第21話 下手な夢は見ないに限る

「へぇ……、こんなふうに石鹸を作っているんだ」


 私が工房と呼んでいる部屋にジークを案内していた。

 この部屋は、倉庫に使われていたのをミモザから借り受け、石鹸や香水、化粧品を作る様に改良していた。

 整理整頓はされておらず、至るところに試作品や失敗した品が散乱している。

 匂いの元になるドライフラワーや、匂いを抽出したエッセンシャルオイルが置いてあるので、散らかっている割には良い香りが充満している。


「匂い……大丈夫? 」


 初めて会った時に、鼻が良いと言っていたのを思いだし、ジークが気分でも悪くなってないかと、顔色を伺った。


「ディタ、君はなんて優しいんだ! 僕は大丈夫だよ。世の中の地獄のような臭さを思えば、ここは天国のようだ」

「そう、なら良かった」

「これは……トイレの芳香剤? 」


 ドライフラワーを手に取って、その匂いを嗅ぐ。


「ここではそうよね」

「ここでは? 」


 私は慌てて会話を続ける。


「ううん。ほら、匂いって、乾燥するとギュッと凝縮されるでしょ? で、その凝縮した匂いをオイルに移して、石鹸に混ぜるの。オイルも入ってるし、肌がしっとりする匂いもいい石鹸が出来上がるって訳」

「それって、僕に話して大丈夫?」

「そうね……。少し話し過ぎたかしら? でも、あなたは人には話さないでしょう? 」


 企業秘密といえなくもない。ただ、オイルの作り方や、匂いの抽出方法、配合割合なんかは話していないし、多分問題はない筈。

 私は下からジークを見上げるようにして微笑んだ。首を傾げるのも忘れない。あなたのことはに信用しているのよという雰囲気を漂わせた。


 可愛い子ぶりっ子発動!


 三十路の女がやるにはイタイだろうけど、十一の少女ならアリだろう。しかも、自分に興味を持っている相手になら……。



「もちろんだよ! 誰にも話す訳ないじゃないか。」


 ジークは、私の手をとって大きくうなづく。好きな子の信用を勝ち取ったというような誇らしさが、若々しいその頬を上気させていた。


 ああ、なんて可愛らしいの?!


 身体は子供、頭脳は大人……って、どっかのマンガのようだけれど、気持ちは完璧に三十歳の大人の目線で見てしまう。


 年甲斐もなく、ついフラフラっとしてしまいそうになる気持ちを引き締める。何よりも、王子を味方につけることは、これから先ワグナーみたいな男が現れた時の為にも必要だと考えた。たとえ、相手がロリコン王子でもだ。


 若者の恋心を利用するようで気が引けるが、こちらは貞操と命がかかっているのだ。いつかは気の迷いだったって痛感する時がくるだろうから、それまで最大限に利用させてもらわないと!

 問題は、あまりにジークがカッコ可愛過ぎて、嘘から出たまことにならないように、自分の気持ちを引き締める必要がありそうだけど。


「ジーク王子は、好きな花とかあるの? 一ヶ月くらいかかるかもだけど、その匂いの石鹸を作って届けましょうか? 」


 いわゆる袖の下だ。

 ああ、大人の世界って世知辛い!


「本当に?! 好きな匂いは沢山あるけど……、僕は君の匂いが一番好きだな。……あと、ジークだってば。君には名前でだけ呼んでほしい」


 ジークは、私の頭を優しく抱え込むと、髪の毛をいじりながら深く息を吸った。熱い吐息を頭に感じ、腰が砕けそうになる。


 頭って、絶対性感帯あるよね?!

 それにしても、私って不感症の筈なのに、どうしてジークにだけはムラムラッとするんだろう?

 やっぱりいい男過ぎるからかしら?


 今まで付き合ってきた男には、どこを触られてもほとんど感じることのなかった欲情のようなものを、このロリコン王子にだけは感じるようだ。


 もしかして、身体が違うから?


 当たり前のことに今さら気がつく。


 楠木絢の身体は不感症だったけど、ディタの身体はまた別ってこと? もしかして、憧れだった絶頂とやらも、この身体なら体験できるかもしれない?!


 あまりにショッキングな思考に、目の前にいるジークの存在すら忘れて考え込む。


「……ディタ、ディタ。ねぇってば」


 ジークに耳たぶを噛まれて、やっと意識が戻ってきた。その衝撃に耳を押さえて飛び退り、真っ赤になってジークを睨み付けた。


「な……な……何をするのよ?!」

「だって、ディタがいきなり返事もしなくなるから。キスしても良かったんだけど、あまりに可愛らしい耳だったから、つい噛みたくなっちゃって」

「イヤイヤ、噛んだらダメでしょ」


 ショック療法というか、いっきに正気に戻った。


 私ったら、何バカなこと考えてたんだろう。

 もし万が一不感症じゃないとしても、それを確かめるには脱バージンしなくちゃならないじゃないの! もう二度とあんな痛い目に合うのはごめんだ。

 そう、下手な夢は見るもんじゃない!


「じゃあ、とりあえずこの石鹸をあげるわ。あと、あなたの温室の中で一番好きな花を届けてちょうだい。それで石鹸を作りましょう」

「ああ、毎日君に花を届けるよ」

「毎日はいいわよ」


 ドライフラワーにする場所は限られているのだから、毎日大量に花が届くのは困る。そう思ってそっけなく断ると、ジークは目に見えてシュンとしてしまう。


「僕は毎日君に会いたいのに……」

「まさか、届けさせるんじゃなくて、毎日自分で持ってくるつもりだったの? 」

「そりゃそうだよ! この半年、僕がどんな思いで君に会いに来るのを我慢して、ダンに師事していたと思うの?! 」


 ワグナーに師事って……。


 私は思わずジークから一歩離れる。


 だって、ワグナーが教えられることって、つまりはナニの仕方?

 正統派美青年、爽やかな笑顔の下に隠された変態の素顔……?!


「何を考えているのかな? 」


 軽蔑の色が濃くなる私の瞳を覗き込む為、ジークが半歩近寄る。私は一歩下がる。そんなことを繰り返し、私は下がれない壁側にまで追いやられてしまった。


「何か変なこと考えてるよね? 絶対、変なこと考えてる。あのね、ダンはああ見えて貿易商なんだ」


 私が横に逃げないようにか、壁ドンの体勢で話しを続ける。身長差があるから、ジークの胸が触れるか触れないかくらいの距離で眼前にあった。


「王族だった時から放浪癖がある人でね、その場所場所に溶け込むのが上手くて、色んな国にパイプを持ってるんだ。そのツテを使って商売を始めたら成功して、今じゃザイザール一の貿易商だ」


 色んな国に女がいる……の間違いではないだろうか?


「僕はお金を稼いだことがなかったから、ダンにどうすればお金が増やせるか相談したんだよ。もちろん、三年……いや二年半後に君を他の男に渡さないようにする為さ」

「王子なのに? 税金使い放題じゃないの? 」


 王子なら湯水のようにお金を使えると思っていたが、そうではないのだろうか?


「僕の統治する土地から上がってくるお金は、その土地の民の物だ。それをやりくりして地を整えたり、川に堤を作ったり、凶作や災害、疫病に備える。だから、僕の手元には残らない。税を増やせばいいのかもしれないけど、私欲の為にすることじゃないから」


 十代の若者が、しかも誰からも降頭されて奢った暴君になってもおかしくないというのに、なんてしっかりしているんだろう……。


 思わず尊敬の念をこめて見上げてしまう。


 こんなにこんなに天使みたいに整った顔立ちで、王子様みたい! じゃなくて本物の王子で、しかも性格まで良いなんて、天は何物与えてるんだ?!


 普通はここで恋愛感情でも芽生えるのだろうが、人間三十路まで生きているとひねくれた感情もムクムクと湧いてくるもので……。


 片や娼館に売られ、黒髪ゆえに醜女と言われて、何もしなきゃ変態貴族の慰み物になってポイ捨てされるところだった。同じ人間なのに、この差は何?!


 私の視線を感じたジークは、まさに完璧な微笑みを浮かべると、腰を屈めて顔を近づけてきた。

 その唇があと一センチの距離まで近づいた時、私は笑顔でジークの足を踏みつけた。しかも踵で。


「……ッた」


 ジークの顔が歪み膝をつく。

 この世界は木靴だからね。そりゃ痛かろう。


「あら、ごめんなさい。急に顔を近づけてくるもんだからびっくりして……(わざと踏んづけちゃったわ)」

「いいんだ。つい、可愛い君に見つめられて、引き寄せられてしまった僕が悪いんだ」


 無理やり手ごめにしようとしたワグナーよりはジェントルだけど、少女に発情するあたり、二人ともアウトですから!




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