第9話 口紅
「今日はほどけやすくなくていいから、ゴージャスに結ってちょうだい」
フレグランスオイルを手首につけ、髪をかき分けて首筋につけながら、イライザは振り返った。
白い首筋が見え、その艶っぽい流し目は、女の私でさえドキドキしてしまう程艶かしい。
「ゴージャスですか? 」
「そう。とにかく目立たなくちゃいけないから」
「イライザさんなら、誰にも見劣りなんかしませんよ」
「ええ、もちろんわかってるわ。だけど、今日のお客様は特別。絶対に他の娼館の娘になんか負けられない」
「他の? 」
「ええ。今日はね、五つある娼館が招待された宴があるの。宴に参加できるのは上位三名まで。王族の方々や貴族の面々がいらっしゃるから、顧客を増やすチャンスなの。それに今晩は、別の趣向もあるしね」
「別の……ですか? 」
「今日はね、第三王子の御披露目も兼ねてるの。第三王子ってね……」
イライザが話している最中、どんな髪型にしようか考えていて、適当に相づちをうっていて、あまり会話には集中していなかった。
首筋を出した方がいいだろうと思い、夜会巻きにアレンジを加えて結い上げた。髪をアップにする習慣がないこちらでは、首元が見えるとかなり色っぽく人目をひく。おくれ毛を整え、簪で派手に飾り付ける。この簪も、私が絵を描いて職人に作ってもらった一点物だ。
合わせ鏡のようにして、結い上がりをイライザにチェックしてもらう。
「でね、王子には……あら、もうできたの? 素敵だわ。ウフフ、最近ね他の娼館の子に髪型のことよく聞かれるのよ。それに髪飾りも」
「そうなんですか? 」
「ええ。フフ、教えてなんかあげないけどね」
この館に来てわかったこと。
最初は売られてきて嫌々娼婦をやらされているんだと思っていた。でも、そんなことはなかった。皆、自分の境遇を受け入れた上で、トップを目指そうと孤軍奮闘し、ある種のポリシーを持っているようだった。
トップの人達には誇りがあり、誰にも追い越されないように美に対する執念は凄まじかった。身体のラインは一ミリも変えず、たえず美しさをキープし、何があっても笑顔を絶やさない。収入を全て注ぎ込んでも美しい衣服や装飾品を買いあさり、常に最先端の知識を求める。もちろん、寝物語でも客を飽きさせない為だ。
そんな中、ミモザの館で皆髪を結い始めたのは、衝撃的な出来事だった。男達は、その髪が乱れる様に興奮し、先を争って簪を抜きたがった。
それと同時に、ミモザの娼婦は芳しい匂いがし、その肌触りは赤ん坊のように滑らかだと噂になった。
他の娼婦達も見よう見真似で髪を結い始めたが、ただ結ぶだけであったり、丸めて止めるだけであったりと、ミモザの娼婦達のように美しくはできなかった。匂いに関しては、全くの未知のことで匂いの元に辿り着くこともかなわなかった。
「知っていて? 」
「何をです? 」
イライザは心底楽しそうに目を細めた。
「私達を求めて、最近では他国から王族貴族までやってきているの」
「はあ……」
つまりは、外交手段としてもミモザの館が役に立っているということだろう。
「ミモザの館が世界の娼館の中でトップってことよ」
ミモザの館でトップのイライザは、世界の娼婦の頂点ということか。
「もし、あたしがミモザ母さんのように自分の館を持つようになったら、あんたを買い取るつもりよ。だから、安心していなさい」
「……どうも」
その前に自力で自由になるつもりではいたが、イライザの気分を害するのも得策ではないので、適当に流しながら話していた。
「イライザ、支度はできたかい」
「ミモザ母さん」
ノックと同時にドアを開けて入ってきたミモザに、イライザは立ち上がって全身を見せた。
「今日も綺麗だよ。最高だ! 」
一番の稼ぎ頭だ。綺麗じゃなかったらたまったものじゃない。言外にそんな雰囲気を滲ませながら、ミモザはイライザの回りを一周回って確認する。ミモザにとっても、今日の宴は意味がある。いかにミモザの館に素晴らしい女が揃っているか知らしめることにより、全体の底上げに繋がる。
「イライザさん、最後にこれを」
最後の仕上げにと、私はついさっき出来上がったばかりの口紅の試作品を取り出した。
赤い花のエキスを植物オイルに溶かし、それをロウで固めたものだ。クレヨンに近い気もしたが、これではっきり色がつくのだ。
色んなロウで試したが、昆虫から採取できるロウが一番塗りやすかった。唇が荒れないように、オイル成分もしっかり配合してある。
「これは? 」
「口紅です。唇にはしっかりと、目元にはこっちのピンクっぽいのを薄めに」
同じ物で赤いのとローズピンクっぽいのが出来上がっており、ピンクの方はアイシャドウのように使った。
ピンクにボヤけた目元は適度に酔っ払った時のように色っぽく、赤い唇は誘うように艶やかに見えた。
本格的に化粧をしたら、とんでもない美人に仕上がるんだろうなと思いながら、自分の出来に満足する。たかがアイシャドウを塗って口紅をひいただけだが、これが出来上がるまでの苦労を思うと、感慨深いものがある。
「まあまあ……。ディタ、残りの二人にも頼むよ」
「もちろん。カシスに頼んでありますから」
ミモザは満足気にうなづくと、部屋を出ようとして振り返った。
「今日の宴のイライザのおつきはディタに頼むよ。あんたも一応支度しな。衣服は……アイラに借りるといい」
アイラが息を飲むのを隣りで感じながら、私も何を言われたかわからず、聞き返してしまう。
「宴ですよね? 私が? 」
もちろん宴に出席できるのはイライザ達三人だけだが、付き添いで部屋つきが同行することになっていた。宴の最中は控えの間で待つことにはなるが、その時に貴族に見初められて……という話しもなくはない為、部屋つきの少女達も気合いを入れていた。
アイラが楽しみにしていたのを知っていた為、さすがにそれを奪うことはできない。
「私は黒髪ですよ。ミモザの館の評判を落としかねないです」
「だからだよ! 綺麗どころのアイラが隣りにいるよりも、黒髪のあんたが隣りにいた方が、イライザ達が映えるだろうさ」
「そりゃまぁ……」
言われ方は酷いが、この世界ではそれが現実だ。
「アイラには、来週から部屋つきは上がってもらう。御披露目の会を開くからそれでいいだろう」
「御披露目……」
アイラかパッと顔を上げ、紅潮した頬をさらした。
見習いの彼女達にとって、いづれは通る道であり、御披露目の時にどんな客がつくかで、その後の道行きも決まる。高級娼婦になれるか、そこそこの……二階どまりの娼婦になるかだ。
「御披露目に最高の客を集める意味でも、今回はディタに同行させるよ。第一、髪が乱れた時に誰が直すんだい」
それは確かに。食事をとれば化粧は落ちるだろうし、化粧直しも必要になるだろう。
「わかりました」
「いい娘だ。あんたにゃ最高の客を揃えることを約束するさ」
ミモザが部屋を出た後、アイラは自室になっている隣りの小部屋に私を連れていった。
「これね、今回着ようと思っていた衣装。あなたに貸すわ」
「ごめんね……」
アイラはニッコリと微笑み、私の手を握る。
「いいのよ。その代わり、姉様方をしっかりサポートしてね」
「もちろんよ」
「さあ、着るのを手伝ってあげる」
いつも着ている黄ばんでゴワゴワした衣服と違い、色鮮やかで絹のような手触りの衣服だった。
何より、肌襦袢のような下着まで着る為、着心地が抜群だった。
日本の着物を上下セパレートにしたような衣服で、露出は少なめだ。
もしこの世界でドレスを作ったら……。チャイナドレスみたいなのなら似たような感じだし、そこまで抵抗なく受け入れられるかも。少しずつ露出を多くして、いずれはドレスに!!
あちらの世界では何となく与えられるままに仕事をしていた私だ。こんなにあれやこれや自分から何かしようと思ったのは、三十年生きてきて始めてかもしれない!
そう、この時私は自分の命運を決める為にし始めたことだということをすとかり忘れて、楽しんですらいた。そしてさらに忘れていたことが……。私は裁縫は大の苦手だった。
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