第2話 異常という認識
それから数日のこと。俺が昼休みに図書室へ行った帰りのことだ。ふと、三人組のギャル共が理科室に入っていくのが見えた。嫌な予感がする。俺は彼女らに見つからないよう、そのあとをつけて行った。
俺が外からチラリと中を覗くと、三人はニヤニヤしながら理科室を物色する。
そして、手頃な備品を見つけると、それを叩きつけて割った。
「おーいいね〜」
「これもやっちゃおうよ」
そう言って、彼女達は次々と備品を破壊していった。俺は念の為、その様子を無音カメラで撮っておいた。
「よし、これでみんなに連絡してっと」
ギャルはスマホを慣れた手つきで扱い、用事が終わると理科室を後にしていった。何をする気かは、まあなんとなく分かる。
そして、放課後。案の定、理科室に蓮見が呼び出された。
「またお前か、蓮見」
相対するのは、担任の教師だった。担任は重いため息をつきながら、地面を指さす。そこには理科室の備品の残骸が散らばっていた。
「これはお前がやったんだろう?」
「........」
「色んな生徒からお前がやっているのを見たという報告を受けている。全く、何度やれば気が済むんだ」
彼女は口を噤んだまま、何も言わなかった。その様子を見て、教師は再びため息をつく。
「これは、また親御さんに来てもらわないとな」
「そ、それは.......!」
彼女は顔を上げ、悲哀と焦燥の混じった表情を浮かべる。
前回の呼び出しで母親にあれほど咎められ、正常にも関わらず精神病院に入れるとまで言われたのだ。この罪が確定してしまえば、おそらく次はないだろう。その事情を知っていて黙っていることは、さすがの俺にも出来なかった。
「そいつはやってませんよ」
俺は扉を開け放ち、理科室へと入っていった。
「お前は、菊地.......!」
「菊地、君?」
二人は目を白黒とさせていたが、俺は構わず話しを始めた。
「蓮見は何もしていません。これをやったのは霧山達です」
「な、何?」
担任は眉を曲げて訝しんだ。その態度が俺の癇に障る。
「わかってるでしょ、蓮見じゃないって」
「なんだと?」
「これのことだけじゃない。蓮見が霧山達にどんな仕打ちを受けてるか、あんたも知ってるんでしょう?」
俺が蓮見を認識した時から、おそらく既に彼女はいじめられていた。トイレで水をかけられ、不自然に体育着で生活していた時。机をひっくり返され、中身をぶちまけられていた時。暴力を振られ、顔に傷ができていた時。ありもしない悪評を広められ、噂話をされていた時。
全て、俺は知っていた。他人に関心がない俺でもこれぐらい知っているのだ。他の人間も、確実に蓮見がいじめられていることに気づいている。教師も、クラスの人間も。いや、学校全体が知っていることかもしれない。
しかし、誰も咎めないし止めもしない。誰もが触れないように、関わらないようにした結果、日常のただの風景と化したのだ。
異常は慣れれば正常となる。人間の恐ろしい心理の一つだ。俺も今までそれに従っていたのだから、責められはしない。けど、それが異常だと認識した以上、黙ってられなかった。何より、あの蓮見の苦悶に歪んだ顔が、頭から離れなかった。
「何を言っているんだお前は.......!」
担任は真理をつかれようとも認めようとはしなかった。そりゃそうだ。自分のクラスでいじめがあって、更にそれを見過ごしていたとなれば、教師人生に大きな亀裂が入るからな。残念ながら、こいつも異常な空気に染まった一人だったようだ。
俺はため息を一つついたあと、スマホを取り出して例の写真を見せた。
「なっ、これは」
「証拠の写真です。複数の生徒から寄せられた情報とやらよりも、よっぽど信用できるでしょ。どうせそれも霧山達の仕業だろうし」
「..........」
担任は複雑な表情で口を閉ざしている。俺はそんな担任から視線を外し、蓮見を見やる。彼女は若干呆然としていた。
「ほら、帰るぞ」
「え?」
「嫌疑は晴れたんだ。ここにいる意味はねーよ。ですよね、先生」
俺が問うと、彼は首肯も否定もしなかった。真実がなんであろうと彼女が罪人で解決するはずだったものが、今回は違う結果になってしまった。それを認めたくなかったのだろう。
しかし、そういうことなら俺達がここに留まる理由もない。
「行くぞ」
「あ、はい」
俺は彼女の手を引いて理科室をあとにした。
その後、俺達は並んで帰路へついた。
「あ、あの.......!」
「ん?」
道中、彼女は急に声を上げた。
「ありがとうございます!また、助けてもらって」
「あー、まあ、別にいいよ。たまたまアイツらがやってんの見かけただけだし」
俺がぶっきらぼうに言い放つと、彼女は僅かながら口角を上げた。
「やっぱり、菊地君は優しい人です」
「.......それはねぇよ。だって、今まではお前がいじめられてんの、見過ごしてたから」
一人の少女が傷ついているのを放っておくなんて、普通に考えれば罪になるのだから。それら全ては、背負っていかなければならないはずだ。ただこの考え方は、あまりにも現代社会にそぐわない。皆が罪としなければ、罪にならないのだから。
「見過ごすだなんて。元々、私が悪いんです」
「え?お前、何かしたのか?」
「.......いいえ、しませんでした。むしろ、しなかったことがいけなかったんでしょう」
彼女は瞳を細めた。なんて優しくて、不安になる笑顔だろう。
「私、こんな性格ですから、上手く感情表現出来なくて。だから、よくちょっかいをかけられたんです。でも、私は声を上げられなかった。そうしていくうちに、いつの間にか........」
彼女は言葉を途切れさせ、地面に視線を落とした。
暗い子が派手なヤツらに寄ってたかって弄ばれる。最も典型的ないじめの例だった。しかし、どれだけ普遍的なものでも、いじめはいじめ。よくあることで、済ませていいようなものではない。
「助けてくれる人なんていませんでしたし、求めていませんでした。どうせダメだって、思ってましたから」
「.......そうか」
「でも、菊地君は、私を助けてくれました」
彼女はこちらを見上げ、朗らかに微笑んだ。今までで一番の笑顔だ。
「こんなこと初めてで、私.......」
彼女は泣き笑いを浮かべた。胸が締め付けられる。ああ、本当は彼女も、助けを求めていたんだな、と。
俺は蓮見にハンカチを手渡した。
「あ、ありがとうございます.......。洗って返しますね」
「いいよ、そんなの」
彼女は涙を拭いて、一息つく。そして、再び口を開いた。
「でも、なんで今回も助けてくれたんですか?」
「あー.......」
なぜ俺はあんな行動に出たのか。まあ、理由なんてわかりきっている。さっき理科室に飛び入りした時に、既に自分で理解していた。しかし、それをそのまま口にするのは、小っ恥ずかしかった。
「まあ、なんとなくだよ」
「なんとなく、ですか?」
彼女はキョトンと首を傾げたあと、ふふ、と上品に笑った。
「変な人ですね、菊地君」
「俺もそう思う」
俺は彼女と、普通のクラスメイトとして、微笑みあった。
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