかわれるに決まっている。どこでする? 教室? トイレ? 屋上? と勝手に場所をセッティングされるとも限らない。チャンスがあればしてもいいかな、と一瞬思うが、それをネタにされるのは割に合わない。顔だって見るに耐えないブサイクかもしれないし、病気だって持っているかもしれない。
加藤の実物を見られたのは、噂を知って数ヶ月ほど経ち、文化祭が終わって制服が冬服に戻った頃だった。その頃になると加藤のこともあまり噂に上らなくなり、私の興味も薄れかけていた。ある日の学校からの帰り道、電車の中で、シートに浅く腰掛けた金髪ピアスの鎌田が「あ、サセ子だ」とつぶやいた。声の小ささから判断すると、結構な至近距離にいるらしい。
「サセ子って加藤のこと?」
私が確認すると、鎌田は小さくうなずき、ドアのところに立つ女生徒の方に目をやりながら
「奥のほう」
と教えてくれた。鎌田の目つきはとても悪い。
加藤はドアを背にして立ち、友人とおしゃべりをしていた。体つきは華奢で、肩幅も狭い。髪は真っ黒で、肩につくかつかないかの長さだった。眉毛も、目も、瞳も黒い。顔つきは幼く、顎が尖っている。制服のブレザーをきちんと身につけ、下手をしたら中学生に見える。
もっと派手な容姿を想像していた私は、思わずまじまじと見てしまった。これが本当に誰とでもセックスをする女なのだろうかと、私は加藤の下半身に目をやる。スカートも極端に短いわけではなく、膝にかかるくらいの長さだ。そこから伸びる足はマッチ棒の様に細い。その脚がベッドの上で目一杯に開き、何人もの男を受け入れてきたのだろうか。
加藤は私と同じ駅で降りた。地元は同じということだ。隣の中学の出身なのかもしれない。加藤は改札を出ると、東口の方へ歩いて行った。私は時刻表を眺める振りをしながら、加藤の小さな背中が、階段を降りて行くのを見送った。一瞬後をつけてやろうかと思ったが、私が自転車を停めているのは西口なので、思い直した。家を知ったからといって何が起きるわけでもない。
それから私は、登下校時に加藤の姿を目で追うようになった。一度顔を覚えてしまえば、加藤はいくらでも見つかる。目立たない出で立ちだから気づかなかっただけで、登校時の電車も同じ時刻だった。下り電車は本数が少ないからかぶる可能性は十分あったが、ものすごい偶然のように感じた。一番後ろの車両に乗る私は、実は毎朝彼女の前を通りすぎていた。加藤はホーム後方の柵に寄りかかり、一人で電車が到着することに全神経を集中させている。ドアが所定の位置にきちんと収まるかを厳しくチェックしているようにも見える。テスト前には教科書やノートを開いているが、普段は何も持っていない。いつも一緒にいるメガネの友達は前の駅から乗ってくる。電車に乗ると、ニコニコしながら話を始める。毎朝同じ事の繰り返しだ。
私は加藤について、越川に相談してみることにした。越川はこざっぱりとした性格で、友達も多く、そういう事情に詳しいと思われる。ヤンキーではないから、過剰に冗談めかしたりしないだろう。降りる駅も私や加藤と同じなので、同じ中学出身かもしれない。
「五組の加藤知ってる? サセ子って噂の」
ある日の放課後、同じ掃除当番だった越川に、トイレで加藤の事を聞いてみた。トイレなら女子に聞かれる心配もなかった。
「そうらしいね」
越川はこちらも見ず、便器の水を流しながら答えた。越川にとって加藤=サセ子というのは当たり前すぎる事実で、話の種にすらならないようだ。「木曜日の前日は水曜日ですよね?」と質問したような気分だ。
「同中?」
「そうだね」
「中学のときから、その、サセ子だったわけ?」
「うーん、どうだろ? 俺、同じクラスになったことないからなー」
「イジメでそういう噂流されたとか」
「知らん。まあいじめられそうな感じはするね」
交友関係の広い越川にしては、薄い反応だった。せめて部活は何をやっていたかくらいは、すぐに出てきそうなものである。加藤のような地味な女は、眼中にないのだろうか。
「もういいだろ?」
越川がこちらを見て言ってきた。それが掃除の事を指していることに、私はしばらく気づかなかった。
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